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願イノ声

サムネイルの写真は、2022年9月。高校2年生の時にN/S高新聞実行委員として初めて取材を体験した日にとった写真だ。
あの日々に灯っていた、熱くてまっすぐな人生へのきもちを思い出しながら、ただここにあるりらを綴る。

「願い」に苦しみ溺れ

りらは大学生になった直後「ずっとやりたかったキャリア教育のお仕事をいっぱいやるんだ」と意気込み、高校生のキャリア教育や探究の現場に関われるお仕事にたくさん挑戦をしてきた。

ディスカバ!でのメンター活動に始まり、株式会社BYDでのインターン、KnockLearn DIVEの広報支援活動、innovation GO(season 5)でのメンター活動、project:ZENKAIのTA活動、課外活動メディアMagicの発行、教育メディアコミュニティMiraiamの創業…。

あまりにも目まぐるしく、自分の人生が変わっていった。
高校生の時に思い描いていた『願い』が次々満たされていった。

教育を仕事にしたい。高校2年生の時、N/S高新聞実行委員の活動をずっと見守ってくれていた人がすごく楽しそうに仕事をしているのを見ていて、そう強く思ったのを覚えている。

だがどうだろう。
実際に仕事にしてみると、その気持ちをだんだん忘れていってしまったんだ。

自分はどうやら、幸せを感じることが下手らしく。ずっとやりたかった仕事をできること。嬉しくて、楽しくて、幸せなはずなのに、そこにある幸せを噛み締められないままに「もっといい仕事ができる、もっと上を目指せる」とどこかわからない「遠く」を見ていた。

理想の生き方、理想の教育を実現している自分でないと幸せになれない
誰かを満たさないと自分は満たしてもらえない、満たっちゃいけない
誰かの期待には、応えないと見放される

小さい頃から自分を縛り付けてきたルールが、ずっとずっと自分を追い詰めていく。崖の淵に追いやられて、それでもなお生きろ、誰かを助けろ。さもなければ、死ぬ。幸せになろうとする自分を脅迫していった。

自分への脅迫は、仕事はおろか、自分の生すら蝕んでいく。

この仕事ができる自分じゃないと会社に居場所がなくなる
スキルがある自分じゃないといつか見放される、頑張らないと死ぬ

自分をひたすら追い詰めて、胸ぐらを掴んで。
お前はもっと頑張れ、もっと頑張らないとお前は幸せになっちゃいけない。と刻みつけてくる

追い詰めれば追い詰めるほど、頑張れなくなって。
頑張れなくなったら、今度は頑張れない自分を責めて。

その時にはすでに、崖から落っこちて息もままならないような状態だった。

俺、なんで今も教育を続けているんだっけ。
教育を続けることが、今の会社で働くことが本当に俺の幸せなのかな。

ずっとやりたかったことにに苦しめられてる。願いに苦しみ溺れている。そう思った。

自分を苦しめてきたのは、仕事や教育ではなく、自分自身だったのに。

Reboot -回帰-

教育でしか創れないワクワクがある。俺はそれにとてつもなくときめいていた。そんな世界のことを考え続け、創ろうとする営みもとてつもなく楽しくて、昼夜を問わずしょっちゅう考えていた。

熱くてまっすぐな、人生へのきもちだ。

あの日に灯った、キラッキラの炎。理想の自分でなくとも、楽しかったし幸せだった。俺はいつから、幸せを「遠く」にやってしまったのだろうか。

遠く遠く、存在するかもわからない未来に行ってしまった幸せを、今ここに回帰させること。思い描いていた幸せを、今ここに「創り出す」こと。

教育を仕事にするって、簡単じゃない。
でもこの道は、俺が幸せになるために選んだ道だから。

幸せになるために、生まれてきた。
生きているなら、目一杯幸せでいたい。
それだけでいいじゃないか。

願いの声が聞こえてくる。遠くにやらないで、と。今、一緒に居させてほしい、と。

幸せを、願いを今この瞬間に作り出すこと。願いの声のために、生きていたいと思えるために、やりたいこと。

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