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授業で野田秀樹を観ている
今年度の神戸学院大学の授業「舞台芸術研究Ⅱ」は、日本の演劇の歴史をたどっている。沖浦和光(おきうら・かずてる)さんの「なぜ人は、歌い踊り、演じるのか」https://www.jinken.ne.jp/be/meet/okiura/okiura2.html から、能、人形浄瑠璃、歌舞伎と来て、演劇改良、オッペケペー、女優の始まり、 築地小劇場、プロレタリア演劇、新劇、アングラ演劇と来て、つかこうへいを経て今、野田秀樹。今年度のメインは野田秀樹で、「半神」の後半、「赤鬼」全編を観て、今秋と来週で「エッグ」を全部観ようとしている。以下、学生の感想の一部。
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シリアスな内容の舞台の中でも観客が笑うことの出来る部分を組み込んだりしていてとても面白かったです。しかし、最後になるにつれて、しっかりと心に響かせる展開を作り出して広げていてとても心に残る作品だったなと思いました
「半神」を観た感想は、人間のアイデンティティや存在意義に深く踏み込んだ作品で、特に双子の姉妹が「完全」でありたいと願いながらも「欠けている」ことに悩む姿が強烈であると感じた。姉妹の結末が示すように、他者と繋がりながらも独立した存在であることの難しさ、孤独と共存の矛盾に胸を打たれた。幻想的な演出や台詞も相まって、観ているうちに物語の世界に引き込まれ、「自分とは何か」を問い直す貴重な体験になった。
「赤鬼」を観た感想は、鬼という日本の伝統的な存在を通して、異文化や偏見、理解し合うことの難しさを描いていて印象的であった。赤鬼の純粋さや誤解によって生まれる悲劇は、異なるものを「異質」として拒絶する人間の心理を映し出しているようで、共感しつつも痛みを感じた。また、シンプルな舞台装置と少人数のキャストでありながら、緊迫感と感動が伝わってくる演出が見事で、観終わった後もしばらく余韻に浸っていた。他者と共存する難しさと、理解し合うための努力の重要性を改めて考えさせられる作品であるのではないかとかんがえる。
赤鬼の、鬼が人間を食べるんじゃなくて人間を食べるから鬼なんだというのが心に残りました。
鬼を自分たちとは全く違うものと差別していたのに最後には自分たちも鬼であると着地するところが震えました。
「半神」の漫画と演劇を見てまず初めに驚いたのは、世界観が凄く独特に変わっていた事だ。漫画の半神の雰囲気と演劇の半神の雰囲気は、似ても似つかない感じがした。漫画の方の半神は、ミステリアスで全体的に暗い雰囲気のある作品だった。一方で演劇の半神は、ミステリアスな雰囲気はありながら、コメディのような明るさも兼ね備えていた。テンポが早くて、セリフも多くて、場面や登場人物の移り変わりも激しいので、観ていて惹き込まれるような空気感があった。実際に野田秀樹の演劇を見たらその迫力に圧倒されるような気がした。野田秀樹の演劇を他にももっと見てみたいと凄く感じた。
「赤鬼」感想 観客がステージを囲む作りを最大限に生かした演劇だと思った。特に、演者が客席ギリギリまで駆け回ったり客のカバンを演技の小道具に使用したりする点が、客を引き込む工夫に繋がっていると感じた。
内容について、この物語は現代の部落問題にもつながっていると思った。浜の人々は異邦人のことを鬼だといって恐れ、殺そうとした。これは、自分と少しでも違う見た目をしているものを排除しようとする差別問題と類似しているように感じた。
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学生が正面から野田秀樹の劇作法とテーマを受け止めてくれているのが、本当にうれしく思えた。神戸学院大学の学生は人文学科とはいえ演劇を専攻しているわけではないので、演劇体験はないか少ない。劇団四季や宝塚(受験した者もいるようだ)は知っているが、野田秀樹は最近松本潤が出るというので知ったという者もいるぐらいで、言うところの演劇リテラシーは概して高くない。でも、ほとんどの学生が背筋を立てて真剣に観ている。
授業としては、映像を見せているだけみたいな時間だから、手抜きをしているようで後ろめたくもあるのだが、百聞は一見に如かずというか、評論をいくら読んでもわかるところしかわからないし、ダイジェストでいいところ?だけ見せても、劇という時間の中でややだるい時間の存在を知らないと、わからないものがあると思う。
テーマがテーマそのものとして直接的に提示されるのではなく演劇、創作、舞台芸術として提示されることで、どのようなキラメキが生まれているか、そこが伝わればうれしい。
野田が終れば、平田オリザや柴幸男(ままごと)「わが星」や劇団☆新感線を扱う予定。
演劇の沼にはまってくれれば、うれしい。
なお、専任教員の担当コマ数調整のため、この授業の担当は今年度限り。2007年秋から科目名の変化はありましたが、長期間担当させていただきました。熱心でまじめな学生に恵まれました。