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ほろ苦いリモンチェッロ

ヤバかったです。
やっぱり駄目でした。
思い出すとものすごくどす黒い感情があふれて筆(っつーかタイピング)が進みませんでした。

近年はその当時を思い出したりしても、部分的なことばかりで、全体通して思いださないから、へっちゃらだと思ってました。
今回まとめて思い出すことで、かなり精神に来ました。
複数年経っててもヘビーな感情はまざまざと思い出せるもんだなと、結構ビビりました。

ものすごく読みづらい散文詩のようなものになっていますが、がんばって書きました。

いままでの人生で一二を争うほどの暗黒期、どうぞお時間あればお読みください。。。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

乳がんの告知を受けて、さめざめと泣くようなこともなく、しかし心ここにあらずな状態だった。

なんだか自分でも信じられないくらいショックを受けていて、どうしたらいいのかわからなかった。
とりあえず、紹介状をもらったので、予約しなくちゃ、と思い立つ。

紹介状を書いてもらった大学病院に電話をし、予約を入れた。
私の住む地域では、救急も対応しているそこそこの規模の病院だ。

電話で「とにかくすぐに診察してもらいたい」と伝えたが、まあおおよそ1週間くらい先の予定で組まされた。
当たり前か。
(多分1週間待ちはまだマシだったかも)

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告知された次の日、母と出かける予定があった。
ものすごく暗い気持ちだったが、普通に会った。

けれど、がん告知されたことを、どうしても言えなかった。

自分の中で、消化不良のこの情報をどうやって人に話せばいいのか。
ましてや、生みの親に。

なんだか考えあぐねている間に母との時間は過ぎ、普通に「またね」とお互いの家に帰っていった。

どうしたらいいんだろうなあ。

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もう心に限界が来ていた。

休もう。

別に治療に関係ないけど。

アタシ、このままじゃもう仕事できないや。
そう思って、上司に時間をもらった。

上司の前で休みを宣言するとき、号泣した。

自分でもびっくりするぐらい、ものすごく号泣した。

上司が複数名いて、そのほぼ誰も、信頼していなかったのに。
まさか自分の醜態晒すなんて。


それまでホントに嫌な思いを我慢してきたので、こと切れたとはまさにこのこと。

旦那の前でも。
友人の前でも。
実母の前でも。

べそをかくなんてことなかったのに。
わざとか?と思いたいが、ものすごくその時感情的になった。
あふれる涙を止められない~ららら〜って、クッソベタな歌の歌詞みたいでいやだが、本当にそうだった。

えぐえぐえぐと、はばからず嗚咽を漏らした。

女が泣くのを見ることに、耐性がないのか困った表情の上司。
なに泣いてんだよ、と冷たい目線を放つ上司。
自分のことのように、一緒に泣いてくれる上司。

ひとそれぞれ、さまざまな受け止め方だった。

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それまで、ものすごく多忙で、人の積み残した仕事もすべて片付けていくような、そんな状況だった。
いくつかのグループで仕事を割り振り、業務をこなしていたのだが、私の居たグループは、私以外小さな子供を抱えた母たちだった。

そして、グループリーダーも小さな子供を抱えた母だった。

私だけが子供のいないスタッフだったので、夕方5時以降の対応はすべて私が担った。
海外とのコレポンは昼夜逆転。
はちゃめちゃ英語でやりとりした。
国内の取引先ともガンガンやりとりした。
時間がなかった。


リーダーは、持って生まれた天然さもあったのだろう。
屈託なく「私、この日は遅くまで仕事できるから」と、こちらの都合を考えずに仕事を振っては、一緒に残業を求めた。

旦那さんにいろいろ頼んできて、準備したんですね、わかりました、付き合います。みたいな。


考えてみたら「今日は用事があるので」と帰ればよかったのにと今ならわかる。
しかし、その時のワタシはそんなこと考えもしなかった。
なんてお人好し。


そんなことを続けて、自分の体のメンテナンスもできずに毎日終電で帰るような日々が続いた。


子供は社会の宝だ。
私もその宝を育てるためにがんばっている。


そう思っていた。

それは多分正しい。
でも、ワタシはやり方を間違えたようだ。

やり方が、自分のためには全くなっていなかったことに、がん告知という形で、まざまざと突きつけられた。

ワタシの身体は、ワタシのもの。

ワタシの人生は、ワタシだけのもの。

誰のためでもなく、ワタシはワタシのために、人生を生きるべきだったこと。

ワタシのことを愛してくれる、周囲の人たちを幸せにしたかった。

けれど。

ワタシが幸せじゃなかったら、周りも幸せじゃない、幸せになんかできないことに、若くもないのに気が付かなかった。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

だれからも異論なく、翌日から休暇を取ることに成功した。

しこたま、上司を呼び出した会議室にて号泣した後、落ち着いてから同僚を呼び出して慌てて引継ぎをした。
たぶん、笑顔でできた。

自分の周囲の同僚以外、ほぼ何も告げずに消えた。

もう、すべて投げ出すように職場から逃げた。
やりたかった仕事はたくさんあったけど、もう全部捨てた。
外部の取引先に申し訳なかったし、やりたかった仕事の80%はその人たちとの仕事だった。

けれど。

心が持たなかった。


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帰り、旦那がイタリアン居酒屋に連れてってくれた。
美味いごはんと酒を食らって、

「あたし、今日から断酒する。願掛けと健康のために、手術後退院するまで酒を断つわ」

と、へらへらと決意した。
なぜか旦那も「俺も~」と、大好きな酒を断ってくれることになった。

なんとなく「この人はそのうち飲みたくなって飲むだろうな」と思いながら、自分は絶対に飲まないで頑張ろうと思った。

最後の酒はリモンチェッロにした。

甘くてすっぱくてほろ苦い、イタリアマンマのお酒、リモンチェッロ。
そのアルコール度数の高さにも関わらず、まったく酔っぱらった気がしなかった。

でもうまかった。

陽気に飲みながら、1か月後に迎えるであろう手術に備える準備を、これから始めることになった。

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※先生とのやり取りや説明など、うる覚え過ぎる&ある程度の脚色が入っております。
また、何かご自身のお体にご不安がある場合は、専門の医療機関に問い合わせることを、強くおすすめします。

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