「やめてやる!」が実現しない原因
自衛隊の文句を言う。
「有能な人から辞めていく」と考えている。
お金に弱い。
自分には何か特別な才能があると思っている。
自衛隊界隈には、やめるやめる詐欺っていうのがあります。
やめると声を上げれば、優しい伍長が相談に乗ってくれるからです。
下っ端は普段から雑に扱われているので、大事にしてもらえると気持ちがいいのです。
もともと長くは続けないつもりで、任期制で入る人も多いので、退職に関しはオープンに喋れます。
自衛隊の文句を言う
文句や愚痴は麻酔のようなはたらきをすると思っています。
「やめてやる!」が起こるのは意志の力というよりも、そうせざるを得ない状態に近いです。バネがエネルギーを蓄えて反発するような感じです。
文句を言うとその時は気持ちよくなれますが、エネルギーが少し漏れます。これが行動を阻む原因です。
先輩方の努力の結果、昭和に比べば、だいぶホワイトになっているといいます。パワハラなんて受けたことがありませんし、私の周りの人はみんな優しかったです。それでも、不公平感やストレスはゼロではありません。
私はこのストレスの8割が、他人由来ではなく自分由来であるということに気づきました。ちょっとしたストレスでも、反応するとエネルギーを使い、そのエネルギーが負の感情をさらに強化します。
嫌なことがあって怒りが沸くという状況が続くと、怒りを沸かすために嫌なことを探すようになります。感情が目的化するのです。
なんでこんなに怒っているのかわからないっていう人がいるのはそのためです。怒りたくて怒っているわけではありませんが、何回もそういうことがあったので習慣になっているのです。
感情が目的化してしまうと、「仕事=キツイことを我慢してやる」という定義が自然と出来上がります。
文句も同じです。自衛隊の文句を言う人は、自分に目を向けておらず、転職に必要なエネルギーを浪費しています。課題が外にあると認識しています。
そのうち文句を言うために同じ仕事を続けることになります。
課題は自分の中にあり、自衛隊にはありません。
「有能からやめていく」と考えている
いい加減やめませんか。人を有能か無能か判断するの。
自分がどんなに頑張って出来ていると思っていても、上司が出来ていないっていえばそうなんです。仕事のできるできないは、他人が決めることなのです。
自衛隊を続けている人は、自衛官として有能といえます。
だから、時の試練を耐えて残っている。
わたしはポンコツでした。ポンコツで仕事ができない自分を認めたくなかったし、その定義をリセットするために退職しました。つまり逃げです。
でも逃げた自分を卑下することは絶対にしません。そんなことをしてもなんも得もないです。根拠のない自信を道具として使わなければならいからです。
お金に弱い(特にギャンブル)
階級が同じであれば、支給される給料は大差ありません。不思議なのは、それなのに、貯金額に差が開くということです。
年収を上回る車をローンで買ったり、保険に言われるまま入ったり、防衛省の定額積み立てに無理な金額を入れたりなど。
パチンコなどのギャンブルも、ハマったら終わりです。
最初はみんな、「パチンコはやらない」と打つ人を見下します。
そして、「なんでも経験」と言って上司や同僚と試しに打ちに行きます。
そして、自分からハマっていきます。
ハマったら、ストレスのせいにします。
散財してから、その理由を後付けします。
パチンコではありませんが、私もFXでギャンブルをして50万円溶かしました。これがなかったらもっと余裕のある退職ができたと後悔しています。
自分には何か特別な才能があると思っている
キャリアや仕事は動詞であるべきだと思っています。
つまり、何になりたいかではなく、何をするかで仕事を選びたい。
才能があるかないかは、実際にやってみないとわからないです。
しかし、才能がある前提でいるとそれを試すのが怖くなります。
才能があることが目的になると、自尊心が行動を阻みます。
起業する、ライターになる、投資で食べていく...
失敗してダサいほうが、「本当は○○の才能が有るけどやらない」ってカッコつけるより得るものが多いです。
シュレディンガーの猫と同じく、試さなければ確定しません。
なんだかんだ安定している仕事なので、夢は夢のまま、確定させないままにしておくほうが気持ちがいいです。
皆さんは夢を語ったとき、逆に実現する可能性が下がるように感じませんか?
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