1998年5月のロブ・ハルフォードのカムアウト記事 翻訳
はじめましてMelonもとい狂(きょう)です。メタラーの姿をしながらロックとゲイのイメージに特化した研究をしている人です。(きっかけはDead or Aliveの80s日本公演...ピート・バーンズが男性ダンサーを従えて、それにみんながワーキャー言ってる、そんな画面に衝撃を受けて今ここにいるんです。私からすると”ゲイ差別ってなんだっけ”ってなる映像でした。)
本題に入ると、「ヘヴィメタルとゲイ」に欠かせない人物はロブ・ハルフォードでしょう。ヘヴィメタルというと男くさくて「ホモはあっちにいけ!」なんて雰囲気があるようなイメージですが、そんな中ロブは1998年5月12日、ゲイ雑誌のThe Advocateでゲイであることをカムアウトしました。そこではメタル界でゲイとして生きることのしんどさや、自己表現のあり方が赤裸々に語られています。今回はそんなロブのインタビューを翻訳します。
なぜ今カミングアウトしたのですか?
―私は長い間そうしたいと思っていたよ。何を得て、何を失ってしまうのかをね。音楽の世界で成功を収めたとき、人々がより一層クローゼット の内側に入っていってしまうことは事実だ。なぜならロック音楽界にはいまだにフォビアが存在しているからね、レコードの仕事やファンの基盤を失う可能性がある。それが多くのミュージシャンのカムアウトを困難にしているんだ。※「クローゼットに入る」とはゲイ界隈の隠語で「自分の性的指向を隠すこと」を示す。「ホモフォビア」とは同性愛嫌悪のこと
特にこの音楽ジャンルにおいて何がカムアウトの助けとなったのですか?
―そうだね、5年前からカムアウトを考えていたが、それはとても困難だった。しかし友人たちが、自分がカムアウトしたときにどう感じたか私に話してくれて、同じ感情を経験してからはすぐだった。この明快さと平穏さ。反発やヘイトメールはなかったよ。自分のカミングアウトが人々に容易に受け止めたということは、彼らが私の音楽とすばらしい時間を過ごしていたことの証だろう。それは「そう、このすばらしい音楽とショウを見てくれ。ゲイであることが何か問題になるのか?」と言うようなものだ。※当記事ではカットしましたがインタビュー冒頭でPansy Divisionというゲイ・バンドの協力があったことが語られています。当時一緒にパフォーマンスしたらしいです。
どのように自らのホモセクシュアリティを何年もジューダス・プリーストから隠したのですか?
―プリーストの皆は私がゲイだと気づいていたよ。
そうなのですか?メンバーはあなたがゲイだと知っていたと?
―そうだ。プリーストとの関係を始めた方法は自分の姉を通してだったから、みんな知っていたよ。彼女はベースのイアン・ヒルと付き合っていて、私の歌唱力と、たぶん私の私生活についてもイアンに話したと思うよ。
彼らがゲイ男性をリードボーカルに据えたバンドを持つことを恐れなかったのはすばらしいことです。
―私はプリーストの中でホモフォビアを経験したことはないよ。もし彼らが私のセクシュアリティについて問題を持っていると感じていたら、バンドには入らなかったと思う、それが明らかに自分にできる最もベストなものだとしても。
私はかつてあなたとthe Adovocateとのインタビューについてあなたの広報担当と連絡を取りました。それについては知っていた?
―私が気づかなかったということはありえるよ。マネージメントに電話して、レーベルに電話して、人々は私たちがロブのセクシュアリティについて話したいと言う。しかしプリーストはそうした社会的、政治的な議論にはかかわっていないよ。
ガールフレンドがいたふりをしたことはある?
―いや、一度もないよ。私はブロンドの子を腕に抱えてレコードリリース記念パーティに行ったことはないし、そういった類のこともない。タバコの煙をくゆらしながら歩いたこともないかなあ。
ジャーナリストとして、ツアーバスでメタルバンドと旅をしてきた私の経験からすると、バンドメンバーはよくロードの途中で女の子と恋におちたり彼女を連れて行ったりしますよね。
―確かに、私もやってきたことだ。
男の子と?
―確かに、そうだね。現在3年間連れ添っている男性は現在のツアーに同行する予定だ。我々は今性的なものを超えて、プラトニックな友人となっているよ。一緒には住んでいるけども、お互いどこにも行ってほしくないんだ。私は今扱えるだけの真剣な関係だけを持っているよ。ロードにはその人たちだけを連れていくだろう。
ロードの途中でロック誌がインタビューを行っているとき、あなたは男性の付添人(コンパニオン)を隠していたの?
―「あなたは部屋にいて、インタビュアーが立ち去るまでは顔を出さないほうが良い」ということを意味しているんだね?「私とロードに来てるボーイフレンドを見ていけよ」といった軽率な行動はしなかったが。そういうのは典型的なエルトン・ジョンのことだね。知ってると思うけど、エルトンの恋人は今でもロードにいて彼の世話をしているよ。ゲイだと知られることがなければ、周囲のストレートのロッカーの中でそんなに寂しい思いはしない、
ストレート(異性愛者のこと、「ヘテロ」も同じ意味)のロッカーたちの中で感じた孤独感について教えてください。
―それは恐ろしいよ。ショウが終わったあと皆は女の子がいるバーやストリップ・バーへ行き、女の子を拾ってきては部屋に行くんだ。私はゲイ男性だからそういったことはやらなかった。とても孤独を感じる経験だったよ。何千人ものファンの前で素晴らしいショウをするんだ・・
そして彼らの多くは男性だと!
―そう、クレイジーだろ?そういう男たちに囲まれて、一人で部屋に戻るんだ。11:30ごろかな、ほかの皆が廊下を通って外をぶらついてる間、私はドアを閉めてトゥナイト・ショウを見て眠るんだ。乱痴気騒ぎのロックンロールをしながらね。
男の子を拾うことはなかったのですか?
―あったよ。知っての通り、バックステージをうろつく他のゲイの男の子とロックンロールのグルーピー的な経験をしたことは数回ある。(ロード中は)私のゲイダーはオフになるんだが、それでも孤独はあった。
クローゼットに入っていた他のゲイのロックスッターに気づくことはありましたか?1991年にエイズで亡くなったフレディ・マーキュリーについてはどうですか?
―そうだね、フレディ・・・彼についての印象的な経験はあるよ。特に私は彼の音楽を聴いていたから。彼のことをパフォーマーとしてもミュージシャンとしても尊敬していて、友達になれたらよかったなと思っている。私はギリシャのミコノス島での出来事を覚えている。飛行機がアテネで止まってしまって、私はたくさんのゲイの友人たちとともにいた。私たちはギリシャのゲイバーに行ったんだ。フレディもその店の角に座っていて、私はもう一方の角にいた。そこでお互い笑いあって手を振りあったんだ。「やあ調子はどうだ?」と。彼は2週間 ミコノス島で大きなクルーズ船に乗っていたんだけど、それはピンクの風船で花綱飾りがされていたよ。それで島のあちこちを回り続けるんだ。私たちが一緒になれる機会があったらなあと思っている。彼が亡くなったとき私も皆と同じように暗い気持ちになったよ。
あなたがゲイだったとして、ジューダス・プリーストに加入した時の1970年代初期の状況は?
―ゲイカルチャーというものはすでに確立されていたけれど、まだアンダーグラウンドなシーンだったよ。いまだ政治家たちに悪く言われていたんだ。誰かがバーに行くとしても、その場所は秘密とされていて、だれもそのバーがどこにあるか知らないっていう時代だ。社会に同化するという試みもなかったね。
どのようにしてレザー・ルックを作り上げたのですか?
―私が作り出した表現はレザーやスタッズ、鞭、鎖、バイクが自分には合わないなと思う以前に自分がやっていたことから単純に出てきたものなんだ。プリーストは派手なサギー・パンツ(だぼっとしたズボン)でステージに出ていたんだ。それはちゃらちゃらとしていて、軽いイメージがあったけれど、自分には良いとは思えなかった。自分たちが演奏しているサウンドに合う衣装は何だろう?それで言ったんだよ、オーケー、私はゲイなんだからレザーを着てそのセクシュアルな面―その世界―を表したらどうかって。そして私はそれを持ってステージに上がったんだよ。そんなわけで私はレザーを着てバイクに乗ってステージに来たんだ、それで初めて自分でいられるような感覚になったんだ。本当に最高だよ。こうやってもっと派手にしていったんだ、なぜなら自分たちの音楽はとても喧しいからね。人生以上に大きなものだよ。それで最初に行った場所はMr.Sというロンドンのレザー・ショップだった。
それは誰向けの店ですか?
―レザー・シーンにいるゲイの人々向けさ。でも私はそこでハーネスと手首につけるバンド、コックリング状のアイテムを見ていたのを覚えているよ。それでオーナーに自己紹介して自分が探しているものを説明したんだ、そしたら私に合うものを探し始めてくれたんだ。
あなたは「なんてこった、ヘテロ的なメタルのショウの中心でゲイ男性のレザー・シーンを演じているなんて!」と思ったことはなかったのですか?
―もちろんあったよ!自分自身に「ここでお前がやっていることに気づいているのか?」と問いかけることもあった。つまり、ハーネスや手錠、鞭、鎖といったものすべてだ。これはすべてSMのフェティッシュ的なものじゃないか!でも誰もそれを問題にしなかった。みんなそれにクレイジーになったから、私もやり続けたんだよ。
あなたはストレートの男性も魅了するロックにおける美学を作り出したのですね。
―それは事実だと思う。最近あるゲイと会ったのだけど、こう言っていたよ。「13歳のころMTVを見ていたらあなたがレザーの衣装で歩き回っていて、その時は常に勃起していたんだ。」メタルのなかにもレザーを身にまとったたくさんの男性がいるよね。彼らは自分たちを熱くさせているものを実際に見るまではそれらがゲイ的なものだと知らないかもしれないね。
あなたのヘヴィ・メタルの裏にある怒りについて教えてほしい。何に対しての怒りがあるのですか?
―自分自身に怒っているんだと思う。自分は性的な機能障害に陥っていて、それは排他的なストレートのロックの世界にいたからフィットできなかったんだと思っていた。それにフィットしたかったんだよ。困惑してて、イライラしていた。そしてそれを発散できる機会を持てたことは自分にとって良いことだった。もし[ヘヴィ・メタルで]発散できなかったら何をしていたか本当にわからないね。
今カムアウトしたけれど、これからもあなたの痛みを吹き飛ばすために叫ぶことはありますか?
―それは重要な質問だね、なぜなら私は頭の中の騒々しさや叫びを出すことに喜びを感じているからだ。これは誰にでもおすすめできるよ。言葉にならなくてもそうやって表に出していくんだ。これは人々がロックのショウでやっていることだよ。彼らはクレイジーになるんだ、わかるだろう。モッシュして叫んで、殴りあって、でもそれは破壊的で暴力的な方法じゃない、カタルシス的な方法なんだ。
でも今私は自分のホモセクシュアルについてカミングアウトした。これからは自分の口から地球にいるどの人々が等しく扱われ、同じ権利を持つことについて叫びたいと思っている。私たち全員が人間であり、否定されるべきではない。これは私の旅の新たなステップとなる。平等な権利のために立ち上がり、声を届けよう。
同性婚の権利は欲しいですか?
―もちろん。自分がこの権利を持てないと言うことになるルールは存在するべきではない。それは宗教的観念によって包まれているものだけれど。
どうやって宗教に関心をもったのですか?
―それは自分の人生にとってそれほど重要な部分じゃなかったんだけれど。あなただってイギリスの学校で宗教の講義を受けるだろう…それはカリキュラムの一つに過ぎなかったんだよ。
では、何があなたを宗教的探求に向かわせたのですか?
―しらふの状態を通してだね。なぜなら私はアルコール依存から回復したから。12年かかったよ。自分を動かしたものは何なのか知っているよ。それ以前は、私はどうしようもなく馬鹿な人間だった。
あなたを禁酒に向かわせたきっかけは何ですか?
―大きな出来事があったんだよ。私が惹かれた男性の多くはストレートの男性だった。当時付き合っていた男性はコカインの問題を抱えていた。私たちの関係は最も身体的に惹かれあった関係の一つで、ひどい暴力があった。私たちは酒に酔い、またコカインの摂取によってお互いになぐりあった。あの日も喧嘩していた。そして私は安全を確保するためにその場を離れてタクシーを呼んだ。タクシーに乗り込もうとしたとき、彼が来て、「見ろ!俺はお前を本当に愛していることをただ伝えたいだけなんだ!」と言った。そして彼が離れたとき、私は彼が銃を持っていることに気が付いたんだ。その後彼は頭を銃で打ち抜き、自殺してしまったんだ。
それがあなたの最も大きな悪魔的出来事だったのですね。
―それは嫉妬だね。私は嫉妬するような人間ではないんだ、誰彼となく付き合うことは私にとってはOKなんだ、でも彼はそうじゃなかったみたいだ。
労働者階級の両親はあなたのカミングアウトについてどう考えていますか?
―ゲイであることをMTVで答えた時、それはイギリス中で放映された。私の母は「私たちはMTVを見たわ、私たちはあなたのことをハッピーに思っているわ」という感じだった。父と私はそれ以上のことをすべて話した。会話を負える時に父は「私はお前を誇りに思っているよ。カミングアウトはとても勇気がいることだったと思う、ただ私はお前を誇りに思っているということを伝えたい」と言った。それは電話越しだったけれども、初めて私と父が会話で繋がれた経験だった。顔と顔を突き合わせて話せたら良かったんだけど、もしそうだったらお互いにハグをして泣いていただろうね。
家族の中にゲイはいましたか?
―いいや、叔父もいなかったしね[笑い]ゲイは誰もいなかったよ。だからとても寂しかったし、孤独を感じたよ。
いつロック音楽に興味を持ったのですか?
―私はすべての音楽が好きだ。学校のコーラス隊で歌っていて、ステージの上にいるような感覚を持っていた。だから私はゲイであることは良くないと考えていたが、それ(ゲイであること)にかかわる物事への需要があったんだ※音楽という場そのものがゲイであることを受け入れてくれたという意味かもしれない)。私は声を持っていたから受け入れられた。私はステージに立つことができ、人々は拍手をしてくれる。それはバランスの取れた結果さ。
あなたにとって、ゲイであることによって憎まれることへの恐れは?
―確かにその恐怖はある。だから16歳で学校を去り、そのまま大きな劇場での仕事に行ったんだ。私はハイスクールというストレートの世界から、ゲイ男性がどこにでもいる劇場へ行ったんだ。そこから自分が一人ではないと考え始めたんだ。
あなたは先ほど、今日はセクシャルではない永続的な関係をもっていると言いましたね。セクシャルな関係への願望はありますか?
―時々私はボーイ・ジョージと同じように感じることがあるよ。「僕はただお茶を飲みたいだけなんだ」とね。性的な関係は過ぎ去ったんだよ。そして中年に差し掛かっている、私たちはセクシュアリティの一部分の変化を感じ取っているんだ。
ビターに見えますね 。夢見がちな時期がなかったらそうはならないでしょう。かつてはロマンティックで、性的で永続的な関係を持つことを信じていた時期があったのではないでしょうか?
―[笑い]私はみんなに「私はビターな人間じゃないよ」と言っているよ。でも多分そうなんじゃないかと考え始めている。そうだね、僕の一部分はそれを求めていて、もう一方はそうじゃないって感じかな。私が関係を持ってきた大部分の人たちは、突然去ってしまったか結婚してしまったストレート男性だった。彼らは私とは単に実験的な関係を結んでただけなんだろうね。※ここで使われている「bitter」って性的に淡泊な様子だと思うんだけど、どう訳したら良いかわからず原文ママです
まだ引きずっているのですか?
―そうだね。すべて馬鹿げた考えだったけど、私をクレイジーにさせたよ。
でもあなたはまだ愛を求めている?
―もちろんだよ。Loveって悪魔的な四文字の言葉だ。愛って神の作り出したちょっとした悪ふざけだと思っているよ。
今回完全にクローゼットから出たことで、あなたにとってのすべてが変化するでしょうね。
―ああ。クローゼットから出たとき、それは素晴らしい瞬間だろう。今私はクローゼットから出て、自分を解放できたように感じている。もしかしたら素晴らしい瞬間はまだ起こっていないのかもしれない、なぜなら私たちはある一人の人を見つける運命にあるんだ。[涙を流しながら]本当にそうだと思っているんだ。
あなたはさくさんのものを通過してここに到達したんですね。
―そうだ。最終的にカミングアウトすることができて、特にThe Advocateでこれを述べられたころは私にとってうれしいよ。なぜならこの雑誌のおかげで私は何年も居心地の良い思いができたからね。今日は私にとって素晴らしい一日だったよ。
以上がインタビュー内容でした。やはりロブのバイカー+SMファッションはゲイカルチャー由来でした。そのファッションが男だらけのヘヴィメタルカルチャーと化学反応を起こして、しらずしらずのうちに現代まで繋がっているんだからロブのセンスは偉大ですね。
ロブがグルーピーの「男の子」と関係を持ったことがあるのも面白いですよね。男性ロックアーティストに性的に惹かれるのってなにも女性だけではない。女性グルーピーと違って透明化されがちですけれど・・・。それにしても恋人の自殺も本当に衝撃的・・・。ゲイとしてのロブの生きざまって、一応レズビアンである自分にとってすごく興味がある。彼がそれを音楽のなかでどう表現してきたかって部分も含めて。今度はロブの自伝『Confess』に当たりましょうかね。ここまで読んでいただきありがとうございました。
狂(Melon)