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冬至以降の怒涛の日々と、ムーの三月号総力特集

あけましておめでとうございます、
今年は絶対何か、はっきりとわかる変化が来ることでしょう。

早速ですが、下記のnote記事に連動する記事が、ムーの三月号の総力特集となります!

相互に補い合うような、同じようでいて全然同じではない記事です。
今日は、その記事執筆に絡んだ年末の裏話を書きます。実は12/21の冬至以降、今までの人生にはなかったほどの、怒涛の日々を過ごしてました。

12/21
ムーの編集長に、総力特集の章立てを書いたメールを送信。
この時点で原稿はまだ一ページしか書いていませんでしたが、掲載号も聞いていないし、上記で急ぎの仕事は終わったと言う認識。

12/22
溜まりに溜まったストレス解消のため、携帯を切って、「神経を休ませなければ」と自分に言い聞かしながら、ダラダラと飲む。

12/23
未明に胃痛。吐き気もしてくる。朝になってやっと吐いたものの、まだかなり気持ち悪い。
それでも福島の父のところに往復。
帰ってからはトイレと布団の往復。

12/24
夜に、大切な友人との夕食の約束があり、体調が大丈夫か悩んだけれど決行。しかしコースの終了あたりでお腹の痛みがハンパなくなってきた。帰ってからはもう完全にトイレと仲良しに。

12/25
だるいと思いながら会社仕事を早めに切り上げ、メールを見たらなんと、編集長からこんなメールが!

ええ〜

ええええ〜

無理だとメールを返しながら、それまでのメールを読み返した私は、編集長が25日を目処に原稿を期待していたのを知りました。

確かによく読めばそう取れるし、心のどこかではそう言う意味かもしれないと思っていました。しかし掲載号も聞いていないのに、いきなり本原稿を送れと言う話はないな、と、忙しい日々の中で思っていたわけです。正常な状態の自分なら、絶対確認していたでしょうね。

さて、夜7時頃、私は友人まで巻き込んで編集長と一刻も早く連絡を取ろうとやっきになっていました。でも心の中では、いまさら掲載号の変更は無理という意識が。そして、実は

掲載号が確定してから改めて梯子さんに深いインタビューをしていくつもり

だったのです。しかしもう仕方ないので、そのページ数を少なくして、他にもっとページを割こうと決めました。

12/26
梯子さんと協力してくれるライターに事情を説明。28日までに新たな質問の回答を送ってもらい、29日にmeetingする約束を取り付ける(ライターさん、今回は本当にありがとうございました)。

とは言ったものの、いずれ記事を読んでもらうとわかりますが、梯子さんは簡単に連絡が取れなくなってしまう人なのです。将来、彼の話をフィクションとして出す予定で聞き取っているライターがいて、彼女はすぐ反応してくれましたが、現在帰省していて、クラウドにバックアップしてある分の原稿にしかアクセスできないと。

この辺で私は、何か高次の存在が、今与えられた条件だけで原稿を仕上げろと言っているのだと感じました。梯子氏本人との連絡がとれなくなったのも、表面上は精神的な問題が理由ですが、あとは自分で考えろと、高次の彼が言っているのだと感じます。

12/31
そして色々と制限がある中で、突貫作業で原稿を上げました。しかし結果としてこれで良かったのだと感じています!

2/9発売なので、お楽しみに!

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