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夜とお母さんと自分語り
今思えば、物心ついた頃には睡眠に関して既に問題を抱えていた。
わたしが幼い頃、両親は不仲だった。
子供が産まれ母になった彼女と、父親になりきれなかった彼は毎晩喧嘩をしていた。
わたしの一番古い記憶は母が電話越しに父に怒鳴っている姿だ。
わたしは布団に入っていたけども眠ることができず、うつ伏せに毛布を抱えてちらりと母を見る。
そんな記憶。
次に古い記憶はなかなか夜に寝付けずに、ぐずぐず泣いているわたしを父が怒鳴りつける記憶だ。
一言で言うと、当時は家庭環境があまり良くなかった。
わたしは夜が苦手だ。
あの寝付けずにいつまでもゴロゴロ寝返りを打ちながら考え事が止まらない布団の中。いっそ起きていようものなら翌日が辛く、寝ずに過ごした日中は体が痺れてくる。
眠りにつくために、努力しようものなら余計眠れなくなる。
みんなが寝静まっているからわたしも布団で大人しく寝返りだけを打つ。そんな毎時毎日毎年を過ごしていた。
これはもう幼稚園の頃からと言ってもいい。
眠りが浅く、そして大抵夢見が酷く悪いのだ。
結局母と父は離婚したものの、しばらく母は荒れていた。
学生時代に一度母に「心療内科へ行きたい」と提案したが「そんなところ行ったら赤ちゃん返りしちゃうよ!」と一蹴された。
そんなことはない。学生のわたしでも分かっていた事だけども母からしてみれば、心療内科に行ってわたしが壊されてしまうのを極端に恐れたのだろうか。
幼少期から布団の中で手放せなくなっていたあんしん毛布を抱えるわたしはもう既に半壊していたけども。
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社会人になって一時アルコール依存症になった。
アルコールで酩酊しながらそのうち気絶する。
睡眠が浅くて眠った気にはならなかったけど、夜をやり過ごすのにはお手軽だった。
夜勤を始めた。仕事上夜勤が必要になり、気が付いたら勝手に夜勤勤務に指定されていた。
そこで夜勤明けに通い詰めたのが磯丸水産という居酒屋だ。24時間営業している居酒屋で、海鮮類がメインのチェーン店。
夜勤明けは必ず通って食べ物とアルコール詰め込んで帰った。
店員さんにもあっという間に顔を覚えられ、入店時の挨拶が「お疲れ様っす!」になっていた。
そのうち体調を崩してやめた。転職もした。
元々アルコールには強い体質だったが程々に飲むようになった。
一人暮らしを始めた。
生活全てを自分自身で行う。仕事、掃除、炊事、支払い。
そんな負担よりも一人で暮らすことの方が圧倒的に気が楽だった。何より豊かな夜を過ごした。
この家で起きているのはわたしだけなのでゲームしたり、絵を描くのにガチャガチャしても誰も気にしない。
たまーに賃貸の隣の号室から穏やかな楽しそうな笑い声が聞こえてくるのが心地よいくらいだった。
しかし時既に遅し、長年寝付けていない体は入眠障害となっていた。夜を過ごすことはできても睡眠不足は続いた。あんしん毛布はもう雑巾のようにズタボロだ。
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寝付けた日でも、夢見の悪さは相変わらずだった。
さらなる転職など色々事情が出来て、やむを得ず引っ越しをすることになった。以前と似たような賃貸を探し、手頃な価格。
いざ引っ越しを済ませ、その翌日の深夜2時。
隣の号室から男性の怒号が響いた。
布団に入ってスマホをいじっていたわたしの体は感電したかのように痺れ、動けなくなった。
「怒号だ」
そう、呟いて体がすくむ。何か思い出したくない記憶が脳みその中でチカチカ光っている。
布団の中で動けなくなった身体にまた突き刺すような怒号が隣から聞こえた。
隣人が何かにキレている?
やっと動くようになった身体を起こし不躾ではあるものの隣の部屋に耳をそばだてる。
コン、コン、コンと聞き慣れた音が微かに聞こえる。
これはゲーミングマウスをマウスパッドの上で叩くように振る音だ。
FPSゲームをPCで遊ぶ際は基本的にキーボードとマウス操作になる。わたしは長いこと多くの人とPCでゲームしてきたのでわかる。
乱暴にマウスを振った時に出る音だ。
隣人は深夜2時にPCでFPSゲームをしてキレ散らかしていた。
その晩だけで済めば良かったものの、頻繁に、時には朝5時に。彼はインターネットの向こうの人に向かって罵声を浴びせ、発狂し、キレていた。
警察に連絡をするも、数日後には再び怒号で体を痺れさせた。
賃貸の管理会社からの注意喚起の手紙も恐らくポストに入ったまま読んでいないのだろう。先に根を上げたのはもちろんわたしだった。
今まで撮った騒音動画を管理会社へ渡し続けていたからか、賃貸の解約違約金は免除された。
数ヶ月まともに眠れておらず心身共に擦り減り、仕事に出勤できなくなるほど常に体が痺れているようになったわたしは時たま連絡をしていた母に報告をした。
「実家、帰る。仕事やめた。」
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わたしが一人暮らしをしているうちに、同じく一人暮らしになった母は「普通の人」になっていた。
既に心療内科へ通っているわたしに対して理解、関心を示し、憑き物が落ちたかのように穏やかな人になっていた。
父と離婚して10年以上。常にピリピリしていた母はごくごく普通の、フラダンスと韓国ドラマが趣味のお母さんになっていた。
彼女も一人で暮らしていくうちに、自分らしさを見つけ、余裕ができ、楽しく過ごしていたのだろう。部屋作りに夢中になるわたしのように。
お母さんは無職になったわたしを受け入れ、生活を始めた。それはお母さんにとってまるで問題ない事だった。
一方でわたしは苦手だったお母さんに良くしてもらい、無職の負い目からかメソメソ布団の上で泣く生活を少しした後に、心療内科で色々試していた薬のうち身体に合う睡眠導入剤と出会った。
薬名は伏せるが、飲んでしばらくすると心地よい酩酊に見舞われる。気がつくと朝8時。
睡眠導入剤の副作用のうち、寝起きのだるさが挙げられるがわたしには倦怠感がほぼ感じられなかった。
そして何より、夢を見ないほど深い眠りについていた。
深く、深く、深く眠っていた。眠っているので当たり前なのだが、真っ暗だった。
心身共に調子がかなり良くなった。苦手だった夜も、リラックスするために買ったトルコランプ、お香と共に過ごす。
これから眠る、眠れるんだ。
そう思えるだけであれほど苦手だった夜が好きになった。
ちょっと早めに友達とのオンラインゲームを切り上げてパソコンを落とす。
多分、まだしばらく、この睡眠導入剤にはお世話になるだろう。わたしが上手に眠れるようになるその日まで。
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眠ることが楽しみで、逆にウキウキしてきちゃう。
でも、それくらい眠る事に対してきちんと向き合うことができた秋の夜長。
あったかくして寝てね。