「こうなりたい」の描き方
年初にあたり、昨年自分が書いた「やりたいことリスト」を見返していて思ったこと。
誰かに「~してほしい」とか、「こうなってほしい」「私に~してほしい」とか願うのって、自分の「やりたい・こうなりたい」ではないな。
エゴやな。
まあ、それがにんげんだもの。さちを。なんだけれども。
たとえば「ヴィアティン三重がJリーグに昇格しますように」は、主人公がヴィアティンなので、私のリストに書くなら「ヴィアティン三重のJリーグ昇格に向けて全力で応援できました、ありがとう」みたいな感じはどうだろう。
(写真 ムラさん)
全力で応援するのはわたしだけれども、
実際に昇格するかどうかは、わたしの手を離れたところにある。
たまに、「ほかの女性のところへ行った彼が戻ってきますように」のように書いている人を見ると、「戻るかどうかは彼が決めることだから、この願いは苦しいな~」と他人事ながら思う。これ、別の立場からすれば、「呪い」になりかねない笑
「わたしにとってベストなパートナーと出会えました、ありがとう」くらいにしてはどうか、と思うが、まあ、こうやって思うこと自体もエゴかもしれないので、そっと心にとどめておく。