北マケドニア&コソボ 旅備忘録 2023年6月
はじめに
44、45カ国目に北マケドニアとコソボを選んだ。
選んだ理由は自分自身の知識の希薄さからだった。
実際、来る前の印象は「紛争」と「古代王国」だった。
ただ、来てみるとコソボは紛争から既に20年以上経ち次のフェーズへと進んでおり、北マケドニアは古代王国についての論争をギリシャと続けるなど、自分の無知さと知識の古さを改めて痛感させられる旅となった。
スコピエ
スコピエ空港から市内へ
市内へはバスで向かった。
空港出た瞬間わかりやすいかつ値段が安かったからである。
空港から市内は30分ほど。
終点のセントラル近辺のホリデーインの前で降りる。
ここでちょっとしたアクシデント。
預けていたラゲージが出てこなかった。。
運転手と顔を見合わせ苦笑い。
えー、知らないよー。とのこと。知らないよじゃねーよ。と思いつつ、前のバス停まで戻してーと話していたところ、相乗りしていたお客さんが"ラゲージスペース念の為確認したら"とナイスアドバイス。
….ありました。めちゃくちゃ隅っこに。
第三者目線必要。
街の規模
歩けなくはない…といった感じ。
マケドニア広場を中心に15-20分くらいあれば主要な観光スポットや食事処には行ける。
交通機関はバスのみなので全て歩き倒した。
雰囲気
新市街と旧市街で全く雰囲気が違う。
新市街には銅像が溢れ、新しい建物が立ち並ぶ一方で旧市街は昔のバザールの面影を残したエリアがあったり、野晒しの城があったりと"なぜ?"という好奇心を掻き立ててくれるものがたくさんあった。
ここら辺のなぜは他サイトで十分あるので割愛するが、個人的には国名の論争のポイントの一つになっているアレキサンダー大王の銅像が非常に興味深かった。
宿
MT Apartment Skopje
立地が最高に良く、マケドニア広場へは歩いて3分ほどだった。
部屋自体も綺麗でエアコン完備だったので真夏のスコピエ滞在には非常に助かった。
ご飯
美味しかったところを2つほど。
Restaurant „Skopski merak“
マケドニア広場から歩いて20分くらいのレストランエリアにある。
Googleでの評価が一番高かったので訪れた。
地元の肉料理が絶品で尚且つ美味しいビールと北マケドニアのワインが飲めた。個人的には赤ワインが好きだったが、周りのお客さんは9割くらい白ワインを飲んでいた…..
Distrikt
ここのワインはこの度で一番美味しかった。
Vardar地方のNegotinoという場所で造られているワインで果実味とオークの味が絶品だった。
いつかもう一度このワインを飲みたい。
プリズレン
スコピエからプリズレンへ
バスを使った。
ダイレクトのバスもあるのだが、良い時間のものがなかったので、コソボの首都プリスティナで乗り換えながら行った。
行きは乗り換えがかなりスムーズに言ったので片道4時間ほどだった。
街の規模
非常にコンパクト。
1時間あれば街全体を歩ける。
雰囲気
イスラム教、キリスト教が入り同居する興味深い雰囲気を味わえた。
街の中心にはモスクやセビリがあるのでマジョリティはイスラム教なのかと思いつつ、キリスト教の教会も街中に点在をしていた。
街の人々も非常にフランクだった。
全く東アジアの人間がいなかったので物珍しいというのもあったのだろうが、よく声をかけてくれた。
宿
Mint Hotel
セントラルの際にあるホテル。
Wi-Fiが劇遅でちょっと困ったが、立地は最高に良いのと、レセプションのおじちゃん、おばちゃんの人柄が温かくて良かった。
オフリド
スコピエからオフリドへ
オフリドへもバスで行った。
片道3時間半、北マケドニアの平原や山間のドライブは全く飽きなかった。
あ、そうだ。
一個留意点。
行きのバスはオーバーブッキングがあったらしく、3人が乗れなくて次のバス(2時間後)に回されていた。
早めに行って席を確保することが重要。
街の規模
こちらも非常にコンパクト。
基本の観光ポイントである旧市街は急げば4時間ほどあれば見て回れる。
(個人的にはもう少しいたかったが、悪天候と帰りのバスの時間が….(言い訳))
雰囲気
めちゃくちゃ良かった。
異世界転生したんじゃないかというくらい、中世の街並みとオフリド湖のコントラストがめちゃくちゃ綺麗だった。
ここも地元の人が非常に優しく、途中大嵐で急遽人の家の車庫に逃げ込んだのだが、その家のおじちゃんが出てきて、”濡れるからもっと奥入りな!”とか雨が止むのを待つ1時間ほど雑談付き合ってくれたりとか、人の温かさを感じることができた。。
そのおじちゃん曰く、ベストシーズンは8月末とのことなのでその時期にいつかまた来たいと思う。来て、おじちゃんにお礼を言いたい。
コソボ与太話
プリスティナからスコピエのバスでカナダ人の青年と出会った。
彼は2世カナダ人とのことで、彼の両親が1999年にカナダに移住して2年後にカナダで生まれた。
今はトロントに住んでいるが、毎年ヨーロッパに点在する親戚、そして両親の故郷であるコソボを訪れているらしく、将来的にはコソボに帰ってきたいと私に話してくれた。
帰りたい理由としては色々挙げていたが、個人的には両親の祖国に帰りたい、といったことが主な理由だと感じた。
これからのコソボは、彼や彼の家族のように世界中に散らばったコソボのかつての難民が次第に戻ってきて、各地で得た技術やコネクションを経て、国として成長していくのではと考えるのは思考が飛躍しすぎだろうか。
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