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ドラマ「SHOGUN」にも登場! "喪に服す" 歴史と風習
皆さま、エミー賞で史上最多の18冠を獲得して話題の「SHOGUN 将軍」
ご覧になりましたか?
中の人はエミー賞を受賞してから観始めましたが、
もう間もなく最終回というところ。
主演兼プロデューサーを務めた真田広之さんのこだわりや
現場での苦労、撮影秘話などがいろいろな所で語られ、
そんな話を見聞きしてから観ているのもあって
細部にまで目を凝らしながらドラマを観ています。
まだご覧になっていない方は、
ぜひ日本文化が海外に受け入れられた作品をご覧ください。
さてさて、今回はそんな「SHOGUN 将軍」にも登場した
"喪に服す"という文化について。
SHOGUNはあくまでも日本の史実に基づいたフィクション
という事なので、どこまで正確な描写かは分かりません。
ただ、ドラマの時代背景である、
豊臣秀吉が亡くなった後の徳川家の時代。
この頃には、葬儀の形や、喪に服すという文化もあったと言われています。
今回は、そんな日本の葬儀の歴史についてのお話です!
日本の葬儀風習は「儒教」の影響を受けている
ドラマ「SHOGUN 将軍」では、
当時キリスト教の宣教師たちによってかなり
キリスト教徒が多そうな描写もありますが、
当時の日本に影響を与えていたのは、
寺院が多かったこともあり「仏教」だったそうです。
そして徳川家康が実権を握った江戸時代からは、
古代中国で孔子の思想に基づく教えを説いていた「儒教」が
当時の日本に大きく影響を与えたそうです。
江戸時代以前も儒教はあったそうですが、
あくまでも仏教の僧侶らの教養程度だったそうです。
江戸時代に入り、江戸幕府は儒教、
中でも新しい儒学であった「朱子学」を、天下統治の普遍原理として全国にくまなく徹底したそうです。
日本に広がっていた各種の宗派すべてに共通する普遍的規範思想として儒教を導入し、それが互いに争わず平和な世の中を実現していくきっかけになったそうです。
「朱子学」自体は庶民の間ではそれほど馴染みが無いようですが、
それでも儒教の教え「儒学」は広まり、
考え方や精神などと共に、人の弔いや "喪に服す" などの文化も定着していったようです。
第5代将軍徳川綱吉は、幕府の文治政治への転換で儒学を重視したそうで、
人の死に対しても、公式の法令としての「服忌令」を出したそうです。
この服忌令(ぶっきれい)は、
人が亡くなった際に、近親の度合いに応じて喪にこもる服忌や忌日の日数を定めたものだそうで、
基本的には武士を対象とした法令だったそうです。
ただ、庶民の間でも地域によって
同じような文化が風習として広がったようで、
それが今でも葬送儀礼の風習として残っているのです。
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儒教で見る人の弔い方
お葬式をする際、様々な宗教・宗派によって方法が異なりますが、
基本的には、故人様、そしてご先祖を大切に扱っています。
そのベースは儒教にあると言われており、
儒教では、「儀礼によって物事の始めに返るならば
基本が尊重されるようになる」と教えられています。
祖先や神に通じるなら、目上の者を尊敬するようになるであろう。
また親和が増せば生活が安定し、
道義が育成されれば上下の争いはなくなり、
譲る心ができれば競うこともなくなる。
これが儒教の考え方だそうです。
これを基にして、儀礼においては
祖先を中心とした秩序が重んじられるのだそうで、
日本での葬儀やお墓参りの風習の基になっています。
また、人が亡くなった際、
湯灌をし体を奇麗にして服を着せ、
髪やひげなど見た目を整えて、横に寝かせて布団をかける
こんな作法も儒教の教えからだそうです。
これは、人の死や遺体を人々が忌み嫌わないようにする為とされており、
死者を軽んじない為の考え方だったようです。
昔の日本では、人の死はもっと身近だったのでしょう。
目の当たりにする機会も多かった時代、
この考え方は重要だったかもしれませんね。
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喪に服す風習
前述した通り、第5代将軍徳川綱吉が「服忌令」として
喪に服すことを制定しています。
その後、何度かの改定の後に
第8代将軍徳川吉宗が発令した「改定服忌令」が
確定された法令となったそうです。
当時の服忌令では、親類をその近さによって6段階に分け
妻は13か月、
養父母(遺跡相続や分地配当がなかった場合)・夫の父母・父方の祖父母は150日、
妻・嫡子・養子・母方の祖父母・父方の曾祖父母・父方の伯叔父姑・兄弟姉妹・嫡孫は90日、
嫡母・継父母・末子・養子(遺跡相続をしない場合)・異父兄弟姉妹・嫡孫(承祖しない場合)・母方の伯叔父姑・父方の高祖父母は30日
など喪に服す期間が決められていたそうです。
これは武士を対象とした法令でしたが、
"喪に服す" という考え方は庶民にも広がりました。
その後、明治7年に出された「服忌令」では
喪中の期間が細かく制定されましたが、
当時は男尊女卑の考えが強かったので
男女で喪中期間が違っていたそうです。
昭和22年になって服忌令は撤廃されましたが、
男女平等に訂正され、現在でも喪中期間の目安として受け継がれています。
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現代の服喪期間
前述の通り、現代では法令は撤廃され
あくまでも風習として残っています。
なので、「マナー」として意識するものであり、
服喪期間のマナーは厳格ではありません。
一般的なマナーとしては、
故人様が亡くなってから四十九日が過ぎれば
慶事に参加しても良いというのが主流になっています。
ただ、「喪中」と「忌中」には違いがあり、
そこには注意が必要です。
「喪中」と「忌中」の違い
「喪中」と「忌中」は、どちらも服喪期間を意味している言葉で
それぞれ期間が違います。
忌中は、故人が亡くなってから法要が行われる四十九日までの間とされ、
四十九日が終わった後は忌明けとなり、日常へと戻っていきます。
喪中のは故人様との関係によって異なっていますが、
3ヶ月〜1年ほどが目安とされています。
今回は、ドラマ「SHOGUN 将軍」の1シーンから、
江戸時代の儒教の考え方からの "喪に服す" という日本の風習について触れてみました。
なんとなく葬儀の感覚、四十九日の感覚はあったと思いますが、
こんな歴史を経て日本に根付いたものだったんですね。
宗教観や儀式と思うと難しくて堅苦しいですが、
故人様を想い・偲び・みおくる気持ちは
昔も今も変わらないのではないでしょうか。
ドラマを観ている方も観ていない方も、
そんな古くからある日本の風習に思いを馳せて
今後のご葬儀に参列してみてはいかがでしょうか?
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