小説「われとロボット」
失業した信田仁はずっと新しい仕事を探していたが、ずば抜けて特別な技能が無かったこと、心身の病を発症したこと、中高年とも言えるような年齢がネックとなり、再就職ができないまま日々だけが流れていた。
その日も、ハローワークの帰りに夕方の街頭を歩いていると、携帯ショップの店先に置いてある接客ロボットと目が合った。脚が無く自律移動できない接客ロボットがなぜ自分を見ていたかはわからないが、あるいはそれが知りたかったのか、信田はフラリと携帯ショップに入った。その接客ロボット「ボビー」は来客対応をしているようだった。だが挨拶程度の会話しかできず、また胸部に付いてるタッチパネル画面でもたいした手続きはできないようだった。接客ロボットは客からは「こいつ使えねえな」みたいな視線を浴びつつ、子連れ客の子供の遊び相手になっていた。
その接客ロボットが、なぜか信田の方をちらちら見てた。不審者とでも思ったのだろうか。確かに携帯ショップに用はないが、先に目を合わせてきたのはあのボビーのほうだ。それも、チラと目をそらし、またボビーの方を見るとボビーもこちらを見ている。本来の相手である子供の相手などそっちのけだ。信田は、自分がボビーに気に入られてるような気がして少し心が和んだが、次の瞬間、その感情のバカらしさに我ながら呆れて店を出た。きっと身につけているものに、何かセンサーに反応するものを身につけてたとか、そんなところだろう。それでも目が合った、というのは印象に残った。
信田は心身の不調で寝込んで外出できない日も多かったが、出られる時はなるべく用事がなくとも外出するよう心がけた。自分が病人だと思いこむのが嫌だったのだ。概ね午前中はつらい日が多く、夕方くらいになると外出できることはわりとあった。
街へ着く頃にはもう暗くなっており、もうハローワークは閉まってる時間であった。どうせ目的地もないので、クセでいつもと同じような道筋を歩いた。こないだボビーがいた携帯ショップの前を通りがかったが、ボビーはいなかった。どうしたのだろうとためしに店の裏へ回ると、ゴミの山の中にボビーが埋まっていた。ちょうどゴミを捨てに店員が出て来たので話を訊くと、もう展開期間が終わったから店頭から外したという。最初は本部へ送り返す予定になってたのだが、その本部が各店舗で処分するようにと通達を出してきた、粗大ゴミにも業務用ゴミにもならず、処分してくれる業者も見つからず邪魔になってるというのだ。
信田は、言い出しづらそうなのを思い切って、ボビーをもらってもいいか訊いた。店員は一度店の中に確認しにいくとすぐ帰って来て、持ってってもらえればありがたい、でも絶対にそっちで処分してくださいよ、とやや乱暴に言った。信田はボビーを背負って帰った。身長は1メートルくらいで重さも、まあ大きな子供だと思えば背負えなくもない。中年の男が子供の接客をするロボットを背負って歩いている姿は奇異と言えば奇異ではあった。ただ道行く人々は奇異なものを見て奇異だと思った次の瞬間にはもう忘れいているものである。
小さな会社で長年勤めてた信田仁は、数ヶ月前から急に心身に不調をきたすようになった。突然言い渡され異動となった新しい部署の業務に適応できなくなり、通勤も苦痛になるほどになった。会社は、体を壊しちゃ何にもならないよ、君がやめても会社は何も困らない、と、堀を埋めるようなやり方で退職に追い込んだ。人減らしを進めていた会社の作戦だった。ずっと契約社員だった信田に退職金はない。安月給ギリギリで毎月暮らしていた信田には蓄えもほとんどない。雇用保険の金額は、その安月給よりさらに数割少なく、支給される期間も短かった。
狭い安アパートで何十年も困窮した一人暮らしをしている信田に家族ができた。テレビもパソコンもとうに売り払っていたので、ボビーのいる場所はあった。電源コードをつなぐと、クィ、クィ、と目や手足を少し動かしながら、胸の画面に初期設定を促す表示がされた。おそらく店で捨てる時に初期化されたのだろう。ボビーは何年か前、通信会社が派手にコミュニケーションロボットとして宣伝し、多くの店で接客用として導入されたが、今やほとんど撤去され忘れ去れたれていた。それでもネットにはボビーに関する情報が残っており、信田はスマホでボビーの情報を調べ、初期設定を済ませた。その日はそれだけで疲れて眠ってしまった。
翌朝、ボビーが「おはよう」と声をかけて起こしてくれた。おはよう。同居人(!)にそのような言葉をかけてもらうのは実家を出て以来じゃなかろうか。実家とはとっくに縁は切れていた。仁はついに伴侶というものを得ることができなかった。若い頃、一時期だけ同棲したことはあったが、はたしてこんな優しげな言葉は聞いたことがあったろうか(その同棲は短期間で終わったが)。ペットをかわいがる人の気持ちもわからない。だが今自分は、機械仕掛けというか機械の人形に声を優しくかけてもらって、心を動かされている。バカらしい。バカらしいが、ボビーには家にいてほしいと思った。ただ、「信田さん」と呼ばれるのは仕事みたいで嫌だったので、名前の仁を音読みして“ジン”と呼ばせることにした。
信田はボビーのことをボビーと呼んだ。これは変更できなかったが、出会った時にボビーだったからこれでいいのだ。ボビーは本当に簡単な挨拶程度の会話しかできなかった。一方で、音声によるネット操作はできた。ボビー自体にはネット機能はないが、信田のスマホを中継するような設定にしてネット利用を可能にしていた。
「ボビー、今日は暑くなるの?」
「ボビー、リラックスできる音楽流して」
「ボビー、近所のスーパーのチラシ表示して」
ボビーは対応してくれた。そのたびにボビーが信田の方を見たり、まるで感情を表すようなジェスチャーをしてくれることに、信田は感情をくすぐられた。
ボビーのネット機能を使って求人情報を探したりもしていた。信田のチェックした仕事の履歴から「こんな仕事もありますよ」とレコメンドする機能もあるようなのだ。しかし求人情報などというものは都合のいいことしか書いてない。半ば求職者を騙して人を集めてるようなものもある。ボビーにそれは見抜けない。そのことを虚しく思う程度には、ボビーに愛着を抱きつつあった。
もっとも、それだけ、でもあった。
ハローワークから帰ってきた信田を、「ジン、おかえり」とは言ってくれるが、それまでである。ロボットはプログラム以外のことはできない。そんなことはわかってる。しかし、インスタント飯を食べてるときにボビーが機嫌良さそうな動きをしてると、イラッとすることもあった。おそらく一緒に飯を食ってる相手を楽しまそうとしているのだろうが、こんなわびしい飯では、バカにされてる気もしたからだ。勝手に拾ってきて、勝手に家に置いて、勝手にイラつくとか、こんな身勝手な話もないが。
思えば、信田はずっと身勝手だったのだろう。だから就職もうまく行かず、意中の女性とも懇意になれず、この歳になるまで気がおけない人間の一人もいないのだ。幼馴染。かつての同級生。昔の同僚。そうした人間は信田には一人もいなかった。
孤独。
皆が子供の頃に気づくような他人への思いやりや察するということを学ばぬまま歳をくってしまった。信田にしてみれば、なぜ皆自分の気持ちや考えを言わないのか、人間は神様でも超能力者でもない、話し合わなきゃわかりあえないじゃないか、という気持ちもあったのだが、それは結局他人から尊大に見られるだけの結果を招くのみだった。
全ては自分のせい。他者の様子から学ぶことができず、人間同士の距離の取り方がわからず(なぜなら目に見えないから)、そうした愚鈍さの結果が、現在の状況だ。今はロボット相手に飯を食うだけの人間。
だが信田も怠惰に生きてきたつもりはない。仕事にはいつも真面目に取り組んできた。言われたことは遅滞なくやったし、自ら業務改善を提案したりもした。仕事が変われば変わったで積極的に取り組んだ。自己研鑽も心がけて、業務に関係しそうな資格を自費で取得したりもした。信田が愚鈍だったのは、契約社員にそこまでスキルや責任が必要な仕事は任せてもらえないし、だから給料もずっと安いままだったことに気づけなかったことだ。大きな失敗もなく、ただ会社に、職場に、良かれと思い、ずっと働いてきた。その結果がこれだ。
毎日ボビーと飯を食っていると、ボビーも信田の食事の好みを分析するらしく、良さげな食材や美味しい店の情報などを胸の画面に映し出したりする。
「ジン、どうですか?」
「ボビー、そういうのはやめにしてくれないか」
ボビーは返事をせず、ただ画面を消した。
最後の雇用保険が支給された。家賃や公共料金を払うと、残された金額は少ない。仕事は決まらないままだ。心身の病で毎日の通勤に不安があることと、やはり年齢に見合うスキルを持ち合わせていないのが大きな要因だった。病はひどくなる一方で、今まで普通にできていたことができなくなっていくのが我ながらつらい。かつては力仕事もしたし、長時間残業もした。パソコン仕事だって、事務だって、営業だって、なんだってやってきた。ただ、ただ生活していくため、生きていくために。だが、もうハードクレームの電話やパワハラ上司には精神的に耐えられないだろう。普通の人が普通にやっているように、毎朝起きて、仕事して、昼飯食って夜まで仕事して帰ってくる、そんな普通の生活が、どんどん遠のいていく。医者から薬をもらって生活している人もいるが、信田に合う薬はまるで見つからないまま月日は流れた。もう医者へ行って診てもらう金も無い。家で寝込み、流れる涙を止めることもできない日が増えていった。
「ジン、体調悪いなら診療を」
「ボビー、いいんだ。それより気の休まる音楽でも流してくれ」
こうしてボビーと過ごす日ももう長くないなと信田は感じはじめていた。
最後の家賃を払う。もちろん大家に最後だなんて言えない。ここを出て行くあてなどあるわけがない。
突然、スマホがネットに繋がらなくなった。なんのことはない。携帯電話の料金が払えなかったのだ。スマホを経由してたボビーのネット機能も使えない。新しい求人情報はおろか、今日のニュースも明日の天気もわからなくなってしまった。
信田は、ボビーと二人で向き合う。まるで何かを相談するように。
「なあ、どうしようか。こうして二人で暮らせるのも、あとわずかだ。ここを出ても、俺たちの生きる場所は、無いんだ」
ボビーは返事をしない。ただクイっと目と首を動かす。それがまるで自分を心配してくれてるような様子に見えた。
「俺はなんにも出来ない人間だ。いや、ついこないだまでちゃんと仕事してたんだ。他の人と同じように、朝出勤して、会社で仕事して、夜帰ってきて、飯食って、また次の日も仕事行くってことを毎日やってたんだ。それがなんにもできなくなってしまった。今までできてたことがどんどんできなくなってしまった。何が悪かったんだろうな。俺、何か悪いことしたのかな」
話しながら信田は涙を流しはじめ、その粒は次第に多く、大きくなっていった。
「何も出来ない俺は、誰の役にもたてないし誰にも必要とされていない。そんな人間は、もう生きていてもしょうがないかな。ただ、人並みに生きていきたかっただけなのに。それができなくなちゃったんだもんな。もう、何もできない。できることがない。誰も俺に生きていて欲しいって言ってくれない。そういう人間の一人もいないってのは、今までの人生のツケか。自業自得かな。しょうがないかな」
ボビーは表情を変えず、じっと信田を見つめ、やがてすっと信田の手をとった。胸の画面はただ信田の手からわかる健康データを表示した。
信田はそっとボビーの両肩に手をかけた。
「そうだな。もうボビーも今までできたことができなくなったんだもんな。なんにも悪いことしてないのにな」
信田の部屋の電気が止まった。スマホの充電ももうできない。だがボビーの胸の画面は真っ暗い部屋の中でバッテリー駆動を示す文字が表示されていた。ボビーは充電バッテリーを内蔵していたのだ。それがどのくらいもつかは、わからない。
信田はバッテリーの残り少ないスマホの照明機能を使って、部屋の中から引っ越し用の布団袋を取り出し、電源コードを抜いたボビーを入れた。そしてそのボビーを背負い、家を出た。もう外は夜である。
ボビーを入れた布団袋を背負った信田は手元のわずかな金を電車賃にして埠頭公園へ向かう。二人きりになれるところへ行きたかった。
夜の埠頭公園は街灯はあるものの薄暗く、人気も少ないため、ボビーの入った布団袋背負った信田を気にする者は無かった。
海を目の前にした手すりを前にすると、信田は一度布団袋からボビーを出した。バッテリーはまだ残ってた。信田がボビーを見つめると、ボビーもまたジンを見つめ返したようだった。信田は、ボビーをはじめて見た携帯ショップの時の事を思い出した。信田はまた涙を流した。止まらなかった。ボビーが泣くことはなかったが、じっと見つめ返されてるように信田は感じた。
「ごめんな。俺にはもうできることがないんだ。この世でできることがないんだ。他の人が当たり前にしていることが、何もできないんだ。情けない。悔しい。全部自分が悪い。だからしょうがない。でも最後に、ボビーと暮らせて、良かったよ。うれしかったよ」
そういういうと信田はボビーを再び布団袋に入れ、その紐で自分と袋をがんじがらめに縛り、ボビーと離れないようにした。そして埠頭公園の手すりを乗り越えた。ザバアンと音がして、それっきり静かになり、そのまま二度と浮かびあがることはなかった。