日報:2019年12月23日 正しさはアートで伝えるのは難しい

日曜日だけ参加させてもらったStartupWeekendのイベントへ。
学のある人との、住む世界の違いを見せつけられる。無学で何もできない自分が惨めになる。

★★★

ということで、滋賀のSDGs拠点というFuture Labへ。

そこで、長坂真護さんというアーティストのギャラリーを見る。

ガーナの、そこの世界中の廃棄物が集まるゴミ処理場で働く(ゴミの中から見つけだした金属を売って生活している)子どもたちのところに赴く。
廃棄物を使ったコラージュアートを発表し、現地に学校や美術館を作り、子どもたちとともにアート作品を制作したりしている。
こちらのインタビューがわかりやすいかもしれない。

曰く、「アートで世界を救う」

最初「?」と思ったが、私とアート作品制作に対する取り組み方が違うための違和感であって、長坂さんの行いは正しい、というより、彼の正義自体が作品になっているのだと思う。

画像1

(撮影OKでした)

ところが、とんでもなく展示がもったいなくて、私の専門領域が美術なら、えらいさんを呼べ案件だった。

カンファレンスができるくらいの広い空間に、なんの説明もなしに作品が展示されていた。スタッフの方に解説をお願いしてやっと活動について少しわかった。

この場所は一般的な画廊や美術館とは違う。
SDGs=社会問題と絡め地元の人に伝える役割をもっている常設展示が、説明されないと伝わらないというのは、展示として成立しない。

足りないものは、活動や作品が生まれた背景を知ることができる「ストーリー」だと思った。全く関係ない(ように見受けられる)作品が同列に並べられていてよくわからないことになっている。展示のストーリーが、活動の意義を知るフックとなり、もっと詳しく知りたかったら販売されている本を読めばよいのである。

難解な概念(SDGs)を難解な言葉(アート)で伝えるには「通訳」が必要で、それが展示(キュレーション)の力なのだ。

「考えるな、感じろ」という話ではない。「感じる」事によって「考える」きっかけを与えるものだ。「なぜこれがこの場所に展示されているのか」をわかってもらえるものになって、初めてこの場所にギャラリーが造られた意味を帯びてくる。

でなければ、私のように「画廊貸ししていますか?」なんて野暮な質問が飛ぶ。(実際してしまった…)

キュレーションをやっているひとは、一度、みんぱくか科学未来館に行ってみてほしい…。ほんとうにもったいない…。



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