宗教・信仰について②【バギオ留学】
こんにちは。
前々回宗教について続きを投稿します!と言ったにも拘らずすっかり忘れていました。
この1ヶ月、何か宗教について知識や情報がアップデートされたか、というと、特に大きくはアップデートされていません。
ただ、前ルームティーチャーが、
“ここにいる先生たちは皆クリスチャンよ!!!”
と言っていたのが、そんなことないという事はわかりました。(笑)
先生たちの中には、すごくライトなクリスチャンだったり、カトリックではなかったり、もはや目に見えないものは信じない、と言った人も結構います。
あとは、宗教によって形づくられているなと感じる法律はあって、
ふと、日本との違いを感じるものです。
(ex.離婚禁止、中絶禁止、死刑制度なし 等)
中絶禁止に関連して、宗教的観点から性教育が制限されており、性感染症は広がる一方、なんて話も聞いたりします。
(北欧とかキリスチャンでもめちゃくちゃ性教育進んでいる国あるよな、離婚率高い国あるよな、、何がこの違いを生むのだろう、、というのが私の疑問で、後にちゃんと調べてみようと思っています。)
私の信仰って?
さて、宗教の問題について考える時に、自分への跳ね返りで気になるのが、
“私の信仰って何だろう。”っていう事。
1ヶ月前くらいによく考えていました。
今まで特段意識してこなかったので、無宗教寄りのライトな仏教だろうとか適当に考えていましたが、どちらかと言うと、アニミズム、神道寄りだと今は考えています。
自然にも神が宿ると考えているし、特定の1人の神を信じている訳ではなく八百万の神を信じている。
其々のタイミングで一時的な欲望を、何かしらの神が宿っているところに行って祈る。
○○に強い神様、とか言って神様を時々によって選んで祈っている。
この“複数の神様”という思想が、どうやら特有っぽいという事に気が付きました。
台湾の友達に、
“ちびまる子ちゃんではまるこが毎朝家の近くで手を鳴らして祈っているけど、あれ何に祈っているの?”
と聞かれて、
“神だけど、Jesusではなくて、ブッタでもない。というか、氏神とかだろうから厳密にはどの神かわからない。”
みたいなことを答えた時に、はっとしました。
私にとって(日本人の多くにとって)神は沢山いる!!と(笑)
日本人はマイノリティ?
Wikipediaによると(笑)
「何らかの信仰・信心を持っている、あるいは信じている」人は2・3割。総人口を大幅に下回る数しか宗教の「信者」がいない、または「信者である」と思っていない。
「あなた自身は、何か宗教を信仰していますか」という問いに対しても、「宗教を信仰していない」(無宗教)と答える人は49.4%。
参考:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E9%81%93
神道は聖典や開祖がいる訳ではないので、信仰と認識したり考えたりしている人自体も少なそうだけども。。。
一方、世界を見てみると、、
世界の宗教の信者数は、キリスト教約20億人(33.0%)、イスラム教(イスラーム)約11億9,000万人(19.6%)、ヒンドゥー教約8億1,000万人(13.4%)、仏教約3億6,000万人(5.9%)、シク教約3,000万人、ユダヤ教約1,400万人(0.2%)、その他の宗教約9億1,000万人(15.0%)、無宗教約7億7,000万人(12.7%)である。
引用:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%97%E6%95%99
2000年のデータという事でかなり古めですが、ざっとこんな感じみたいです。
世界に75億人近くいて、無宗教7億人くらいしかいないのか!普通にマイノリティやん!と。
キリスト教なんて、日本人人口の17倍くらいいるやん!と、客観的に数字を見た時は結構驚きを隠せなかったものです。
純粋に考えて、日本語話している人だって世界から見たらほんの一握りなんだもんなあ。
信じるものを軽視されるという事
少し話が変わりますが、私が宗教にちょっと興味を持った理由は、
前回取り上げた“人の思考の源であるから”ということの他に、
“共生社会を難しくさせる可能性があると感じたから”ということもあります。
先生と宗教の話をしていて何に1番危機感を抱いたかというと、
他の宗教の事を、【Hindrance(妨害・邪魔)】と言っていた事。
最初は、
“何かをリスペクトする気持ちは一緒だから、その崇拝心自体を尊敬する。だからイスラム教の人とかを嫌いとかそういうのはない。”と言っていたけど、
“いやいやそういう風に綺麗事言うけど、実際彼らはキリストの見ている社会からは反する訳じゃん?人類がよりよく生きるための説明書とされる聖書に則って生きてない訳じゃん?だし、彼らはあなたの信じているものは真実ではないと思っている可能性高いよね”と聞いたら、
“Actuary, I feel uncomfortable. One kind of Hindrance.”
と言っていて、これはまずいと思ってしまいました。(笑)
ただ一人の意見かもしれないけど、自分の信じるもの、尊敬するものを軽視されている感覚って、それは心地良いものではなくて、何かしらの負の感情を生むよなと。
私にはまだ、この先生の考えが歪んだものなのか、どのタイプのキリスト教なのかとかわかりきっていないけれども、こういう考えを生み出す危険性もあるなと、闇を見た気分でした。
もし、自分の宗教を信じていない人を“Hindrance”だと思い、正義のための戦争が存在するのなら、そしてそれが“正義”として許されるのなら、まじで戦争なんて一生終わらないやん。と思ってしまった。生きる場所を本当に分けた方が良いでしょ。と。
あれ、、共生社会ってこんなに難しかったっけ、、と。
何か宗教関連で、共生社会につながる手掛かりが欲しいな。。。調べてみようと思います。
一方、キリスト教には愛があふれている、と思う事も沢山あって。
愛を与えること、人を助けること、慈悲の心、みたいなものの価値が社会的に高い事で、社会がより良い方向へ向かっていくことも勿論あるわけで。
あーーー!むーずーかーしー!!!
そして自分無知~~~~と思うばかりです。
(結論が雑ですみません(笑))
おわりに
前々回に続いて宗教・信仰についてでした!
自分には強く強く信じる何かがないからこそ、宗教の側面では客観的に社会を見られる特権がある気がしています。
仏教やイスラム、デンマーク国教のプロテスタント福音ルーテル派等に関しては本当に知識がないので、勉強してもっと客観的にも社会を見られるようになりたい!なるぞーー!
という事で、明日からの授業3rdタームも頑張ります!(笑)
日本の皆さまはゴールデンウィーク楽しんでください!
では!