【異業種から介護業界への転職エピソード vol.2】TVCM制作からヘルパーへ転身。今、思うこととは
こんにちは。
スケッター運営スタッフです。
今回は「異業種から介護業界への転職エピソード」第2弾です!
TVCM制作からヘルパーへと転身を遂げたもきさん。
「資格は取ったけれど正直転職する気はなかった」というもきさんがなぜ介護業界で働く道を選んだのか?どんなやりがい感じたのか?
「介護職に興味がある」という方、必見です!
【お名前】
もき さん
【年齢】
54歳
【私が介護を選ぶ理由】
今日は、異業種から介護業界に転職した私の経験談をお話させて頂きます。
私は20歳でTVCM制作会社に就職し、制作スタッフとして30代半ばまで働いていました。
入社当時はバブル期の真っ只中で、テレビや広告業界は制作費や接待交際費が使い放題の好景気。
忙しく仕事をしては、夜は飲み歩き、帰りはタクシー。
そんなバブリーな生活をして毎日が楽しく過ぎて行きました。
ただ、そんな仕事も10年経つと状況は一変。
クライアントは次々離れ、仕事が縮小。
しかも現場は若い世代が台頭。
30歳を過ぎてからは徐々に自分の居場所を失っていく焦燥感を抱えていました。
その後、30代半ばで結婚を機に休職。
その当時出始めた「ホームヘルパー」という仕事を目にし「家事が好きな自分に向いているかも」と講座を受講。
それでも介護と聞くとCM業界のバブル期を知る身としては正直、「きつい割に報酬が少ない」イメージ。
資格を取得後も、すぐに転職する気は全くなく、困った時に「最悪はヘルパーでもやるか」程度に思っていました。
そんな私の転機は44歳。
それまで手伝っていた知人の会社から不況のあおりで突然の解雇通告。
その帰り道にふらっと入った居宅介護支援事業所に勢いでヘルパー登録。
そこの責任者から
「あなたは40代でまだ若いんだから頑張れるわよ」
とかけられた一言でした。
その言葉通り、ヘルパーの多くは殆ど60代。
私より一回り以上年齢が上ですが、その先輩に 同行した際に、その仕事の速さと正確さ、そしてご利用者様への心配りに衝撃を受けたのです。
そして「私ももう一度頑張れるかも」と一念発起。
ヘルパーは当時から人手が足りず、自分が望めばいくらでも仕事が回ってきます。
朝の7時半のデイ送り出しに始まり、食事作り、おむつ交換、入浴介助、買物、通院同行、夜の就寝介助まで。
ありとあらゆる仕事を1日何件もかけ持ちました。
始めた当初は体がきつかったものの
それ以上に私がモチベーションを上げたられたのは
「介護ほどクリエイティブな仕事はない」
ということに事に気づいたからでした。
例えば、「冷蔵庫の中の限られた食材で何品おかずが作れるか?しかも時間は44分。その間に風呂とトイレも掃除もしないと!」等と考えると、楽しくて仕方がないのです。
おそらくそれは前職で培った時間管理と制作進行の経験から得たもの。
そのお宅に入る前に段取りのイメトレをして、その通りに出来るとその達成感がたまらずワクワクするのです。
しかもご利用者様からは「あなたが来てくれるのが楽しみ」「いつも有難う」と感謝の言葉を頂きます。
仕事をする度に「私でいいんだ」と実感する日々。
30代でCM業界に居場所を失っていた私は、40代にして介護という新しい居場所をみつけたのです。
それからヘルパーを5年続け、その間に介護福祉士、ケアマネジャーの資格を取得。
現在は行政で介護保険の業務に関わっています。
介護の仕事は楽しい事ばかりではありません。
決してキレイ事で済まない場面も沢山あります。
それでも自分の心の持ちようで、ワクワクしたり、深く考えたりと、他の仕事では味わえない
「人生の醍醐味」のようなものを感じる事が出来ると思っています。
しかもその仕事には定年や雇い止めはありません。
むしろ体が元気ならば年を重ねる事に、経験というスキルが
積み重なって、仕事にプラスになるのです。
「介護の仕事は人生を変える」私はそう確信しています。
もきさん、ありがとうございました!
1時間から参加できる、未経験でも趣味や特技、『好き』を仕事に。-----
介護福祉領域特化のスキルシェアサービス
☆スケッターwebサイトはこちら☆