ギター/ウクレレとの生活
現在、自分はギター/ウクレレを弾いて生活をしている。途中、ギター/ウクレレから離れた時期もあったが音楽とは常に関わっている。
そして、音楽で生計を立てる様になって20数年経つ。
今までライブサポート、スタジオワーク、譜面制作、音源制作、教室運営、イベント制作、ギター/ウクレレレッスン等々音楽にまつわる様々な仕事をしてきた。
学生当時の自分がそうだった様に、音楽で生活をしたい!と考えている10代、音楽の仕事って!?て思われている人に、少しでも音楽家の生活を知っててもらえればと思い書き始めてみます。
どこから書けばいいのか、まずは時系列的に書いていこうと思います。
ギター/ウクレレとの出会い
初めてギターと出会ったのは中学3年生に上がった頃。
はじまりは、その頃いつも一緒につるんでいた友人達が家に遊びに来た時のこと。友達と一緒に家にいると、うちの兄貴が買って弾かなくなったギターを見て『バンドやろうぜ』と誰かの話でそうなった。そこで自分は、家にギターがあったので自動的にギター担当となった。
初めて弾いた曲は、BONJOVIの『You give love a bad name』という曲。
周りの同級生たちは邦楽のバンド系音楽(THE BLUE HEARTS、BOØWY 、JUN SKY WALKER(S)等・・)を聞いているやつらが多かったが、自分の中ではそれらの音楽はあまりピンと来ていなかった。
それよりも、家で流れていた洋楽を聞いた時の音の迫力に圧倒された。
歪んだハードロックのギターの音、バスドラムの音やスネアの音。これらに一瞬にして虜となった。
なので、BONJOVIをコピーするのは、自分の中では自然だったし、他のパートを担当する友人も一から楽器をそろえて弾くから、何だかわからない状態。それに加えて、たまたま既に、兄貴が買って放置していたBONJOVIのバンドスコアが既に家にあった。
その流れから、『You give love a bad name』の譜面をコピーして『これやろーぜ』と皆に渡してスタートする事となった。
とはいえ、今になって思うと、なんでみんなBONJOVIをやる気になったのかが、思い出せない。
そして、皆で練習をする様になるのだが、その前にそれぞれ個人練習だった。たまに誰かの家に楽器を持って全員集合して練習をした。
なんとなく弾ける様になったのはそれから3か月くらいだったかと思う。
まぁ、今の自分からみれば全然弾けてなかったかもしれないが。
高校生時代(バンド掛け持ち)
高校生時代は一貫して、ハードロック/ヘビーメタルを聞き漁りつつ、コピーをした。BONJOVIから始まりSKIDROW、メタリカ、エクストリーム、Mr,BIG、スティーブ・ヴァイ、ジョー・サトリアーニ、イングウェイ・マルムスティーン、リッチー・コッチェン、テクニカル系という所をコピーしまくった。
邦楽だと、ラウドネスにXが中心だったかな。たまに、友人のバンドのヘルプでJ-POPなんかも弾いたりした。4~5個くらいバンドを掛け持ちしていた。週末の度にスタジオに入って練習をしていた。高校3年の時には、地元のライブハウスで月1回のぺースでライブをしていた。
そんな学生生活をしていたので、高校3年生の時に将来の進路は?となった時に、迷わず『音楽の道に進みます』と言って、その時の担任に音楽なんかで将来生活していける筈ないでしょ!と言われた事を覚えている。
進路はどうしようか、と考えた結果、東京の葛西にある専門学校に行こうと思い面接をして試験を受けた。この時の試験内容は、ある意味すさまじかったので今でも覚えている。試験内容はドレミファソラシドを弾け。という事。担当官に呼ばれて10人くらいが部屋に入り、ドレミファ~が書かれているプリントを渡された、もちろんTAB譜付き。
そして、試験官が今から試験を始めると言い、プリントに書かれているドレミファソラシドとリズム譜をそれぞれ弾き始めた。弾き終わると、じゃ1人ずつドレミとリズムを弾いていこうか。といい端から一人ずつ弾き始めた。自分は、ドレミも元々弾けるしリズム難しくなかったので、なんなくクリアしたが、中には途中で止まってしまう人もいた。間違えると、試験官が『あ、もう1回やって』と声をかける。それでも間違えてしまう人には一緒になって弾いてあげていた。そして全員弾きおわると、『はい、実技試験終了、みんな大丈夫だね』と言って部屋から出ていき、試験終了となった。
え、専門学校ってこんなとこなのか?
とその時に感じた事は今でも覚えている。
次回は大学編を書いていこうと思います。