微笑み欝
今日の僕には世界がモノクロに見える。
感情が麻痺する日は、珍しくない。
これは最近、欝気味だからである。
微笑み欝と言うくらいだから、人前で普通に振る舞うことはできる。頑張るまでもなく、身体は動く。
しかし、感情は味気ないのだ。
ロックバンド、ニルヴァーナのカート・コバーンも躁鬱病で、Liveの客を騙して演奏しているようだと遺書に残した。自分が以前のように音楽を楽しめないことに罪悪感を抱いたのだろう。
僕も同じ躁鬱病だが、やはりカート・コバーンの気持ちは察することができる。
友人が帰った後の部屋でひとり、天井を見上げている。欝の自分とひとりで向き合う時間がやってきた。軽い欝状態だってそれなりに厄介だということに気づく。ひとりの時間が苦痛で、楽しめないのだ。
こういうとき、どうしたらいいのだろう?
受け入れなのだろうか?
気分転換?
頓服?
どれも、気休めに思える。
躁鬱日報、本日は欝である。
※そういえば昨日は、バカ笑いしていた。
波の高いときと低いときでは、何もかも違ってしまう。