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執着を小さく手放す

これはこの前広島に行った時、飛行機の窓から見えた青空の写真🛫
最近晴れてるから、こういうきれいな青空がよく見える。空みたいな青色が僕は色の中で一番大好き🌅

「執着」と聞いて、皆さんは何を思い浮かべたり感じたりするだろうか。

なにかに執着する、なにかに執着してしまっていると聞くと、なにか自分では変えなきゃと思っているけどなかなか変えられないもの、みたいなのがいくつか思いつく。例えば、どこかに行きたいなと思いつつ、なかなか自分の居場所から出れない時。勇気がなんとなく出ないから、今のままでいいやと思って新しいことになかなか手を付けられない時。習慣づけようとしたいことがあるけど、なかなか重い腰が上がらない、などなど。

僕が思う執着は「いまなんとなくやり続けている無駄な習慣」とか「なかなか思考を変えられないもの」のようなものだな、というのを最近気付いた。

そんな僕のおもう執着を少しずつ手放してみようと思い、最近なんかいろいろ実践してみてなんかうまくいってるなと思っていることをいくつか文字におこしてみる。

やりたいことのハードルをとにかく下げてみる

誰もがやってしまいがちなことのひとつに、やりたいこと、いわゆるToDoリストをつけてその項目ひとつひとつをやっていくけど、なぜか一生チェックがつかないことがある。やってるけど、どこまでやったのかわからない。そして1日が終わったあとに、できたことの項目はあったけどできなかったことの項目のほうが多いことを視覚的に感知したあとため息をつく。「あぁ、今日あれだけ意気込んでやりたいこと決めたのに、なんかほとんどなんかできなかったなぁ…」と。

最近本をいろいろ読んでいくうちに(※最近読めた本かなりあるので書評的なのも今後書いていきたい)ある一つの方法論みたいなのがよく出てきたことに気づく。一つのToDoを細かく分割することである。至極当たり前にいろんなところに書かれてるけど、実際僕も含め、こんなシンプルなことをちゃんと実践できてなかったことに気づく。

例えば「掃除する」というやりたいことがあったとしても、そもそも何をもって掃除するが完了するのか?みたいなのって結構曖昧だったりする。

僕の場合、家がメゾネットタイプ(自分の住まいに1階と2階があるタイプ)なので、

  • 2階を掃除する

  • 1階を掃除する

みたいな感じで分割すると、とりあえず2階を掃除すれば完了するし、更に1階も掃除できたら完了とあり、2つが完了すれば「掃除する」という大枠も完了する。めっちゃシンプル。

でも僕はこれでも無理な場合がある。その時に見つけたPIVOTのあるこちらの動画では「5分でできることにする」みたいなのを紹介されていて、最近は結構僕はこれがしっくり来ている。めちゃくちゃ項目増えるけど、そのかわりめちゃくちゃ完了がしやすくなった感触があった。

5分でできるようにすることを意識して分割

  • 2階を掃除する

    • ベッドをよける

    • ベッド下を掃除機かける

    • ベッド下をモップがけする

  • 1階を掃除する

    • トイレを掃除機かける

    • トイレをモップがけする

    • リビングを掃除機かける

    • リビングをモップがけする

    • 机まわりを掃除機かける

    • 机まわりをモップがけする

    • 玄関を掃除機かける

    • 玄関をモップがけする

1個あたり5分と考えると、小項目が11項目。5×11=55分くらいなので、だいたい1時間以内に掃除終わりそうだな、っていうのも雑な見積もりとしてわかる。そして実際1つのタスクは5分以下で終わると思うと、多分体感もっと早く終わる。僕はいつもこれを30分くらいでいまのところできてる。最近こういう小さな意識と、とはいえ完璧にやらずに「まぁ大体掃除機かけたらチェックでいいでしょう」みたいな雑にやってもオッケーくらいの判定で軽率にチェックを入れている。このくらいやってほぼ毎日続くなら、習慣化としては勝ちなのではと思えたりする。そのくらい日々雑に生きていいのだ。


「俺って20年、30年先もこの仕事やってるのかな?」って問いをたててみて感じたこと

僕は2017年に新卒で入った会社からカウントすると実にデザインという仕事を7年していることになる。(厳密に言うと1年半ほどハッピーニートだったのでそこの期間を引くと5年半くらいになるけれど)

でももともと大学1年生のときからデザインを趣味でやってるとなると、更に5年プラスされて12年になる。12年・・・Photoshop のバージョンがまだCS3あたりから使ってた身からすると、10年以上デザインやってるってすごい。そこまで継続できる仕事に巡り会えたのは振り返るととても幸せに思う。

でも最近、正直言うと…デザインという仕事に飽きてきたw

じゃあ、デザインを今年中に手放すのかというと、それはあまりに唐突すぎるので離れたとしてもまたデザインの仕事に戻ってきそうな感じはある。この感覚はまるで、英語学習頑張ろうと思ってiPhoneの言語設定を英語にしたけど、全然理解できんすぎて結局日本語に設定戻したら「こんなに日本語って快適なのか」と思って結局こうなっちゃう、みたいなのと似ている。

でも何度もこの数年で思うことはある。というかデザインの職についたときから「俺って一生デザインの仕事できるのかな?」っていうのは思ってきた。それこそ今、AIが台頭してきてAIに仕事奪われるんじゃないかとかいろいろ騒がれているけど、そんなことよりもデザインという仕事を生涯でやり続けていいものか?というところが長年の疑問だった。

最近そういうのに少し気持ちが軽くなったきっかけがあった。たくさんきっかけがあったのだけど、例えば僕はハードオフなどで売っている、壊れたゲーム機や機材(=いわゆるジャンク品と呼ばれるもの)を買って、それをネジで中身開けて、はんだ付けをして部品交換してまた動くようにする、みたいなのがここ1年で平気でできるようになった。

メルカリとかで安く買った「壊れた3DS」を修理している様子

最近リスキリングとかも政府が後押ししていたりするので、全然デザイン以外のこういったスキル習得は悪くないし、興味あることはとにかくやってみる精神なので、まぁ失敗するかどうかなんて結局やってみないと僕はわからないので、軽率に修理するとかやってみた結果めっちゃハマって、最近よく壊れたものを見ると「絶対直せるこれ」って全く根拠のない自信が身についてしまった。

話を戻すと、つまりはデザインという職を手放す、となった時にすぐに手放すんじゃなくて、少しずつ手放す、が人間にとって心地いいのかなって思ったりした。キャリアとしては12年もあるのだから、1年目の人よりも経験があるからもちろん教えれることはたくさんあるし、まだまだ教わる側でチャレンジするところもたくさんある。けれど折角一生に一度の生涯を得たのだから、それを20年、30年もやってしまってもいいけど、他のこともやっちゃだめって誰も言ってないのだから、やっていいんだって思えると、なんかそこに小さな自由を見つけたような気もする。手放した分だけ何かを受け取れるんだって思うと、手放すことが少し怖くなくなるのかなって思ったり。


やりたいこと100作りきった話

今年のやりたいことリストを今月頭につくりきった話をして終えようと思う。とりあえず俺えらい!!!!

やりたいこと100(のうちの15個)

早速達成してしまったものもあれば、あともうちょい!だったり、まだまだこれからだな!ってやつもあったりで、作っててかなり楽しかった。毎日見返せしながら振り返れるようにしたいな。もし誰かやりたいこと100作った人がいたらみせあいっこしたいな。僕は欲張りなので、やりたいと思ったことは一生をかけて全部やる!!それが僕の生き方だったりする。

というお話( ´ ▽ ` )ノ

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Brian / skinnybrian 🔆
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