見出し画像

再びレミゼラブルを観た(善悪とは)

お正月に映画館でレミゼラブルを再び観ました。DVDも持っているのですがやはり映画館で観るレミゼは格別で素晴らしい音響とスクリーンで世界に浸ることができました。前回映画館で観たのは公開された2012年。娘を幼稚園に送ってその足で自転車で映画館に来たことを覚えています。その時一番感情移入したのは幼い娘を持つフォンティーヌで彼女のままならない人生に涙したものでした。そして今回12年を経て一番胸に迫ってきたのは刑務所の看守であり警官のジャベールでした。

12年の間にというかこの3年の間に私の中で大きく変わったことがありました。それまでの私は善悪であれば善をよしとしてきました。正義と悪があるなら正義を。問題と解決なら解決を。優しいと意地悪なら優しいを。ポジティブかネガティブならポジティブを。二極があるとしてその一般的に良いと言われる方をよしとしてきました。(言い方むずかしい)算命学で陰陽のどちらに優位性はないとお伝えしているのにです。

例えばネガティブなことを言ってはいけないという思い込みがあったのですが、それはなんで?と自問していくうちに、相手を傷つけたくないからという答えが出てきて、なんで相手を傷つけたくないの?とまた自問をすると、相手が傷つくのを見たくない。相手を傷つけるのが自分であることが許せないということに気づいたわけなのです。そしてポジティブなことを言ったなら絶対相手を傷つけないのか?と考えたらそれもそれで傷つけてしまうこともある。。。
どっちにせよネガティブなこともポジティブなこともおんなじじゃないか!と腹落ちしたのです。

こんな風に思い込みや価値観が変わっていく途中で前の価値観に引っ張られて苦しくなったりしました。それこそネガティブなことを言ったりやったり(例えば、、頑張ってやればできるのにやりたくないから頑張ってやらないとか←言い方むずかしい)するときは自分が自分でなくなるくらい苦しくなることがあります。
なので川に飛びこんでしまったジャベールの気持ちが痛いほどわかって号泣してしまったのです。ジャベールは彼の正義を貫くことで生きてきました。そこで彼の正義を揺らがすジャンバルジャンに出会ってしまった。彼の正義を貫くことができない自分。自分が自分でなくなる感覚、何もかも許せなくなる感覚。

そんな訳で久しぶりにレミゼラブルを観たら自分の意識や感覚が変わっていることに気づいたという話でした。

この3年間で自分の思い込みや価値観を見直して自問自答していくときに助けになったのがレイキとボディフィールドです。
今ボディフィールドワークのモニターをやっています。ボディフィールドとは
ぜひお試しいただきたいので興味ある方お問合せお待ちしています。
お問い合わせ先


いいなと思ったら応援しよう!