
中国の天文学に革命をもたらした二人の宣教師──アダム・シャールとフェルビースト
アダム・シャール(湯若望)とフェルビースト(南懐仁)とは?
この二人は、清朝の「欽天監」で西洋の天文学・暦法を導入したイエズス会の宣教師です。
中国の天文学や占星術は、伝統的な方式(旧暦や観測技術)を使っていたのですが、
彼らが西洋の最新天文学を導入し、暦法改革を行ったことで大きく変わりました。
① アダム・シャール(湯若望, 1591-1666)
🇩🇪 ドイツ出身のイエズス会宣教師で、清朝初期の欽天監の官僚
📌 主な業績
明朝末期に中国に渡り、西洋の暦法を伝える
清朝(順治帝時代)に「欽天監」のトップ(監正)となる
中国で「時憲暦(じけんれき)」という新しい暦を作成
皇帝に信頼され、宮廷の政策にも影響を与えた
📌 なぜ重要? アダム・シャールは、単なる宣教師ではなく、清朝政府の天文学者として正式に雇われた人物 でした。
特に、順治帝(清の第3代皇帝)に信頼され、暦法だけでなく宮廷政治にも関与するほどの影響力を持っていたんです。
📌 その後どうなった?
順治帝が亡くなった後、反キリスト教派の官僚から攻撃され、一時投獄される(→のちに許される)
1666年に亡くなるが、その後も彼の影響を受けた西洋式の暦法が使われ続けた
② フェルビースト(南懐仁, 1623-1688)
🇧🇪 ベルギー出身のイエズス会宣教師で、アダム・シャールの後継者
📌 主な業績
清朝の皇帝「康熙帝」に仕え、西洋の天文学・暦法を広める
中国の天文観測機器を改良し、現在の北京古天文台の基礎を作る
火砲(大砲)の技術を伝え、軍事技術にも貢献
康熙帝の信頼を得て、宮廷で重要な役割を果たす
📌 なぜ重要? フェルビーストは、清朝の「康熙帝(かんきてい)」に認められた人物で、彼の時代に西洋天文学が正式に中国の暦法に取り入れられた。
彼の影響で、清朝の「欽天監」は、従来の中国式の占星術から、西洋の科学的な天文学に大きくシフトしました。
📌 その後どうなった?
康熙帝の信頼を得たまま、宮廷で活動を続ける
北京にある「古天文台」の観測機器を改良し、現代にも残る遺産を築く
1688年に亡くなるが、その後も彼の影響で清朝の暦法は西洋式を取り入れ続けた
③ まとめ:二人の功績は何だったのか?
✔ アダム・シャール(湯若望) → 清朝初期の欽天監で、西洋の天文学と暦法を導入した最初の人物
✔ フェルビースト(南懐仁) → 康熙帝に仕え、清朝の天文学・科学技術をさらに発展させた人物
この二人がいなければ、中国の天文学・暦法は西洋式に移行することはなかった かもしれません。
特に「欽天監」という機関が、西洋の天文学を取り入れたことで、中国の占術や暦法にも影響を与えたのは間違いありません。