演芸・落語との思い出〜桂枝雀「猫」

初めての落語

桂枝雀「猫」

初めて落語を面白いと思ったのは、三十年以上前まだ小学校中学年のときでした。演目は家族旅行の飛行機で聞いた枝雀師匠の「猫」。

久しぶりの海外旅行と、機内上映のクロコダイル・ダンディーで泣くぐらい笑った結果とで、目が冴えてしまい眠れない中でたまたま出会ってしまったのが落語。当時は映画は機内のプロジェクターで上映されていて、イヤホンもチューブ式の聴診器のようなもの、チャンネル変更も文字通りダイヤルを回して音が変わり、選ぶほどの数もありませんでした。洋楽・邦楽問わず、あまり音楽へ興味がなかった私が行き当たったのが落語でした。

ふにゃふにゃとした語り口で語られていく男と猫の不条理な話、夢中になって「お刺身は?」という猫の口調を真似しながら、帰りの飛行機で何周も聞いていました。子どもの記憶力は恐ろしいもので、すっかり話を暗記して祖父母の家で披露して天狗になっていました。

今思うと東京の人間なのにそこで上方爆笑王の枝雀師匠と出会えたこと、そして英語落語で海外公演を成功させていた乗りに乗った時期の師匠であったこと、子どもにも判りやすい新作落語だったこと、衝撃的なサゲであったこと、周りの大人が優しかったこと、全て良い条件だったと思います。

そこから落語にはまり、本の虫だった僕はちくま文庫の落語本を集めて話を覚え始めます。将来は落語家になりたいなんてことを言って、それを祖母も面白がり、末廣亭に連れて行ってもらい、トリの柳昇師匠で笑ったりしていました。祖母は医者になってほしかったようですが。

子どもの興味で長続きせず、その後は落語から離れていってしまい、読書はファンタジーやSF、テレビで見るのは映画といった趣味に流れていきました。

今思えば、もっと音を聞いておけば、寄席につれていってもらいたかった、となるのですが、当時も落語は主流のエンタメではなくなっており、テレビで落語を見る機会はほとんどなく、普通の子どもがついていくには厳しい時代でした。

枝雀師匠が亡くなったことも大学生のころになんとなく耳にしたのですが、悲しいというより少年時代を思い出す寂しさの方が強かったかもしれません。枝雀師匠の「猫」を再び聴くことになるのは、初めて聴いてから30年も経った後、それは別の話。



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