日常の戸惑いと言葉のきらめき
本当に久しぶりに手に取った、井坂洋子詩集『朝礼』1979、今日の一冊です。改めて、こんなにすごい作品たちだったのかと! 女子高校生の身体の生理のみずみずしさや戸惑い、それをプロセスとして経てきた詩人自身の現在地が彼女たちに投影される時の淡いスリル、もう40年以上も前の詩集ですが、本当に言葉がキラキラしている。
有名な「朝礼」という作品、朝の校庭に整列した生徒たちを「濃紺の川」と表したあとで、遅刻して坂を上がってくる生徒のことに目が向けられる。
川が乱れ
わずかに上気した皮膚を
濃紺に鎮めて
暗い廊下を歩いていく
と窓際で迎える柔らかなもの
頬が今もざわめいて
感情がささ波立っている
訳は聞かない
遠くからやってきたのだ
理屈では目の前の日常的な光景が描写されているということがわかるけれども、言葉の向こうから何かとんでもなく大きく深く聖なるとでも呼びたくなるようなものが顔を覗かせているように感じてしまう。言葉が別の力を持ってしまう瞬間。