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ミジカムジカ11「悲哀と幻想」プログラム原稿

日本舞踊とピアノが出会う(1)
悲哀と幻想
「月光」と「隅田川」を重ねて

舞踊 小桜佳之輔
ピアノ 古川莉紗
司会 上念省三

2021年3月28日(日)
西宮市フレンテホールスタジオf(練習室)

主催:超名曲コンサート実行委員会 
後援:西宮市・(公財)兵庫県芸術文化協会・クラブファンタジー(神戸女学院大学音楽学部同窓会)

【演奏曲目】
三番叟(不詳)
プレリュード~アヴェ・マリア(バッハ=グノー)
幻想曲ヘ短調作品49(ショパン) p
即興曲嬰ハ短調作品66(幻想即興曲)(ショパン)
夢(ドビュッシー) p
月の光(フォーレ) p
ピアノソナタ第14番作品27-2 幻想曲風ソナタ(月光)(ベートーヴェン)

【三番叟】
さんばそう、と読みます。翁の舞、千歳の舞に続いて舞われる部分です。叟は翁、お年寄り、の意味。三番目の演目、三人目に出てくる老人ということで、三番叟と呼びます。もともとはお能の演目で、「翁」が天下泰平を祈るのに対し、五穀豊穣を祈る祝言の舞だとされています。
今回、この企画の始まりに当たって、予祝の意味を込めて、この曲から部分的に抜粋、構成してご覧いただきます。詞章は、次の通りです。

 「おおさへおおさへほふ喜びありや喜びありや
  わがこの所よりもほかへはやらじとぞ思ふ」

  物の音につれて立舞ふ小忌衣
  千歳は近江なる白髭の御神なり
  
 「そなたこそ」
  初日は諸願満足円満

  これ式三番の故実にて 三日これを舞ふとかや
  柳は緑 花は紅数々や
  浜の真砂は尽きるとも 尽きせぬ和歌ぞ敷島の
  神の教への国津民
  治まる御代こそめでたけれ

【プレリュード~アヴェ・マリア】
 ヨハン・セバスチャン・バッハ(1685~1750)の「平均律クラヴィーア曲集 第1巻 」の冒頭の「前奏曲(プレリュード) 四声のフーガ ハ長調」、どこかで耳にされた方も多いのではないでしょうか。
 平均律と呼ばれていますが、英語でならWell Tempered、「よく調整された」という意味で、これも一種の音律(音階の高低の関係を数理的に規定したもの)だったようです。「平均律」と訳されているのは、やや疑問であるともされています。
 平均律について説明しようと思うと、数式が出てきたりして、なかなか目の前に断崖絶壁がそびえているような感じです。一言でいうと、オクターブ(ドから高いドまでの半音を含めた)12個の音の音程を均等に12等分した音律のことです。純正律など従来の倍数に基づく音律とは違って、響きが劣るとされているようですが、転調しやすいという利点があります。平均律の採用によって、曲途中での転調が自由になり、ヨーロッパのバロック音楽以降の隆盛(調性の変化によるドラマティックな展開が可能になったことなど)を支えたと言えるでしょう。
 グノーのアヴェ・マリアは、これも耳にしたことがあると思います。聖母マリアを讃える曲で、シューベルト、カッチーニの作品も有名でよく演奏されます。Ave Mariaは、大天使ガブリエルがマリアに受胎告知を行った際の第一声で、「やぁ、マリア」「こんにちは、マリア」というような意味でしょう。
 シャルル・グノー(1818~1893)の作品ですが、実は伴奏部分はバッハのプレリュードがそのまま使われているのです。バッハの作曲から137年の後、グノーが即興的に付けて弾いたメロディを、聴いていたツィメルマンという音楽家がアレンジして、1853年に「バッハの平均律による瞑想曲」として楽譜を発売したそうです。(J CASTトレンド「日常は音楽とともに」本田聖嗣 による)
 この企画の始まりに当たって、クラシック音楽の父と言われ、音楽の旧約聖書とも呼ばれているこの曲集の第一曲からピアノ演奏を始めようという趣向です。

【幻想曲 ヘ短調 作品49】
 フレデリック・ショパン(1810~1849)が1841年に作曲。幻想曲Fantasieとは、形式にとらわれない自由な曲という意味ですが、ショパンではソナタ形式を基本にして自由に構成した、4拍子の曲をいうようです。(3拍子のものはバラード)
 序盤のゆっくりした箇所は葬送行進曲と言われ、中田喜直の「雪の降るまちを」は、これをモチーフにしていると言われます。
 作曲当時のショパンは、ジョルジュ・サンドとの交際も順調で、穏やかながらも創造的な日々であったとされています。

【即興曲 第4番 嬰ハ短調 作品66(幻想即興曲)】
 「遺作」と呼ばれることがありますが、ショパンの死後1855年に出版されたからで、作曲年は1834-35年、最初に書かれた「即興曲」です。
 即興Impromptuは、ここでは「用意されたのではない」といった意味で、特定の形式を持たない思い付きの雰囲気によるものとなっています。
 波のようにうねる高音部、重厚な低音部のコントラストが印象的です。

【夢】
 クロード・ドビュッシー(1862~1918)が1890年に作曲。東洋趣味を思わせるファンタジックなハーモニーによる美しいメロディが好まれていますが、ドビュッシー自身は、若いころに生活のために書いたこの曲を嫌っていたそうです。

【月の光】
 ガブリエル・フォーレ(1845~1924)による1887年作の歌曲を元にしたピアノ曲。左手の第一拍はほとんどが休符で、メロディもそれにつられて不安定な揺れを感じさせます。
 歌曲の原詩の作者は、有名な詩人ポール・ヴェルレーヌです。フォーレはこの「月の光」以後、ヴェルレーヌの詩による歌曲を17曲も書いています。フォーレは「詩人の魂の中に宿っている深い情感、言い換え れば言葉では正確に言い表すことのできないものを浮 き立たせる役目を担っているのです」と言ったそうですが、詩のような音楽、音楽のような詩を愛していたのでしょう。

参考【能 隅田川】
<あらすじ>
春の夕暮れ時、武蔵の国隅田川の渡し場で、渡し守が舟を出そうとしていると旅人が現れ、女物狂(精神状態に不調をきたしている女性)がやってくると告げました。女は都の北白河に住んでいましたが、わが子が人買いにさらわれたために心を乱し、息子を探しに遠路この地まで来たのでした。渡し守が狂女に、舟に乗りたければ面白く狂って見せろ、と言うので、女は『伊勢物語』(平安時代初期に実在した貴・在原業平を思わせる男を主人公に、業平の和歌を元にした恋物語を中心とした短編集)九段の「名にし負はば いざ言問はん都鳥 我が思ふ人は ありやなしやと」という和歌を引き、自分と業平を巧みに引き比べて、船頭ほか周囲を感心させ、舟に乗り込むことができました。

川を渡しながら、渡し守は一年前の今日、三月十五日に対岸の川岸で亡くなった子ども、梅若丸の話を物語り、皆も一周忌の供養に加わってくれと頼みます。舟が対岸に着き、みな下船しても、女は降りようとせず泣いています。渡し守が訳を尋ねると、先ほどの話の子は、わが子だというのです。

渡し守は女に同情し、手助けして梅若丸の塚に案内し、大念仏で一緒に弔うよう勧めます。夜の大念仏で、女が母として、鉦鼓(しょうこ)を鳴らし、念仏を唱え弔っていると、塚の内から梅若丸の亡霊が現れます。抱きしめようと近寄ると、幻は腕をすり抜け、母の悲しみは一層増すばかり。やがて東の空が白み始め、夜明けと共に亡霊の姿も消え、母は、ただ草ぼうぼうの塚で涙にむせぶのでした。
(the能.com 能・演目事典 に加筆)

【ピアノソナタ第14番作品27-2 幻想曲風ソナタ(月光)】
 ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770~1827)が1801年に作曲。ピアノの即興演奏の名手として名声を得ていたベートーヴェンですが、20代後半から徐々に耳が聞こえなくなり、28歳の頃(1798年)にはほぼ聞こえなくなっていたと言われています。
 この作品が生まれた翌年には、有名な「ハイリゲンシュタットの遺書」を書いています。

 私の傍らに座っている人が、遠くから聞こえてくる羊飼いの笛を聞くことができるのに、私にはなにも聞こえないという場合、それがどんなに私にとって屈辱であったであろうか。
 そのような経験を繰り返すうちに、私はほとんど将来に対する希望を失ってしまい、自ら命を絶とうとするばかりのこともあった。
 そのような死から私を引き止めたのは、ただ芸術である。私は自分が果たすべきだと感じている総てのことを成し遂げないうちに、この世を去ってゆくことはできないのだ。
   (久留米市民オーケストラホームページより)

 そんな絶望の日々を送っていたベートーヴェンに、数少ない希望の光を与えていたのが、かつて弟子であったジュリエッタ・グイチャルディ(1782~1856)という貴族の女性への思いでした。
ジュリエッタは「1800年6月にトリエステから両親とともにウィーンへと移り、その美貌により上流社会で知られるようになる。間もなく作曲家のヴェンゼル・ロベルト・フォン・ガレンベルク伯爵と婚約、1803年11月14日に結婚した」(Wikipedia)とのことで、1801年にベートーヴェンにピアノを習っていたようです。
 このように、希望とその喪失の日々に作られたのが、一般に「月光ソナタ」と呼ばれるこの曲だったのです。すでに作っていた曲をジュリエッタに献呈したものですが、身分違いの実らぬ恋への苦悩から発した曲と思って聞けば、そのように聞こえますし、詩人のルートヴィヒ・レルシュタープがベートーヴェンの没後に第一楽章について評した「湖の月光の波に揺らぐ小舟のよう」と言われれば、そのようにも聞こえるでしょう。
 第一楽章(Adagio sostenuto 2/2拍子)について、ベートーヴェン自身が月光とか波とか、具体的な情景を思い描いていたという記録はありません。むしろ、彼自身はそういう受け止め方をあまり快く思っていなかったともいわれています。「全曲を通して可能な限り繊細に」と指示されています。その繊細さが、聴く人に様々なイメージを与えるのでしょう。2拍子ですが、ゆっくりとした三連符が続くため、独特な揺らぎを感じさせます。また、暗い曲調による下降するロマンティシズムから、葬送行進曲に擬せられることもあり、さまざまな想像をめぐらせることができます。本日は隅田川の女の物狂いの前段としてお聴きいただくことになります。
 第二楽章(Allegretto 3/4拍子)は一転、フランツ・リストが「2つの深淵の間の一輪の花」と呼んだものです。レガートとスタッカートが交互に現れ、生命感のあふれる楽章です。この楽章は、ピアノソロでお聴きいただきます。
 第三楽章(Presto agitato 4/4拍子)は、冒頭の分散和音と不規則に聞こえるアクセント(スフォルツァンド)が非常に激しい緊張感、焦燥感を生じさせます。その後も八分音符の連打などで追いかけられているような緊迫感は続き、第二楽章の軽快さを忘れさせ、第一楽章の暗さを思い出し、増幅させます。
 この激しい緊張、緊迫感を子を失うという事実に直面した女の狂乱に擬したのが、今回の公演のスタートです。
 第一楽章、第三楽章の舞踊を通じて、日本舞踊の持つ物語を語る力の強さ、ナラティブ(語り)の力というものを感じていただけるのではないかと思います。

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