自己紹介的なこと
noteとアメブロをこれからどう使い分けていこうかと悩みながら、とりあえず自己紹介を書くことにしました。私が不思議世界に足を踏み入れる最初のきっかけは、一番最初の記憶です。
最初の記憶
三歳くらいでしょうか。ふと気がつくと、私は当時住んでいた仙台の実家で、姉と追いかけっこをしていました。八畳間で走り回る姉と私。そして、それを見守る母。その二人とも初めて見る顔でした。いや、それよりも、私はつい先ほどまで自分が何をしていたのかわからないことに驚いていたのです。突然芽生えた私の意識は、この異常な状況にも関わらず何となく理解していました。
「ああ、これが姉で、こっちが母か」
これより後の記憶で、近所のラーメン屋で東京オリンピックのテレビを見たというのがあります。このとき私は三歳と四ヶ月なので、この最初の記憶は二、三歳頃のはずです。
この話を小学校時代に作文に書いた私は、「想像力豊かな変な子」というレッテルを貼られてしまったと思います。こんな経験から始まった人生なので、不思議に対する好奇心は幼い頃から旺盛でした。
自殺未遂
私は三歳頃から小児喘息で、ずっと入退院を繰り返していました。結構重度の喘息で、ときには息ができなくて気絶し救急車で運ばれるほど。そんな子供だったので、まあ、ほどよくいじめられていました。でもこれは別に苦ではなかった。特に小学二年の時に療養所に入ってからは、割と元気にやっていました。生粋のいじめっ子が入ってくるまでは。
その彼が入ってくる前、療養所内に問題児が入院してくるという噂が流れていました。この時私は小学六年。すぐに彼を中心としたいじめが始まり、親しい友人もいない私は追い込まれていきました。親から離れて国立療養所にいた当時の自分は、自然に自殺を考えるようになっていました。しかし実際に入水自殺をしようとした池は腰までの水しかなく、そこに顔を埋め、死ぬまで耐えるのは大変すぎると思い、踏みとどまったのです。だから、今でもこうして生きているのですね。あの池がもし深かったら・・・
自殺未遂をした頃、ある日宣教師が慰問に来ました。宣教師にもいろいろな人がいて、いろいろな教えがあります。このときの宣教師は「人は死んだら土に戻る。そして、復活の日に神に選ばれた人だけが復活するのです」、そう教えてくれました。私は本気でそれを想像しました。
そう思った私は無性に悲しくなったのです。自分が消滅してしまうという感覚はとても受け入れ難く、私は思わず泣きじゃくってしまいました。
それ以来「人は亡くなった後どうなるのか」という命題が、私の人生において一番優先すべきものとなりました。
死後の世界の研究
私がこう思い始めた1973年、まるで私の興味に呼応するように、ある少年漫画が始まります。「うしろの百太郎」という、つのだじろう氏による心霊漫画が始まったのです。
多少漫画的に脚色され、実際にはめったに見られない、もしくはあり得ないほど派手な心霊現象が頻繁に出てきます。しかし、基本的に取り扱っている題材は、海外で100年以上続いてきた、伝統的な心霊現象研究の成果でした。
これで心霊知識の基礎の基礎を学んだ私が、次に出会ったのはスウェーデンボルグの著書です。
私は彼の著書のおかげで、死後の世界は確かに存在すること、おぼろげながらもそこがどのようなところかがわかってきて、とりあえず下記のようなことを学んでいきました。
バシャール、そしてヘミシンク
1988年、「バシャール」という本が出ました。内容は、バシャールという宇宙人とチャネリングができるという人が、そのトランス状態で語った言葉で、この世界がどうできているのか、その中で人間というのはどのような存在なのかを語っています。当時はまだチャネリングの仕組みもわかっていなく「宇宙人が乗り移って話すんだ。すげー!」と素直に受け取り、その内容を喜々として読んだものです。そしてすぐに、ワクワクしながら生きていたら、信じられないほどの偶然がたくさん起こりだしました。
それからしばらくしてヘミシンクに出会いました。ヘミシンクは、両耳から異なる周波数の音を聞かせると、その差分にあたる周波数の脳波が生まれやすい、という原理を利用して、脳波を誘導する技術です。
ヘミシンクの音源シリーズは大きく2つに分かれていて、意識の拡張のものと、その拡張した意識状態で暗示をかけるヒューマン・プラスシリーズとがあります。それらを色々試していて、私はその効果を実感しました。
意識拡張の方のシリーズでもかなり興味深い体験を続け、不思議が自然になっていた自分です。しかしその自分でもびっくりする情報がある日現れました。
あの世との電話
1997年。ヘミシンクの影響でやたら意味深な夢を見て、潜在意識との疎通がよくなっていた私はある日、本屋で何の気なしにある雑誌を手にしました。
ここにある「あの世の死者がテレビに映った!」という記事が面白そうなので、それをとりあえず立ち読みしました。これが読んでみたらビックリなのです。たまたまテレビに霊が映るくらいなら、当時の私の常識にとっては特にすごいことではありません。ところがこの記事では、意識的に向こう側と連絡を取り、電話・テレビ・ラジオその他で交流を保っているというのです。ドイツで栄え、この時点ですでに世界中に広がっていたこの研究は、Instrumental TransCommunication(電子機器による他界との交信)を略してITCと呼ばれています。
ITCによってわかってきた、これまでにないほど詳細な死後の世界について、マーク・メイシー氏がパット・クビスさんと一緒にまとめた本があります。この本「Conversations Beyond the Light(光の向こうとの対話)」を、私は当時知り合った人と一緒に翻訳出版することになりました。
とても良い本だと思うのですが、絶版になっています。今の時代だったらもっと売れるかもしれませんね。
歴史的な心霊研究
ボーダーランドの記事がきっかけで知り合った故梅原伸太郎氏は戦前からの心霊研究者で、スウェーデンボルグを主に学んできた私を「筋がいい」と評し、心霊研究の歴史を色々と教えてくれました。私は彼に勧められるまま、伝統的な研究内容を記した本を手に入れて読み始めました。
そして日本語で読める重要な心霊研究本は読んだのですが、私は一般世間には出てきていない研究成果がこれだけあったのだと驚くとともに、もっともっと知りたくなりました。そして英語の情報を求めていた際に見つけたのが、オーストラリアの元弁護士、ヴィクター・ザミット氏です。彼は「A Lawyer Presents the Evidence for the Afterlife(弁護士が死後の世界の証拠を提示する)」という本を書いていました。私は出たばかりのその本を購入し、今まで少ししか知ることのできなかったSPR(The Society for Psychical Research:心霊現象研究協会)のさらなる研究内容や、そこから派生した人たちの研究内容を知ることになったのです。
念力計
私がITCの情報に出会った頃、世の中の不思議を体当たりで調べている人がいました。私は彼のHP「不思議研究所ドットコム」で運営されている掲示板を頻繁に訪れ、やがて彼と直接会う機会を得ます。その彼というのは森田健氏。たくさんの著作があるので、知っている方もいるでしょう。
彼を通じて私は念力計を試させてもらうことになりました。
これはある日本人が自分の理論の検証のために作っている機械で、念力計と人の間には何も接続はありません。最初に森田氏のデモンストレーションを見て確かに動いているのを確認し、私もトライしました。まず右メーターを振ってみる。
次に左回りにイメージを変えると、これがなかなか動きません。そこで森田氏に聞いたところ、「ああ、回転イメージをいったんキャンセルして方向を変えるのは、最初は難しいんですよ。いったん念力計の〇点を調整し直してから左のイメージを送るといいです」と教えてくれました。その通りにして再び〇から始めたら、今度は左メーターがちゃんと動いていきます。しかしこの途中で森田氏と梅原氏の話に気を取られて聞き入ったところ、動き始めていた左のメーターはまた〇に戻ってきました。そこでもう一度振らせようと念じたら、これがまた振れてくるのです。私は意識が物理現象を起こすことを全然疑っていませんでしたが、それでも目の前で自分の意識に合わせて振れる針を見るのは、ちょっとした感動でした。
本の執筆
2015年、私の勤めていた外資系の会社が、日本支社を閉めることになり、私は職を失いました。ただ、そのときの私には、時間ができるのならひとつ、やりたいことがありました。それは今まで研究してきたスピリチュアル関連の話を本としてまとめることです。
その後退職金と失業保険で暮らしながら、私はしばらく本を書くだけの生活を続けました。そのときまでにパソコン関連の本を数冊書き、前述の翻訳本を出していますが、スピリチュアル本を一から書くのはこれが初めて。なんとか書き上げて出版社も見つけ、翌年、この本は「新しい考え方 視えない世界はこんなに役に立つ」のタイトルでヒカルランド社から刊行されました。
この本は人の意識構造と、あの世やパラレルワールド、それ以外の異世界まで全て含めた世界全体の構造を解き明かし、その上でどう生きたら良いかを問うものです。この本の他にはない特色は、簡単に信じられそうなことから徐々にレベルを上げて、最後にはとんでもないことを信じてもらえるように書いてあることです。ただ、そのせいでページ数がとても多くなってしまったのが難点ではあります。それもあってか、この本はあまり売れていません。
ジョン・タイター
本の執筆後、私のスピリチュアル世界探索に新たなページが加わります。それはタイムトラベルです。本が出版された後、私はある人からとてもよかったというメッセージをもらいました。そしてやりとりをする中、彼も編集に関わった、同じヒカルランド社から出た本「非物質ガイドとの探索」を勧められました。その講演がヒカルランド社であると聞いて早速聞きに行き、そこで世界線の概念を聞いたのです。正直、世界線という言葉を初めて知ったのはこのときなのかどうかはわかりません。しかしその詳しい概念を聞いたのは、この講演が初めてでした。
著者の真名圭史さんは、ヘミシンクで何度も体外離脱をしながら、目に見えない世界を探索している人です。この本には、体外離脱状態でガイド達にいろいろ教わったことが書いてあり、3巻には彼が様々な世界線の自分を見せてもらう話もあります。彼の講演で、どの世界線においても関係の深い魂を持つ人達は何らかの形で干渉し合う、という考えは新鮮でした。ある世界線では友人の人が、違う世界線ではテレビの向こうから影響を与えてくる人だったりすると、彼は言っていました。また、世界線を作り出す中心になる人たちと、その世界線を認識する周りの人たちがいるというアイデアも、とても新鮮でした。
こうして世界線の概念(限定的ではありますが)を聞いたあと、私の考えは本を執筆していた時よりも、だんだんと整理されてきました。そして2017年5月頃から、時間とパラレルワールドに関する自分の考えを、なんとか分かりやすく説明しようと試みていました。その過程で初めてマンデラエフェクトという事象を知り、ジョン・タイターの情報を見つけたのです。
タイターの全貌はほとんど知られていません、wikiにも基本情報が載っているだけで、それ以上の情報は、少なくとも日本では、私が頑張って発信しているものしかないと思います。英語だとそれなりにあるのですけどね。一般的に彼は、2000年10月からあちこちのチャットに出没し始め、11月以降翌年三月まで、アメリカの大手ネット掲示板で2036年の未来から来たと言いながら、たくさんの質問に答え続けた人物として知られています。
タイターは世界線という言葉を使い、タイムトラベルは別の世界線に行くことになる、と言っています。あまり遠い過去に行ってしまうと、現在自分がいる世界線と行き先の世界線との差が大きくなりすぎるので、安全にタイムトラベルができるのはだいたい60年くらいだそうです。これなら、それぞれの世界線の過去の相違が、2%以内に収まるとのことです。これを無視して無理矢理紀元1年にキリストに会いに行ったとしても、キリストが生まれなかった過去に行くかもしれないということです。
タイター研究者たちにとってタイターが二人いるのは当然で、彼に関連する未来人たちも、チャーリー・へイネス、ジャスティン・スチュワート、アードン・クレップ、アレクサンダー、ロバート・ウェストネルと言ったように多数存在しています。
さらに本家のジョン・タイターとはまったく関係のない、クローン人間でタイムトラベラーのジョン・タイターもいます。彼は本家タイターの情報を発見した時、偽物が現れたと感じましたが、向こうのほうが知名度が上なので、彼は「ジョン・タイターII」と名乗るようになりました。私はこれからも彼らの情報を追い続けようと思っています。
そして現在
こうした事柄をずっとアメブロで発信していたのですが、先日初めてnoteの記事を書きました。
ちなみにムーの編集長から、この記事のリメイクでも良いので、来年に巻頭特集を書かないかというお話をいただいています。そして今、この記事と相互に補い合うような記事を考えているところです。
今までこうして生きてきたおかげで、人間や世界がどんな仕組みになっているのか、少しはわかってきました。でもゴールはまだまだ遥か向こうです。それでも、今まで分かったことの内容をできるだけ発信して行きたいと考えているので、動画のネタなどをお探しの方はぜひ気軽にお声がけください!
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