幻のアイドル 「Aira Mitsuki」
<お断り>「スキな3曲を熱く語る」のエントリー用に、この投稿を大幅に加筆しました。内容の重複があることをお許しください。
私は1999年に社会に出てから、デスクワーク中は必ず音楽を聴いている。かつては、仕事の拘束時間が半端なくて、24時間以上ぶっ続けて耳に音楽を注ぎ込んでいたこともある。
そんな私が、2010年前後にハマっていたのが幻のアイドル「Aira Mitsuki」である。私にとってのベスト3曲を、今から暑苦しく語っていきたい。
なぜ「幻」なのかは本文で明かすつもりだが、CDが廃盤となっている事実はあらかじめ留意いただきたい。
■Aira Mitsukiとは?
2007年から2013年まで活動した、女性シンガー。2008年に「未来で生まれたテクノポップアイコン」のキャッチコピーでメジャーデビュー。
2015年に名義を「アイラミツキ」に変え、活動再開したものの、2018年中盤以降から表立った活動がない。
(と、ここまではWikipediaを参考に書いた)
声はあんまり変わってないと思うので、参考までに、2017年に発表された「アイラミツキ」名義の『Future in Loop」(→公式PV)を紹介する。
「Aira Mitsuki」はPerfumeのパロディー的な表現手法で物議を醸していたフシもあるが、当時数多く発生していた「テクノポップのフォロワー」の中では、歌唱力・楽曲・ルックスなどが群を抜くクオリティーだと私は感じていた。
(異論は認める)
なお前述のキャッチコピーも、当時人気のあった元気ロケッツの設定「宇宙で生まれ育ったまだ地球に降りたことのない30年後の17歳」のパロディーと推測する。
■デビュー時の時代背景
「Aira Mitsuki」がデビューした2008年とは、日本の音楽シーンの転換期であったかもしれない。当時を象徴しそうな出来事を私なりに4つをあげてみる。
・1990年代のJpopを牽引していた某大物プロデューサーが逮捕される。
・ニコニコ動画を軸にVOCALOIDを用いた曲が新たなムーブメントに。(ちなみに米津玄師がボカロ曲を初投稿したのは2009年である)
・中田ヤスタカプロデュースのテクノポップ・アイドルPerfumeがブレイク
・クラブとレコード会社が流行らせたかったトラパラ(トランス+パラパラ。近年の「やりらふぃー」を思わせる踊り)の終息
「Aira Mitsuki」に関しては、2007年にトランスの歌姫オーディションでグランプリを獲得したものの、世間のなりゆきで「テクノポップ」楽曲でデビューしたように窺える。
さて、プロローグはこの辺りで〆て、本題の「スキな曲」の紹介をしたいと思う。
■好きな曲<1>─「BARBiE BARBiE」
「Aira Mitsuki」は、時として「メンタルが危うそうな詞」を歌った。これが私にとって大変な珍味で中毒性があった。彼女がAira Mitsuki名義で活動していた時期が、私が仕事で挫けていた時期と重なるので、親和性が高かっただけかもしれないけれど…。
「BARBiE BARBiE」は、2009年5月20日発売された4thシングルである。
歌詞で特に好きな部分を、Uta-Netから抜粋して引用する。
幸せを求めてるわけじゃないんだ
今日の不安 ぐらいなくしてよ
だめならだめで もう終わりでいいんだ
逃げてもいいって 誰かうたってよ
明日とか未来とか もうそろそろいいんじゃないか
人生の階段なんてオトギバナシ ならいっそ操ってよ
光を見るから影に気づいてく ならなにも見たくないよ
頑張って頑張って 生きて 報われるはずだって思って
その先に 君が手に入れたものは何だった?
これ、必死で生きている人には、刺さる歌詞だと思うんだよね〜。
少なくとも当時の私は刺さりまくってたよ。
(トップ画像は、当時の心境をモチーフにした私の愚作だ)
当時の私は、過剰労働で心身がバグって苦痛を覚えていたが、強迫観念にかられて働き続けていた。今思えば、辛かったよ。
バービー人形に似せたポップなビジュアルで、明るい曲調で「明日とか未来とか もうそろそろいいんじゃないか」と歌う「Aira Mitsuki」は私に寄り添っていてくれた。ありがとう「Aira Mitsuki」。
■好きな曲<2>─「ファンタジー・キャンディー」
2008年9月3日に発売された「ファンタジー・キャンディー」は、「Aira Mitsuki」の楽曲群で私が一番好んだ曲調だ。
歌詞は、例によって「メンタルが危うそうな詞」なのだが、特に好きな部分をUta-Netから抜粋して引用する。
タイムマシーンにのってあの頃は
巻き戻ってもそんなのはいらない
神様はなんでこんな長い旅を
あたしに託したんだろうか
やめたいっていつも叫びながら
いきたいってどこか願ってるんだよ
タイムマシーンにのった、あの頃は
友達100人できるかなって
ずっと疑問に思ってたんだよ
「一人がだめなこと」なの?
この歌の主人公は、「子供の頃から相手に期待してしまい、辛く感じてきた。これ以上同じ思いをしたくないので一人でいよう」と思い至り、最期を迎える決意をしたようである。
これと相似する対人関係の敏感さは、別の曲で「感情がなくなれば、嫌われないし、傷付かずに済むのに」とも歌われている。
歌詞の「友達100人できるかな」とは大抵の日本人の記憶に残る「一年生になったら」の一部だ。1966年の童謡のため、時代錯誤な歌詞と捉える見方もあるようだが、2017年の保育士試験のピアノ課題曲にもなるほど現役である。
友達100人作りを目指してもいいけど、人付き合いの得手不得手を見極めて、無理しない範囲で頑張ってね。良い人間関係って無理からは生まれないから。って当時の私に言ってやりたいの。人脈づくりとか、社会人サークルとか、無茶して頑張ってたからね。
ところで、YouTubeのコメントによれば、昔「CR遊砲RUSH」というパチンコ台に採用されていた曲らしい。(Wikipediaには書いてなかった・・)
もし当時知っていたら、「曲聴きたさ」と性格が相まってパチンコ依存症になっていたかも。セーフ!
■好きな曲<3>─サヨナラ TECHNOPOLiS
2009年1月21日発売のこの曲は、1972年に発売された井上陽水の「傘がない」を連想させる。大きな社会問題が報じられているけど、自分が直面している「雨が降っているのに、傘がないから意中の人に会いに行けない」ことのほうが、自分にとって「おおごと」だと歌った曲だ。
(私の解釈なので異論は認める)
例によって、Uta-Netから歌詞の好きな部分を抜粋する。
ああ「不都合な真実」はもっと身近でかんじてる
あたしじゃなくても代わりがある世界、
君は僕じゃなくてもきっと最後はきっと大丈夫で
たぶんあたしもそう、
あいつだってそう、だから生きている興味はたぶんないんだ
歌詞に出てくる「不都合な真実」。これは2007年に発表された地球温暖化に関するドキュメンタリー映画のタイトルで、アメリカの元大統領のアル・ゴア氏の活動を追ったものらしい(詳細は、映画や環境問題に詳しい人に聞いてください)。この映画をきっかけにアル・ゴア氏はノーベル平和賞を受賞している。
くしくも、2021年にノーベル物理学賞を受賞した真鍋淑郎先生は、いまから50年以上前に「二酸化炭素が増えれば地球の気温が上昇し、地球温暖化につながる」と世に先駆けて発表したとされる。
閑話休題、「サヨナラ TECHNOPOLiS」の主人公にとっては、地球温暖化問題が世界規模で広がっているのに、「あたし」を含む周囲は、何者かになれず代わりが効く存在で、生きている意味ってなんだろ?と悩むほうが「不都合な事実でおおごと」だったようだ。
Uta-Netの歌詞から引き続き、歌詞の好きな部分を抜粋する。
ああ継ぎ剥ぎだらけの心はなにも感じない伝わらない
何も響かない、それでも人を好きになる資格がどこにあるんだろうか
誰かが笑ってた 私を見てケラケラってバカに
ママは私が悪いのよっていうから。
あの日から期待するのはやめたんだ。
主人公の「継ぎ剥ぎだらけの心」とは、バカにされて傷ついた時にお母さんに軽んじられたショックで心が壊れてしまい、修復しつつあるものの完全ではなく、機能不全になってしまったことを嘆いているように私は受け止めた。
(私の解釈なので異論は認める)
この歌詞からの連想で、私は10代の頃クラスメイトから村八分にされ、泣きながら両親に打ち明けたところ、「ムカつかれないようにしなさい」と言われてがっかりしたのを思い出した。本当に辛かったのに何も解決しないアドバイスだったからだ。
(何十年根に持っているんだ・・?)
話は戻るが、この曲が発売された当時、私は長すぎる仕事の拘束時間と引き換えに、自分に立ち返る余裕を無くした。辛いことがあったら、そこに意識が集中しないよう分散する工夫が大事だよ。自分の心を守るために。その時に得た教訓であるが、今も生きている。
■「Aira Mitsuki」の活動休止
時は過ぎて2013年、私が職場で肩叩きにあった年に、「Aira Mitsuki」は腑に落ちない形で活動休止となった。本当に泣けた・・。
現在は、動画配信サービスにある事務所のアカウントは軒並みアクセスできず、公式にアップされたMVは見ることができない。
ファンの誰かがYouTubeにアップロードした「BARBiE BARBiE」のMVには、英語のコメントが複数寄せられているので、抄訳として紹介しよう。
「気に入った〜!Spotifyにあったら良いのに。」
「子供のころ一番好きだった歌で、すごくたくさんの思い出がある(T ^ T)」
「私のお気に入りのひとつ🙏🏽💕」
権利上リンクは掲載しないが、YouTube内でMVを検索すれば、上記が私の捏造でないことを確認できるはずだ。
当時、国内のインターネットの利用者は静的コンテンツの閲覧がメインであったことから、プロデューサーは、海外に広がることは想定していなかったかもしれないが、結果として、海外の愛聴者を獲得していたことは明らかである。
ちなみに、「Aira Mitsuki」が所属していた事務所は、2017年にアイドルグループから提訴され、2018年に和解が成立している。
憶測だけど、こうした事件がなんらか作用して「Aira Mitsuki」の過去のMVが見れなかったり、音楽サブスク解禁になってなかったりするんだろう。「Aira Mitsuki」は消されてしまったのだ。
現在、私はA社の音楽サブスクを契約しているが、「Aira Mitsuki」は概ね配信されていない。ぜひ「Aira Mitsuki」を、時流にあった形─音楽サブスク─で蘇らせて欲しいと思う。私はもちろん、同じ時期を過ごした世界中のファンも喜ぶはずである。
そしてもし、再生回数に応じた報酬が「Aira Mitsuki」本人に入るようなら、願ったり叶ったりだ。
■最後に
当時、「Aira Mitsuki」のイベントに行って、オタクたちと盛り上がったり、物販でオリジナルTシャツ(普段着にして傷んでしまったが・・写真を載せよう)を買ったりした思い出は、「幻」とせずこれからも大切にしたいと思う。
サポートいただけたらとてもとても心強いです。