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自己紹介(2回目)

おはようございます、こんにちは、こんばんは。

個人事業主RECの柴田です!

今回の記事は自己紹介part2として書いていきたいと思います。

きっと「お前、偉そうに語ってるけどどんな実績残してるとか知らねぇし、色んな事言ったところで響かねぇよ。」と思われる方も多くいらっしゃると思うので、改めて詳しく自己紹介させて頂きます。

もうすでに3記事ほど書かせていただきましたが、ご存じの通り九州、福岡にて個人事業主をやり生計を立てております。

僕の最終学歴は高校卒業で、高校卒業後新卒として工場に就職し、毎日同じ作業、毎日同じ人たちと顔を合わせることに嫌気がさし、1年ほどで退社。

転職①

その後、人と関われる仕事がしたいと思い、接客の勉強として結婚式場のバイトとして入社。入社3か月でお客様への接客対応が認められ、結婚式の副アテンドまで昇格。

結婚式場では土日祝日以外の日は食事会だったり、懇親会などの宴会が行われており、とある中小企業異業種交流会の宴会の接客の際、営業会社の社長様から「君は接客よりも営業向きだと思う。人の懐への飛び込み方が絶妙に上手だ。」と言われ、その場ではあまり気に留めていませんでしたが、その言葉がずっと心に残っておりました。

結局結婚式場は入社10か月で退社。そもそも僕は1つの会社が長く続かないタイプです。

転職②

そして、いまだ未知の世界の営業会社に飛び込むことにしました。

営業のイメージとしては、お客様先へ出向きお話をして契約を獲得すること。

ですが、色んな求人を見ていく中で、コールセンターのアウトバウンドって、難しいんじゃないか?対面より先にコールセンターでの営業力を身に付ければ、対面になったときめちゃくちゃ取れるんじゃないか?と思い、コールセンターのアウトバウンド業務の会社にバイトとして入社。

立ち上げたすぐの会社でベンチャー企業ということもあり、入社1か月で周りの人たちよりも獲得もできていた僕は正社員入社をお誘いを受けることができ、無事に正社員入社。

次の月には割ときつめの契約ノルマを達成できれば、責任者に上げるとお話を頂き、月末最終日に究極の追い込みをかけ、なんとかギリギリで達成に成功。

達成した瞬間は泣き崩れしまい、今でも鮮明に残っており、あの達成感は後にも先にもこれが最後なんじゃないかと思っています。

責任者として、約10人程度のバイトさん、パートさんのマネジメント、コール業務サポート、バックヤード業務などを別の責任者の方に教わりながら、こなしていきました。

その後は、九州各県を周って、契約を獲得する九州特別販売部隊に任命され、九州各県を訪問販売していきます。

そのまま九州特販を終え、店頭に立ち、前を通るお客様にお声かけし営業をかけていく店舗営業に異動。

そこも任期を無事に終えることができ、そのまま新事業立ち上げメンバーとして工事部門に異動。

育ての親である祖母の具合が悪くなり、死に目には必ず会っておきたいという思いで、会社を退職し実家に帰省。

転職③

その後は別の営業会社に正社員として入社。

営業内容としては個人のお客様のお宅に訪問し、不要になったものを買い取るという訪問買取営業に従事。

不要なものというのは建前であり、貴金属ブランド物を安く買い上げるという少し詐欺まがいなことにとてつもなく嫌気がさし、退社。

転職?笑④

会社に属すことに対して嫌気が差し、どうしようか悩んでる時に現役パチプロである友人から打ち子をしないか?とお誘いを受け、打ち子を始めました。

時給1000円で元々スロットパチンコが好きだった僕はパチンコスロットで稼ぐことにどんどんハマっていきます。

ある程度打ち子を経験した後、自分でも稼げる自信ができたので、ピンのパチプロとして活動を開始します。

月25万円ほどを目指して稼働をしていくのですが、あれよあれよと月50万overの収支を叩き上げてしまうのです。

これはイケると確信してしまった僕はその後も3年ほどの期間をパチプロに捧げます。

この時にはすでに結婚しており、妻の叔父にあたる人から事業の話(アドバイス)を頂き、民泊、レンタルスペースを開始しながらパチンコスロットでもお金を稼いでいました。

パチンコスロットで、50万叩き上げたのは開始2ヶ月目だったのですが、それ以降は15万〜25万が関の山でした。

これは働いた方が明らかにマシだと感じたのですが、どうしても会社に属すことに嫌気が差していたので、個人事業主として本格的に始動し始めます。

個人事業主開業

先ほども少し触れましたが、個人事業主での最初のスタートは民泊、レンタルスペース業の管理運営。お客様対応でした。

民泊は外国人観光客がメイン、レンタルスペースはママ友などの交流会などに使うのがメインで利用して頂く。開始8ヶ月ほどは右肩上がり、お部屋もテレビで紹介されたりとかなり順調でした。

ですが……コロナウィルスが到来し、地獄を向かえます。。

売上は右肩下がりどころではなく、完全に落下。

持続化給付金を受け取るがこんなもんじゃ足りない。というのが本音。

これからどうしよう、新事業やるにしてもなにをしたらいいかわからんし怖い。と悩んでる時でした。

案件を頂く

転職②の会社の社長から飲みに誘われます。

そこでありがたいことに固定費の案件を柴田に振りたい。とお誘いを頂くことができました。

会社をやめて4年〜5年も経つようなこんな僕にお仕事を頂けるということにとてつもなく嬉しく思い、お話を受けさせて頂くことを決意します。

これが今の僕です。現在はこの案件で自分のブランディングを上げながらお仕事をさせて頂いております。

お仕事がない。どうすればいいのかわからない。と悩んでる時だったので、今後の自分の道に光が見え、進むべき道が見えたタイミングでした。

以上が僕の職歴というか歩んできた道になります。こんなカスみたいな僕でも、営業会社であの時、本気で頑張っててよかったと心の底から思っています。

長くなりましたが、読んで頂きありがとうございます。

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