なぜ教員を辞めたのか
8年間愛知県で教員を続けていました。
特別支援で講師1年、正規として津島で6年、知立で1年。
なぜ教員を辞めたのか、ということをよく聞かれます。
答えとしてはいくつかあります。1つでは答えきれないw
今回はどこまでいけるかわかりませんが記事にしていこうと思います。
まずは自分の体験談から、あとは業界のことを踏まえつつ文章にしていこうと思っています。
この記事を読んでいる人の中には未成年もいるかもしれません。職場環境を知ることは大事かなと思います。
自分が働いた職場は春日井の特別支援学校、津島と知立の公立中学校の3つです。
現在叫ばれている勤務時間のことなどは全く気にせず、身を捧げるつもりでした。
最初の1年目は豊田から春日井の距離を電車で通いました。車だとかなり遠いので電車の定期を使い、1時間半かけて通った記憶があります。
勤務開始時間は朝7時から、朝トレというものがあり毎朝生徒と走りました。職場自体、けっこうガチな体育会系の人が多かった気がします。インターバル走を何十本も走ったり、30分かけて長距離を走ったりしました。
更衣室でアミノバイタルを毎朝飲んで今日も健康だなぁと我ながら満足していました。
授業自体は工業系の授業と国語の授業が半分くらいだった気がします。
工業の授業は2時間連続や4時間連続で行い、主の先生が説明をして、それを手伝うような形でした。生徒が8人程度に対して教員は3人ついているような状態です。
退勤時間はだいたい17時30分くらいには帰り始めていたような気がします。
家に着くのは20時くらいでした。
部活動はありました。バレー部の副顧問で、土日の活動もあり、1年目から東京で行う全国大会にお供させてもらいましたw
通勤時間が長く、朝5時くらいには電車に乗っていたので、勉強時間は確保できていた気がします。そのおかげか1年目で晴れて正規採用となりました。
1年目の特別支援学校を出るときには、かなり釘を刺されました。公立中学校を経験している先生もおり
つらいことが待っている
というのはなんとなくわかりました。
つづく☺️