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直島・豊島旅。感覚が目覚めるアートの島巡り

フェンファンの好きな建物1位

2024年10月、香川県の直島と豊島を旅した話。
直島のことは前から気になっていて、赤かぼちゃがあってアートの島だという認識くらいしかなかったけれど、いつか行きたい場所のひとつだった。

そんな時、めざましテレビのインタビューで、推しのINIのフェンファンが直島にある地中美術館を好きな建物NO.1として挙げていた。
(ちなみに2位は神奈川工科大学のKAIT広場、3位は六本木の21_21 DESIGN SIGHT)

INIが訪れた場所を巡礼するのが趣味のひとつである私は、フェンファンが以前ラジオで紹介していた21_21 DESIGN SIGHTも行ったことがある。信頼の芸術センスの持ち主フェンファンが1位として挙げる地中美術館にどうしても行きたかったのが、この旅のはじまり。

その後、フェンファンは2024年6月2日のブログで、直島旅の旅のことを書いてくれた。海沿いの道を自転車で走ったり、地中美術館やベネッセ美術館で体験した充実の1日のこと。

同じ場所を訪れて、私はどんな経験ができるのだろうと向かった直島と、せっかくだからもう一島!と思って訪れた豊島の旅で感じたことを残しておこうと思う。

直島旅

岡山駅からバスで宇野港まで約1時間。宇野港からフェリーで約20分で直島に到着。圧倒的に外国人が多くて(感覚9割くらい外国人)びっくり。

直島に着くと赤かぼちゃが海岸近くで迎えてくれる。これから始まるアート体験にわくわくしながら、船着き場近くで予約していたレンタサイクルを借りた。
(日曜日だったからかもしれないが、レンタサイクルも島内の美術館のチケットも予約で完売していたので、早めに予約するのがオススメ!)

海沿いの道を電動自転車で走り地中美術館へ。坂が多くてパワーモードにしても坂道は結構キツい。

地中美術館

ここに展示されているのは、クロード・モネ、ジェームズ・タレル、ウォルター・デ・マリアの3名の作品。
安藤忠雄らしい直線的なコンクリートの建物の中に入り込むと、自分が今何階にいるのかよく分からなくなっていく。
進んだ先で、みんなが靴を脱いでいる場所があり、そこがモネの睡蓮4点が展示された空間。地中に届く自然光を頼りに、鑑賞する。照明のない空間に、自然光が入り、作品の見え方が光によって変化していく。薄暗い光から地下とは思えないような明るい光に変わる。どんな風にアート作品を展示するか、その見せ方で鑑賞する者にとっての体験は大きく変化すると思う。モネの睡蓮は自然光との調和でより美しく感じられた。絵の中にある色が生き生きとして、モネの眼の前にあった景色が、私の前にも現れたような感覚。私はあの部屋で絵を「鑑賞した」のではなく「体験した」のだと思う。あの場所だけの唯一無二の体験だった。

ジェームズ・タレルの作品の1つは、切り取られた天井から空を眺めるもの。天気が良くてずっと眺めていられそうだった。雲が流れ、空から光が降り注ぐ、天井から見る空の絵は1秒と同じものはない。時間の流れと自然を感じる芸術作品だった。
もう1つは、靴を脱いで光の部屋に入って行くインスタレーション。四角い光だと思っていたものは奥へ奥へと広がっていて、どこまでいけるのだろうと少し怖くなる。壁だと思っていたものは、思ったよりも先にあった。部屋の中を歩き回るとピンクやブルーに空間内の光が変化した。目の錯覚を利用しているのか?不思議な体験だった。

ウォルター・デ・マリアの作品は、部屋の真ん中に大きな黒い球体があり、切り抜かれた天井の空と雲がその球体に映っていた。球体は階段の真ん中に置かれていて、階段を登り切って見下ろすと、球体には階段や部屋を取り囲む棒状の金色のオブジェが反射して、笑った顔になっていた。大理石やメタルやコンクリートで装飾された強くて硬い質感の部屋に映る笑顔に、ハッとして心が和むような感覚になった。階段を降り、また球体を見るとさっきとは違う表情をした顔のようだった。こんな大きな1つの芸術を見たのは初めてだったと思う。

どの作品も、文章で伝えるのはとても難しいし写真でもきっと伝わらない。あの場所であの時間でしか体験できないものだった。初めての体験に不思議な感覚になった。新幹線と電車とバスとフェリーを乗り継いで、わざわざ訪れて良かった、そう思える場所だった。

海を眺めながら地中カフェで一休み。オリーブ牛美味しかった。

次は、ベネッセハウスミュージアムへ。敷地内は自転車禁止で、入り口の駐車場から高台に建つミュージアムまで徒歩で。10月末というのに快晴で暑かったので結構しんどい道程。。途中のヴァレーギャラリーには自然の中にいくつかの作品が溶け込んでいる。

《ナルシスの庭》草間彌生
小沢剛《スラグブッダ88―豊島の産業廃棄物処理後のスラグで作られた88体の仏》

ベネッセハウスミュージアムの中で、私が一番印象に残ったのはこの展示。タイトルは「100生きて死ね(Lives and Die)」

ブルースナウマン「100生きて死ね(Lives and Die)」

生と死は正反対の言葉だと思っていたけれど、こうやって並べられると、繋がりを感じる。(〇〇 AND DIEと〇〇 AND LIVEが隣にある)
そして一つ一つは、SLEEP、SPEAK, LIE, LAUGH、CRY、FEELなど単純作業だ。生きることは本当はシンプルな作業の積み重ねなのかもしれないと思わされた。

杉本博司「海景」

「100生きて死ね」が生と死の繋がりについて考えさせられる作品であったなら、この海景シリーズは、過去と今について考えるきっかけをくれる作品だった。瀬戸内の海が一望できる屋外に飾られている「古代人が見ていた風景を現代人も見ることは可能なのか」という問いが発端となって生まれた作品。

ベネッセの敷地を出て、島内に点在するアートスポットに立ち寄りながら島を一周した。

猫バスの停留所
「もうひとつの再⽣ 2005−N」
李禹煥「無限門」
家プロジェクトの「はいしゃ」(大竹伸朗)

直島にあったアート作品の数々は、自然と芸術の調和を表していて、メッセージ性に溢れていたと思う。アートが媒介して、私の心に目覚めさせてくれた感覚が確かにあった。忙しない都会の生活では感じることができない自然との調和は、島だからこそ感じられたあの場所の大切な価値だ。

宇野港のおすすめレストラン

宇野港へ戻り、夜ご飯の時間。豊島のレンタサイクルを予約したお店の親切なおじちゃんが教えてくれたお店へ。女性2人で切り盛りしているこじんまりしたお店だが、1つ1つのメニューが凝っていて、丁寧で、幸せだった。
ワイン好きの私は、旅行に行くその県のワインが飲みたい。でもグラスワインだと特にフランスやイタリアワイン等しか選べないことが多い。ここは岡山県のdomaine tettaさんの白ワインをグラスで提供してくれてたのがとても嬉しかった。前菜盛り合わせも、他のメニューも1人分のポーションにしてくれる臨機応変な対応・心遣いも素晴らしい。

前菜盛り合わせ

どのお料理も美味しくて、こんなお店ならデザートも美味しいに違いないと頼んだベイクドチーズケーキ。やっぱり美味しくて大正解。果物やあんこも乗っていて、大満足でした。

手の込んだ美味しいお料理の数々。宇野に泊まる人、ぜったいおすすめなので行ってみてほしい。

この日のホテルは珍しい競輪場ビューが楽しめるSetouchi KEIRIN HOTEL 10。宇野港はホテルの選択肢がほとんどなくて、ここは駅からはタクシーなので少し不便だけど、小さめのサウナや大浴場もあるし、自転車モチーフが至る所にあって、オシャレで楽しいホテルだった。

豊島旅

次の日は豊島へ。直島旅を計画していた時に初めて知った豊島(てしま)。読み方も知らない島だった。そこにある豊島美術館が良いらしいという情報を見て、訪れることにした場所。
豊島に向かう乗車客も9割が外国人!(日本人の私でも知らない島のことをどうやって知るんだろう。。)

レンタサイクルをして、まず心臓のアーカイブ(Les Archives du Coeur)へ。Christian Boltanskiが2008年から人々の心臓音を集め、それを展示している場所。知らない誰かの心臓音が鳴る暗室へ入る。少し経つと、心臓のリズムが変わり、また別の誰かの心臓音になる。
こんなに心臓音のビートに個性があるなんて知らなかった。

追加料金を払うことで、自分の心臓音を録音して展示することもできる。自分が生きた証がインスタレーションになるなんて面白い。もし大切な人とここにきて、その人とお別れしたら、またこの場所に来るだろうか、、どんな気持ちでその人の心臓の音を聴くのだろう、、なんて考えてしまった。

島の端っこの静かな場所にあって、落ち着く場所。海を見ながら静かに世界中のだれかの心臓音を聞くのにぴったりの立地だ。

心臓のアーカイブ

この島もアップダウンが激しい。電動自転車だけど、坂道は立ち漕ぎ。島に点在するアートスポットで写真を撮りながら巡るのが楽しい。

勝者はいない - マルチ バスケットボール
カーブミラー

美しい島の景色を感じながら、豊島美術館に到着。緑の上にこんもりしたグレーの半円がある。

豊島美術館

靴を脱いで中に入ると、何故か良い匂いがした。自然の匂いだろうか。
天井には大きな穴が空いていて、足元には水滴や小さな球体が転がってい
る。
天井の穴には紐が吊ってある。

その空間の中で、人々は静かに歩き回ったり、座ったり寝ころんだりして、思い思いの時間を過ごす。

風と光で一刻一刻と足元の水が形を変える。
吊るされた線が風に揺れ、水滴が揺れ、形を変えることで、
光や風や音を感じる。
立っている場所で、天井の円から見える景色が変化する。

心が静まり、自然を感じた。真っ直ぐに進む時間の中で、光、音、風を感じて、自分の感覚が研ぎ澄まされていくようだった。

パンフレットには「美術、建築、環境が一つになって生きることの喜びを喚起させる場所」と記載されていた。

根源的なものを思い出させてくれるような、感覚に訴えかける展示だと思った。

よく芸術作品を見て、何を感じたらいいのか分からないことがある。
「考えるな感じろ」と言われても、正解を探してしまう。
間違えるのも怖いし、自由な解釈が制限されている気がしてしまう。
映画を観た後に、レビューサイトを検索して、自分の感想が間違っていないか確認してしまう作業のように、自分の感覚が正しいのか不安になる。

豊島美術館は、アートを感じるとはどういうことなのか、芸術作品を鑑賞するとはどういうことなのかを感覚的に教えてくれた場所のようだった。

美術館の足元から湧き出る水のように、私の中から湧き出る感覚は、環境に左右されながら、変化したって良いし、その感覚に正解も不正解もないはずだ。

豊島美術館のカフェ。
豊島の棚田で採れたお米から作った塩むすびと豊島の柑橘を使ったソーダ。
坂道を自転車で降ってくとき、ゆずの「夏色」歌わずにはいられなかった。

美術館を出て、島内を自転車で一周した。美しい日本の田舎の風景が外国人観光客を惹きつけるのかもしれない。
ノスタルジックなバス停やたばこ屋さん。

海を夢見る人々の場所

東京での生活で、光や風や音を心地良く感じて、自然との調和なんて感じることは殆どない。思いつくのは、直島や豊島で感じたものとは真逆の眩しすぎる街頭や、髪を乱す風や、耳障りな雑音。本当はもっと自然と調和して、暮らせたらいいのに。周りにある自然の豊かさを感じられるといいのに。

直島も豊島も心を刺激するアート体験ができる場所で、また一つ、推しは私に素敵な経験をくれた。自転車で下っていくときの風、地中美術館の切り取られた天井から見上げた空、目の前に広がる海の青、豊島美術館の床から湧き出てくる泉。どれも忘れたくない。

最後に一つオタクの心残り

フェンファンのスマホの裏側のNaoshima Art Siteのステッカー。おそろにしたくて買う気満々だったけど、見つけられなかった。フェンファン、これどこで買ったの?


2024/11/15

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