僕は(今のところ)両親が嫌い
久々にエッセイっぽいものを書いてみる。内容はタイトルにあるように、両親の話。僕は両親が嫌い、今の所。今まではそう思ってなかったのに、この1年でようやく自分の中のこういう気持ちに気づいた。中学高校に反抗期が来てなかったのもあったせいか、ようやく自分に遅れた反抗期が訪れた、そんな気もする。
その過程みたいなものを、僕の視点で昔の経験を振り返りながら書いてみる。
昔から怒ることしかしない父、何もしない母
正直なところ、生まれてから今まで、「家族が好き」みたいなことがなかった。唯一今も言えるのは、弟とはとても仲がいいということくらい。今は両親に会いたいから帰省する、みたいなモチベは一切ない。特に父親は厳しかった。このnoteを父親が読んでしまうとキレて電話してきそうかもしれないけど、僕はそっと無言で電話を切る覚悟はできているのでとりあえず書く。
ほんとに幼少期からいい思い出がない。覚えているのは、行儀や礼儀がまだ理解できてないのにそれができないと父親から殴られ蹴られ、挙げ句の果てに暗い部屋で1〜2時間正座させられ、10〜15おきに監視が巡回するようにやってきては、少しでも動けばまたその場で殴られる。これがほぼ毎月あった。僕はとにかくそういう怒られたりされたくないように振る舞わないとこの家で生きていけない、そんなことを思いながら生活していたように思う。
そして父親は極度に泣くことを今でも嫌っている。「男は泣くな」「泣いたら殴る」みたいなのを言われ続けた結果、どうしても嫌なことされて泣く度に殴られていた。小学校〜中学校は特に学校の人や塾の人ににいじめられたことに泣いて帰ってきた時も、父親はいじめられたことよりも僕が泣いていることに腹が立って同様に殴られ蹴られをされていた。居場所がなかった。
一方そこで母親が守ってくれるのかなと期待していた。しかし残念ながら母親も父親に対抗する力がなく、ただただ黙ってその場で見てるだけだった。記憶の中には、それを守ってくれるようなことはほとんどない。ハグされた記憶もない。一体母はどんな気持ちで僕と父との関係を見ていたのか今もよくわからない。でも守って欲しかったなって今でも思う。
実家帰省して感じたもの
両親は今年齢で言うと60歳手前あたりになっているのもあり、去年、一昨年に1〜2回帰省したときは、怒られることもなく、家族で囲んで晩飯をたらふく食べた。
ただ父親は昔から典型的な亭主関白なのもあり、母親に向かって「ビールもってこい」「鍋の具材が足りない」など言ってはそれに母親は従って動くようなのは色褪せていなかった。たまに母親が段取りミスると「お前はあんぽんだな」と父が母に向かって言って、それに母が黙り込み、僕も過去の記憶思い出してその場で何も言えないみたいな状況がたまに作り出される時は辛かった。完全にトラウマである。
年末年始やお盆とかで1週間くらいの実家滞在は大丈夫だったけど、以前体調悪くなって休職した直後に実家帰省した時は3ヵ月くらいいた時はこの状況が毎晩続いたので全く心おきなく過ごすことができず、小田原の自分の家に帰った瞬間にとんでもない落ち着きを取り戻したのは今でも覚えている。ああ、実家はもう落ち着ける居場所じゃないんだなと気づいてしまった。
たまたまハグされた時に感じた衝撃
今でも忘れられないことがある。30歳になって間もない頃、とあるコミュニティのイベントで仲良くなった友達から「ハグしてもいいですか?」と言われた。日本は欧米に比べると親しい人や家族にハグする慣習はないものの、ハグすること自体は僕は別に悪いことだと全く思ってなかったのでハグを受け入れた。
その瞬間に、いままで感じたことのない感覚を感じた。ハグって、こんなに暖かくて、辛いことがなかったような感覚になって、心から安心できる気持ちになれることが衝撃的すぎたのである。
そのときにふと両親のことを思い出した。母親からハグされたことはあったけど、本当に1,2回しかなかった。それ以外は緊迫した実家でただ親にいい顔してるだけの日々だった。なんでこんなことすらされてなかったんだろうと思うと、その場で泣きそうになった。本当はいっぱい泣いてよかったんだけど、昔のトラウマで、泣くと怒られるからその場では泣けなかった。
この年になると、僕の周りの友人たちはすでに結婚して子供もいる家庭も多く、そこに遊びに行ったりは今でもよくする。その中で、訪問先の友達夫婦が度々子供がだっこをねだってきてはだっこしたりハグしたりする光景をみて、すごく恥ずかしいんだけど、ちょっと子供が羨ましいな、って思う時も度々あったことを思い出したりした。
ゲシュタルト療法ワークショップでの大きな気づき
2024年3月に、友人の誘いでゲシュタルト療法のワークショップを受けに大阪に行くことに。ゲシュタルト療法は簡単に言うと、参加者と一緒に過去の体験(トラウマ、長年の悩み、未解決のことなど)を再現して、その時の気づきを得たり再認識する、みたいなことをやるワークショップである。(詳細は検索とかしてみるといいです)
そこで僕は前述したような両親の関係性についてとりあげてもらうことになった。過去の体験を再現してもらうのはとてもシンプルで、僕のセッションの場合は参加者がその時の登場人物の役を渡されて、その時にその人たちが言っている言葉をただ言い続けてもらう、というもの。その時の役回りは
ブライアン役(=僕ではない人)
母親
父親
先生
いじめっ子①
いじめっ子②
と言った感じで6人出てきてもらった。僕の役の人がいるので、僕はこの6人を客観的に見れる立場だった。
そして再現が始まる。僕役の人を囲むような配置で、父親は「男は泣くな」と怒り、母親は何も言わずにただそこに居るだけ。いじめっこ①②はとにかく当時言われて嫌だったことを言い続け、先生は呆れた顔で「君が泣くことでみんな迷惑してるから」と言い、それを僕役の人がただただ言われているのを聞いている。地獄絵図だった。でも僕の中ではほぼ完璧に当時の状況が再現されていたせいか、昔の記憶が蘇ってきてそれで頭がいっぱいだった。
そして僕はその場でめちゃくちゃ泣いた。最近泣いてなさすぎで、今までのツケを払い切るかのように、ずっと泣くのを堪えてた気持ちを放せたような気がした。
僕は、僕自身が守るということ
大きな気づきが一つだけあった。それはあの頃守ってくれた人が誰1人居なかったこと。すごく残酷だけど、この状況に両親ですら僕を守ってくれなかったこと。全部1人で抱えてるしかなかった状況だったこと。そりゃあ俺、生きることが辛いよなって思ってたなってこと。
そんなことを思いながら、僕役をしてくれた人に僕はハグをした。擬似的だけど、自分を自分がハグした状況になった。そうか、自分なら自分を守れるんだなと、そこで気づいた。忘れられない気づきである。僕役の人もめちゃくちゃ泣いてた。僕はハグしながら「大丈夫だよ」って声をかけたら、お互いにすごく安心ができた。30歳にもなってこんな気持ちに気づくの、遅すぎたのかなとも思ったけど、今だからこそ気づけたのが人生で本当に良かったなと今でも思う。
これからの両親との関係をどうするか
この日以来、僕は実家に帰らない、LINEで連絡かあったとしても最低限にする、たまに親に頼ることもあるけど、親孝行しなきゃとか、いい顔しなきゃとか考えず塩対応する。シンプルに言うと親に反抗する、ということをしていこうと思う。反抗期をこんなに宣言してるnoteとか事例を僕はあまり見たことがないけど、なんかどこかに宣言したくなったのでこんなことを書いてみた。中学高校で反抗期が来なかった分、僕は存分に反抗期をしていこうと思う。
おわりに
こう言う言語化をあまりしてこなかったので、今年は自分の中で起きてることを少しずつ言語化していきたいなぁと思ったり。同じ経験や似た経験をした人ともぜひお話ししてみたいなと思う。
ゲシュタルト療法に参加してた人の中には、実際に結婚していて子供が既にいる人もいて、その人からみた僕の経験はとても衝撃的だったとコメントをもらった。いつ自分がそんな親になるかわからないとなると、考えさせられることが多かったという。
今やっと思えるようになったことは、親が当時僕をこうして突き放したように、僕も親を突き放していいんだ、ということ。本人たちはもしかしたらそう思ってないかもしれないが、当事者にしかわからない気持ちというものは確かに存在するから、残酷だけど、今ただ当時のことをやり返してるそんな感覚が近い気がする。
でもここまで色々言っても親に感謝することは決してゼロではないということをお伝えしておく。3歳の時に父親が突然買ってきたWindows95を触れたおかげでITの仕事に就くことができたし、乗り物が好きだったので定期的に新幹線に乗せてくれたりもした。今この記事を広島で書いてるが、小学生のころは毎年4月に父親が広島に連れてってくれたことも覚えてる。ただ、その目的は野球観戦で、僕は野球は全然興味なかったんですけどね…
だから、この反抗期が一生続くとはあまり思ってない。一時的なものではあるきがする。誰もがそう言う時があったと思うと、反抗期ってよばれるくらいだから今の僕の反抗期もただタイミングが遅れてるだけ、そんくらいの気持ちでこれから生きていこうと思う。
何より僕の宝物は、こんな僕でも笑顔でつるんでくれるたくさんの友人、弱い自分でも受け入れてくれた業務委託先の会社の人たち、親友がいたからこそ、今の自分がいる。それだけは一生感謝し続けていくと思う。そういうことをこれからも大切にしていきたい。
そんなお話でした( ´ ▽ ` )ノ