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わたしにとっての「応援」

「趣味は何?週末は何してるの?」という質問に対して、「バスケ観戦です。週末は会場に行って応援しています!」そう言えるようになってから何年経っただろう。(働き出して5年目、近頃はそんなことを聞かれることも少なくなってきましたが…。)

「応援」。このnoteを読んでくださっているあなたにとっての「応援」は、どういうものですか?どんなことを考えながら、あるいは考えないで、「応援」していますか?

100人いれば100通りの、思いや考えがあるはずで。当然ですが誰かの「応援」を否定するような意図はない、という前置きをした上で、このnoteでは自分の過去のツイートを振り返りながら、私にとっての「応援」について、考えたことを書いてみたいと思います。

応援ってなんだろう、ということについては割とずっと考えて、悩んできたけれど、結局明確な答えは出ていません。このツイートに書いたように、(人を傷つけたり人に迷惑をかけたりしない範囲で)楽しめればそれでいいのかな、というところに落ち着いてはいます。だってバスケットボール観戦はあくまでも私の「趣味」ですし。(というには、結構生活の大部分を占めていますが…)

以下のそれぞれの項目について、1つのnoteが書けそうなくらいにはこれまで考えてきたので、そのうちそんな形でも書けたらいいなと思いつつ、今回は、脈絡がないかもしれませんが、自分の過去のツイートの引用+雑感として書いていきます。

「自己満足」/応援「させてもらっている」の気持ち

まず私は、基本的には応援は「自己満足」だと考えています。とはいえ、バスケットボールは選手と観客との距離が物理的に近く、比較的声が選手に直接届きやすいプロスポーツなのではないかと思うので、「少しでも声援が選手のためになればいいな」という思いは正直なところないとは言えません。だから私はカメラを手に写真を撮りながら応援コールもします。

声を出すのはただの自己満足だけれど、届いていると嬉しいなぁとは、やっぱり思う

というのが、本心だなと。畏れ多くも「応援が選手の力になる」と思いあがってしまいそうだったから、私は自分に、応援は自己満足なんだ、自己満足に過ぎないんだ、と言い聞かせている部分がかなり大きくありました。(「声を出す」というのはかなり外から分かりやすい「応援」のかたちだと思いますが、もちろん他にも様々なかたちがあると思っています)

彼らはプロだから、当然私なんかの応援がなくたってきちんと試合をするし、成績も収めます。それを意識しておかないと、自分のありたいファンの姿でいられない気がしたのです。

もちろん、「ファンの応援が力になる」という選手の言葉にも、嘘はないだろうと思っています。観客はいてもいなくても同じと言われてしまえば、私はきっと会場に行かないんだろうとも思います。ただ、私は自分が行きたいから会場に行くし、応援したいから応援していると思っているし、応援は「させてもらっている」と思っています。選手でいてくれるから応援できる。応援させてもらえることが嬉しい、という気持ちは、ずっと忘れないでいたいなと思います。

日常と非日常/頑張る糧

私はバスケの経験者ではありません。むしろ運動は大の苦手だったし、学校の体育の授業は嫌いでした。試合を観ていても、マンツーマンディフェンスとゾーンディフェンスの切り替えでさえ人に言われないと気づかないくらい、と言えばどれくらい疎いか伝わるでしょうか。

そんな私ですが、ブレイブサンダースというチームを大好きになって。16-17シーズン、Bリーグが開幕したこのシーズンも、こんな風に怒りながらも会場に足を運んでいました。好きだから。彼らを応援したかったから。

はじめはチームのことが好きだったのですが、次第にバスケットボールというスポーツ自体が大好きになりました。もっと盛り上がってほしい!選手には人気になってほしい!お客さん沢山来てほしい!と思いました。応援しはじめるまで、バスケットボールは私の人生とは全然関係のないところにあったのに、家族との会話がすべてバスケに関するものになるくらい、とても身近な存在になりました。いつもバスケについて考えていたし、SNSチェックもしたし、バスケの会場で沢山の人と知り合いました。試合のない日にも会える友達もできました。

自分たちに何ができるわけでもないのにヘッドコーチの采配について語り合ったし、アウェイ遠征して連敗して疲れ切って口も開きたくないくらい悔しい帰り道もあったし、どアウェイで接戦を制して帰りにアリーナの出口であった知らないファンと「勝ってよかったー!お疲れさまー!」とハイタッチしちゃうくらい喜んだこともありました(ホームのファンだったらこれ一番嫌なやつですごめんなさい)。

もちろんホームの川崎市とどろきアリーナの雰囲気も最高で。試合時間残り数秒でとられたタイムアウト時の、「絶対勝とう…!勝つぞ!勝ってくれ!」という観客の祈りがこもった声援でアリーナが満たされる感覚は、何度味わっても泣きそうなくらい震えます。そしてそんな劇的な展開が、なんでまたこんなにも?ってくらい起こるんですよね。シーズンの中で重要な試合ほど、最後の数秒まで分からない展開になることも多いです。

アリーナは非日常の空間とよく言われますが、私にとっては「バスケを応援すること」で非日常と日常がつながる感覚があって、それが魅力でのめり込んだのではないかな、といまとなっては思います。

自分はただただ応援しているだけで、プレーしているわけでもなんでもないのに、応援している選手が活躍したらものすごく嬉しくて、プレータイムがなければ私も悔しくて、悔しそうな表情を見て、より一層、また応援しよう!と思って。そんな風に応援できることが、とても楽しくてありがたくて。プレーすることでファンに色々な感情を経験させてくれるプロ選手って、本当にすごいなと思います。普段は「めちゃくちゃ嬉しい!」とか、「泣きそうになるくらい悔しい!」とか思うことのない、波風のない生活を送っていますが、バスケに関することでは別で。応援することで、応援しているがゆえの喜怒哀楽を、全部味わったことがあるなと思います。

先ほども書いたように、アリーナの中はいわゆる「非日常」の空間なのですが(あんなに本気で相手に勝とうとすることは少なくとも私の日常にはないし、あんなに大きな声も出さないし、選手がすぐそばにいることなんてまさに非日常なんだろうと思います)、そこでもらった元気を私は日常に持ち帰っていて、応援することで元気になれていたように思います。

週末になれば試合があるから、応援したいから、平日を頑張れました。バスケに限らず、スポーツを応援している人は、こういう人が結構多いのではないでしょうか。というか、趣味全般がそうかもしれないですね。

好きでいることで、応援しに行くことで、元気をもらえて頑張れる。私にとってのバスケの応援は、そんな存在でもあると思います。「頑張れ!」と、頑張っていることなんて重々承知の上で、声をかけたり手紙を書いたりしてきましたが、頑張れと言うからには、自分も日々を頑張らないと!と思わされることもたびたびあって。こちらが応援している側なのに、応援することによって、私も日々の生活を頑張れる。私にとっての「応援」は、そんな存在でもありました。

応援した結果としての寂しさ、ファンにできること

もっと盛り上がってほしい!選手には人気になってほしい!お客さん沢山来てほしい!

と先ほど書きましたが、これが本心である一方で、人気になるにつれて「寂しい」という気持ちが出てきたことも、否定はできません。

きっと大丈夫、と、私は自分に言い聞かせていたんだろうなと思います。人気になってほしい。もっと稼いでほしい。夢のある職業になってほしい。そう思う一方で、かすかに、もう手の届かない存在になっていくんだな、という気持ちもありました。もちろんもともと別に手は届いていないんですけどね。でも、それでも、彼らなら大丈夫。どんなにファンが増えたって、私にとって応援する価値がある、応援したいと思える存在で居続けていてくれる。そう言い聞かせていました。

やはり、変わっていく状況の中でも私が応援を続けられたのは、今も応援を続けているのは、選手の力によるところが大きいなと思います。たとえば、篠山選手。こんな風にたまーーーに昔のことに触れてくれたりするからさ、応援することをやめられないんですよ。人たらしめ!好きです。

そして、結局のところ、私(ファン)にできるのは、(色んなかたちを含めた)「応援」だけだからです。

離れていってしまう気がして寂しくても、選手としては絶対に人気があった方がいいし、こんなにかっこよくて素敵な姿は、沢山の人に知ってもらいたい。だから私は写真を撮ったし、文章を添えてSNSに載せました。この行為自体も結局、自己満足でしかないのですが、それも応援のひとつのかたちであったらいいな、と思っています。

選手にもっと活躍してほしいなら、チームにいい成績を収めてほしいなら、応援することしか、ファンにはできない。こう書くとネガティブに聞こえるかもしれませんが、応援することができるのが、ファン、とも言えると思います。見返りがなくたって応援できるのが、ただただ好きでいるだけなのが許されるのが、ファン。バスケに関わることを仕事にしていたら、スポンサーだったら、こういうわけにもいかないのだろうと思います。

友達ではないから、「選手としての姿」しか知らない。選手側が見せてもいいと思って見せてくれるものしか見ることができないのが、ファンです。でも、だからこそ、(だいたいの場合は)楽しく幸せにファンをしていられます。選手の皆さんはきっと、ファンの目があることで日常も自由に送れない場合もあるだろうに、ファンの前では、現役の間は「選手」をしてくれていて、「選手」でいてくれていて。ありがたいなと思うし、引退するまでは「選手」でいてほしいなと勝手ながら思ったりもします。

応援しかできないとしても、応援できるファンという立場でいられるいまが、ありがたくて幸せで、寂しくたってなんだって、チームが、選手が、好きだから、私には応援するという選択肢しかないんだよなと。

そして、応援したいと思えるチーム、応援したいと思える選手でいてくれることに、心から感謝しています。なかなかあることではないし、出会えたことが奇跡だなんて歌詞みたいなこと書いてしまうけど、本当にそう思います。

「今」しか観ることのできない尊さ、同じ時をその場で体験すること

(バスケットボールに限らないと思いますが)スポーツ選手の寿命は結構短くて、バスケだと30代半ばになると引退する選手が増えるような気がしています。大学を卒業している選手が多いので、23歳からと考えると現役でいられるのは平均すると10年ちょっとになるかと思います。

そう考えると、そもそも現役でいるうちに知ることができて、ファンになれたことが、まず奇跡的で。そして、その現役でいてくれる10年ちょっとの間が、私が応援に行けるタイミングと重なっているのは、本当にものすごく幸せなことだな、と。仮に私がいま受験生だったらこんなに応援には行けていないだろうし、他にもいろいろな理由で、選手側でなくファン側が、応援に行くことが難しいという場合だってあります。だからこそ、後悔しないように、今を大事に、行けるときには会場に行って応援したい。

これこそ先に書いた「自己満足」の極みだと思うのですが、私にとっての「応援」は会場に行って同じ時間を共有することであるとも思います。もちろん会場に行ってなければ応援ではないなんて言うつもりは毛頭ありません。ただ、「私は」単純に、自己満足で、会場に行きたいというだけで。この目で観て、その場で同じ空気を味わいたい。

いつ引退するかはファンには分かりません。中断という形で終わってしまった19-20シーズン、今シーズンをもって引退した選手も、多くいました。引退することを事前に伝えてくれる選手も近頃少し増えてきましたが、シーズンが終わってから引退を発表する選手も多くいます。

だからこそ、私は今を大事にしたい。直接応援していることを伝えたい。自己満足でしかないけれど。当たり前じゃないからこそ、感謝しながら会場に行きたいし、元気をもらっているからこそ、たとえ力になんてならないとしても、(少しでもなったらいいなと祈りながら)私はわたしが納得するために応援したい。そう思います。

このツイートで書いたことが、正直な気持ちです。

いつ終わりが来るかは分からないから、いまを全力で

私はサイン会などでお話する機会があっても「応援してます、頑張ってください」しか言えないし、手紙だっていつも同じようなことしか書けない、たいして面白くもないつまらない人間だけど、それでも応援をすることができます。応援させてもらえます。それがありがたくて、いっぱいありがとうと伝えたいし、現役選手でいてくれるうちは、全力で応援したい。もっと人気になってほしいし活躍してほしい。迷惑かもしれないなという気持ちはずっと消えないけれど、自己満足に過ぎないとしても、迷惑にならない範囲で私は会場に行くし、声も出すし、写真も撮るし、ツイートもするし、とにかく応援がしたい。

「応援」と言っても、応援していることを知ってほしいというような気持ちがある以上、見返りを求めない応援とは全く言えません。むしろ真逆かもしれない。コート周りの席を頑張って取るのも、近くで観たい、写真を撮りたいという気持ちはもちろんですが、応援に来たよということを知ってもらいたいという気持ちがないと言ったら嘘になります。

だから、これって本当に応援になっているのかな?とも、しょっちゅう思います。「自己満足」と言っているのがポーズではなく本当の本当にただの自己満足に過ぎないのではないかと。私が応援することで迷惑をかけているのではないかと不安にもなります。でも、だけど、繰り返しますが、私にできることは、「応援」だけで。

自分なりの「応援」のあり方について、いつも考えているし、これからも、応援しながら考えていくのだと思います。ファンにできるのは、心からの「応援」だから。

おまけ・まとめ

このnoteを書くにあたって「@BtSaki 応援」で検索して過去のツイートを見返していたのですが、一番最初に「応援」という単語を使ったツイート(リプライでした)がこれだったことには、さすがにちょっとびっくりしました。「これからも応援していきます!」ってなかなか書かないぞ。笑

5年経ったいまでも、東京から移籍先の滋賀まで応援に行っているんだから、有言実行だな私。と、少しだけ自分を褒めておきます。

応援は自己満足でしかないのだろうと思いながらも、応援が一ミリでも選手の脚を動かす力になればいいなと祈りながら、力になると信じながら、私はこれからも、悩みながらも、バスケットボールを、チームを、選手を、「応援」しつづけていくのだろうと思います。バスケットボールが、バスケットボールに真摯に取り組む選手が、チームが、好きだから。


ここまで読んでくださってありがとうございました。もしよかったら、「応援」について考えたこと、考えていること、聞かせていただけたら嬉しいです。

そして趣旨に合っているかどうかは分かりませんが、篠山選手に読んでいただけたら嬉しいなと思いつつ(邪心しかないし読み返すと篠山さんのこと全然書いてないけど)、ASICSさんのハッシュタグをつけさせていただきます。

*ただただ思うままに書いた乱文長文を、最後まで読んで下さりありがとうございます。そのうち、項目ごとのnoteも書こうと思います。そしてそもそも、【「応援」について思うこと】というnoteは、2018年の川崎ブレイブサンダースアドベントカレンダーで書く予定だったので、ずっと書きたいテーマでした。1年半越しに書いたということで。

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Sak
写真をがんばります☺︎