プロテニス選手になるまでの過酷な道のり
こんにちは!17歳で本格的にテニスを始め、現在23歳の僕が、どのようにして「プロテニスプレーヤーになる」という決断をするに至ったかを、幼少期きからさかのぼり簡潔に説明します。
自分を知ってもらうためにアピール要素も含んだ書き方をしました。ご了承ください:)
(一番下までスクロールしていただくと簡潔にまとめてあります)
1996年3月11日、双子の長男として生まれました。弟も現在、僕と一緒に同じ夢を追い、二人で切磋琢磨しながら互いに頑張っています。
幼稚園
幼稚園はバディ・スポーツ幼稚園に通っていました。名前の通り、スポーツのできる生徒を育てるのに力を入れていて、毎日様々なスポーツをやりました。
僕らは園長先生からバディ幼稚園始まって以来の運動神経の持ち主だなどと言わたぐらい運動神経抜群でした。
幼稚園時代では器械体操が一番得意で、何度も大会優勝したことがありました。他にもサッカーやスキーにも注力してやっていました。
小学校
小学校当時、習い事を多い時には12個くらい同時にしてました。体操、サッカー、空手、スキー、水泳、ピアノ、バイオリン、英語、は幼稚園の時から10年以上習っていました。
毎日学校が終わると、習い事をこなし、その中でも友人と遊ぶといった、多忙かつ充実した日々を送っていました。
どの習い事においても先生に才能があると褒められ、その道で究めれば必ず成功すると言われていました。
当時の僕の将来の夢は、「プロサッカー選手になってワールドカップに出場する」のと、「アルペンスキーでオリンピックに出る」でした。その途轍もない大きな夢の為に、「今自分が何をすればいいのか」に気付くことはできていませんでした。
小学校の時から英検を受けていて、英検3級では全問正解で合格し、表彰されました。全問正解者は僕を含めて全国で数人しかいなかったと思います。
その中でも今の僕の夢に繋がることになる「テニス」は一番最後に始めたものでした。
小学校6年生の時に「上流社会の付き合いとして、テニスは必要になるからやっておいたほうがいい」という親の意見から、しぶしぶやり始めたのがきっかけです。とは言っても週に1回、1時間しか習っていませんでした。
中学校
テニスは週に1回のペースで中学3年生の夏まで約3年間習っていました。当時テニスに対する熱意はあまりなく、習っていた時間も極端に少なかったため、この3年間は僕のテニス歴には含んでいません。
部活はサッカー部に所属していました。しかし部活と当時していた習い事の空手や体操とかぶってしまい、部活に毎日参加することができず試合にもださせてもらえませんでした。
次第にサッカーに対しての熱意が冷め、中学2年の終わりに退部しました。
学業に関してもスポーツも文武両道で励んでいました。通知表は毎回学年トップクラスの成績でした。
得意であった英語では、13歳の時に英検2級も取得しました。
イギリス留学(14-17歳)
海外留学をするというのは、昔から僕ら家族の「夢」の1つでした。
親のサポートと多少の奨学金のおかげで、中学3年生の時、英国のパブリックスクールに留学するという夢が実現しました。現地で3年間寮生活しました。
最初の数か月はものすごく苦労しました。言語の壁は思ったよりも大きく、ホームシックにも悩まされました。
毎晩夜遅くまで、辞書を片手に宿題と勉強をしていました。
習い事は現地で習うことができなかっためここで一旦やめましたが、ピアノとバイオリンと水泳だけは現地でも習うことができたので続けていました。
イギリスの学校は学期ごとにやるスポーツが決められています。ラグビーとフィールドホッケーは全員強制的にやらされました。
そして、イギリスに行って3年目である高校2年生の夏でした。テニスをやる機会があり、3年ぶり程にテニスをやりました。
久しぶりにテニスをしたら、たちまちテニス愛に目覚め、今までやってきたスポーツよりなによりも楽しい!そして難しい!極めたい!と思い始めました。幼稚園のころからプロスポーツ選手になってオリンピックにでるのが夢だったのですが、今まで中途半端な気持ちと、多々やってきたスポーツの中で絞れない状態でいました。
僕の知ってる限り、17歳から本格的にテニスを始めてプロとして活躍している選手は1人もいません。この時僕は、「世界初、17歳から始めてプロとして活躍する有名選手になってやる!」と堅く決意しました。
17歳のこの時、テニス1本に懸けると決断したときには即座に行動に移り、イギリスの学校が休みの期間、フロリダまで飛び、世界で一番のアカデミーとされてるIMGアカデミーの1週間のプログラムに参加しました。
1週間プログラムが終わり、イギリスにもどってきてからの毎朝、早起きをして学校が始まる前に弟と二人でテニスの練習をしていました。
当時はコーチがいなかったので、YouTubeでテニスの動画などを見ながら完璧自己流で半年ほど日々頑張ってました。
その後イギリスの学校に通っていてもテニスは上達しないと考え、高校2年生が終わったと同時にフロリダのIMGアカデミーにテニス留学を決意しました。そこで高校最後の1年を過ごしました。
アメリカ留学(17-19歳)
IMGアカデミーに入学当初は、3つある内でも1番レベルの下のグループにいれさせられました。もちろんテニスを本格的に初めた年なので当然のことですが、運動神経自慢の僕にとっては悔しかったです。
それから毎日練習時間以外も弟と練習に励んでいました。その結果グループの中では1番強くなりました。
大学進学への決断は、IMGアカデミーに入学してすぐにしなければなりませんでした。
正直、ハーバードやイエール大学に進学したかったのですが、SATとテニスの実力が足りずに断念しました。
僕は絵を描くことも好きで、小さいころからよく周りのに才能があると言われていたので、他にやりたいことも見つからず、アートの学校に入学しました。もちろんテニス部のある大学を選んだので、大学のテニス部に所属しました。
僕の大学はDivision3の大学で、スポーツより学業に力を入れていたため、学業とテニスの両立がとても難しく、テニスをする時間がほとんどありませんでした。
冬になると積雪によりコートが使えなくなるため、週に1回しか練習できませんでした。やりたい事から脱線してと感じ始め、
僕は自分のテニスへの信念の強さを改めて感じ、大学を退学するという大きな決意をしました。
大学1年の終わりにはスペインのサンチェスカサルアカデミーに移動しました。
スペイン留学(19歳から)
サンチェスカサルアカデミーには1年いました。練習相手はプロを目指す年下選手が多かったのですが、僕らは周りと比べてテニス歴が確実に少なかったので試合も負けてばっかりで、毎日悔しいおもいをしていました。
ですがテニス歴2年ほどの僕の実力は、テニス歴8年や10年の人に値するものでした。
サンチェスで1年間のトレーニングが終わり、次は4slamという小規模のアカデミーで3ヶ月トレーニングしました。
その間に、昔いたサンチェスアカデミーの1人のコーチから僕と弟のプライベートコーチになりたいというオファーがあり、悩んだ末承諾し、新しい環境で3人で練習をスタートしました。
2年目にはアルゼンチンに3か月間移り住み現地で練習し試合もしました。
しかし契約とは違い試合も全然ださせてくれず、他のプレーヤーと練習も組ませてくれない、そんな毎日が同じルーチンの日々でした。
1年眼は著しく上達しましたが、2年目になるとモチベーションもなくなり、自分がテニスをやっている意味も目標も消えつつありました。
そして3年目のはじめにコーチを解雇しました。
もちろん、コーチのおかでで成長し学んだことも沢山ありました。コーチの解雇はこれもまた僕たちの中ではとても大きな決断でした。
現在(23歳)
2年間毎日僕らにテニスを教えてくれたプライベートコーチを首にするのは容易ではありませんでしたが、現状を変えるのは自らの行動であると考え、自ら環境を変えました。色々な縁もあり、今この文章をかいてる約1週間前(2019年5月7日)から元世界ランク65位で現在も現役選手のPere Ribaコーチ監督のもと僕らはバルセロナで毎日練習に励んでいます。
練習はほぼ毎日マンツーマン、練習相手も弟以外に数人いて、たまにはプロとも練習することもあります。
コーチ達の質も非常に良く、僕に合っているのでこれからの伸びに、自分自身ものすごく期待しています。
現在の目標は、「グランドスラムに出場」し、センターコートで勝利を挙げることです。
とても困難な狭き門であり、無謀で不可能と思われるかもしれませんが、僕は自分を信じ切って毎日少しでも夢に近づけるよう、一日一日をチャレンジしています。
最後に
まだまだ未熟な僕ですが、僕の人生がほんの少しでも誰かに影響を与えることができればと思っています。
経済的に厳しい中、自分らの生活を犠牲にして働き、僕らに貴重な経験の数々をさせてくれた親には心の底から感謝しています。
テニスで自分の夢を叶え、親孝行できる日まで頑張ります。
皆様の応援がこれからも僕たちの大きな力になります。
どうか応援よろしくお願いします!!
まとめ
1996年、東京に双子の長男として生まれた。
幼稚園はスポーツに力を入れているバディスポーツ幼稚園に通った。バディではスキー、サッカー、体操など色々なスポーツをやった。
小学校当時は10数個の習い事をしていたので、毎日放課後に習い事に通うという日々を送っていた。
テニスは小6からイギリス留学する中学3年生までの3年間、週に1回で習った。
中学3年生の時に渡ったイギリスではテニスは全くせず、ラグビーやホッケーなどを経験した。イギリス在住期間は高校3年生までの三年間。語学留学としていったイギリスだったが3年目に久しぶりにテニスをしたら、目覚めてしまい、
遅くながらテニス選手になると決意し、高校最後の年をIMGテニスアカデミーで送り卒業した。
大学はニューヨークの美術学校に入学し、テニス部に所属したが、練習時間があまりにもなく、自分のやりたい事から脱線してると感じ、1年で停学。その後スペインのアカデミーに移った。
スペイン2年目にプライベートコーチと契約を結び2年間頑張った。アルゼンチンにも3か月滞在し練習、試合をした。
しかしコーチに対しての不満が日々つのり3年目に解雇した。そして現在、元世界ランク65のペレ・リバ選手のもと夢に向かい全力で毎日トレーニングに励んでる。
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