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捨てられない予備校行きのバスの回数券

「もう授業には参加しないです」

涙と鼻水をダラダラ垂らしながらカフェで恩師にこう訴えかけたのは、今から5年前の秋のことである。

宅建の資格を取るために予備校に通っていた私は、申し込み時点では全く想像していなかった理由で授業に行けなくなった。

大人として本当に情けないけれど、最後までクラスメイトの雰囲気に馴染めず、人間関係が心底嫌になってしまったのだ。

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宅建を受験しようと思ったのは、人生を変えるきっかけが欲しかったからだった。

大げさな表現に思えるかもしれないが、当時の自分は結婚したばかりで、それまで縁もゆかりもなかった田舎町にポツンと移住し、孤独を感じていた。引越しをきっかけに一度途切れたキャリアについても、この先どのように築き直していったらいいか不安で仕方がなかった。

「なにかしないと」

私はとにかく焦っていた。そんな時、ハローワークからの情報で短期集中型の宅建コースがあることを知った。

クラスに所属するには一連の手続きや面接が必要だそうで、確定するまでそれなりに心配したけれど、なんとかOKをいただけた。

「合格したらその先の人生も少しは見えてくるかも」

そんな期待と緊張感を胸に抱きつつ、約4ヶ月の間、週5日の朝から夕方まで、予備校に缶詰になり勉強に打ち込むことになったのだった。

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授業に参加していたのは、老若男女さまざまな属性の人たちだった。全部で20名近くいただろうか。

よく喋る明るい人たちが偶然集まったようで、休憩時間はだいたい授業と関係ない話でガヤガヤ盛り上がっていた。

私はというと、実はこうした雰囲気が大の苦手だ。

できるなら一人でしっぽりと、テキストをパラパラしながら休み時間を過ごしたい。でもクラスメイトに嫌な顔はできないし、最初はかなり無理をして、話やテンションを合わせてケラケラ笑ったりしていた。笑顔、笑顔。

それが辛くなってきたのは、宅建の学習がどんどん進んできたからだった。宅建を勉強したことがある人ならわかると思うが、ここ数年内容が難化していて、中途半端に手をつけてもなかなか合格できない。

「合格しなければ人生が終わる」

本気でそう思いながら毎日を生きていた私は、内容が日に日に難しくなってきているのにクラスの雰囲気が全く変わらないことに違和感を覚え始めていた。

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試験日が近づくに連れて、違和感が確信に変わった。本気な人と本気でない人が、完全に分裂してきたのだ。

本気でない人は早退や休みも増えていった。その割には、小テスト中などのシーンとした瞬間を除いて、大きな声で雄弁なトークを繰り広げた。

この頃、クラス内に暗黙の了解みたいな雰囲気があって「勉強に本気でなくても、明るい人が居場所を持てる」という風潮ができていたように思う。

勉強に本気でおとなしい私には、当然居場所がない。もう周りに合わせてテンションアゲアゲを保てない。限界だ。

最後の糸がプツンと切れたのは、意外なやり取りがきっかけだった。

本気側だと思っていた人に、クラスの雰囲気についてポロッともやもやの感情をこぼしたのだ。するとこんな返答を得た。

「ああいう人は社会のどこでも生きていけますよね」

え? すっかり自分に同調して「もっと本気で合格を目指す雰囲気の中で勉強に打ち込みたいですよね」と言ってもらえると思っていた。張り詰めた心に、ほんの少しだけ安心感が欲しかった。私は全身から血の気がサーッと引くのを感じた。

そうか。社会から求められているのは自分のようなつまらない不器用人間じゃないんだ。一生懸命に汗水垂らして机に向かっていた私は、自分の全部をグシャッと握りつぶされた気持ちになった。

翌日から私はクラスに行けなくなった。

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その後、恩師である予備校の先生がカフェで話を聞いてくれたり、授業で使うはずだったミニテストをまとめて渡してくれたりした。そのおかげでなんとか試験当日を迎えるまでにメンタルを持ち直し、受験することができた。

現在私は、宅建の資格を民泊運営に役立てている。田舎町にある夫婦経営の小さな宿だ。

宅建を王道の活かし方ができていないあたりが未だに不器用だなあとは感じているものの、宿の運営は学生の頃から思い描いてきた理想の仕事に近い。「また必ず来ます」と言い残してチェックアウトしてくれるゲストの方を見ると、毎度報われる思いだ。

ちなみに5年経った今もまだ、その頃使っていたバスの回数券を捨てられずになんとなく取ってある。いろんなものが詰まっている気がするから。

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菊地早秋
そのとき必要なことに必要な分だけ、ありがたく使わせていただきます。

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