恋をするように生きていくために
今日は、少し理想論を書いていきます。
「お金になるからやる、お金にならないからやらない」という考え方は、他人本位な考え方であり、「お金には関係なく、これをしたい」と思ってそれをするのが、自分本位の生き方になると思います。
つまり、何がいいたいかというと、お金を基準に行動をしている限り、自分が本当にやりたいことに出会えないということです。
お金になるからする、お金にならないからしないという判断を、別な言い方にするならば、自分がしていることをが他者に受け入れられたらするし、他者に受け入れられないならしない、ということになります。
しかし、お金になってもならなくても、したいと思ったことをするということは、判断基準が自分にあるということです。
この「判断基準が自分にある」ということが、とても大事なのではないかと思います。
我々は、お金というフィルターを通してしまうと、考え方に歪みが生じてしまうものなのです。
お金になるからする、お金にならないからしないということは、考え方の軸になっているのがお金であり、お金を軸にしてしまうと、自分が本当に望んでいることができなくなってしまう可能性が生まれてしまいます。
しかし、一旦、お金という概念を脇に置いて、毎日を楽しんで生きていく、ということを軸にすることができれば、自分の喜びを体現して生きていけるようになります。
とはいえ、現在の世の中のシステムは、お金がないと生活できない、お金になることをしないと生活できない、といったシステムになっています。
だからこそ、我々はお金というフィルターを通して物事を考えなければならないようになっているといってよく、お金という概念があることで、我々の思考に歪みが生じていたりします。
我々は、内心ではお金というフィルターを介さずに自由に生きて生きたいと思っていたりするものです。
たとえば、人が恋をするとき、そこに「お金」というフィルターはありません。
恋に落ちるときは、落ちるものです。
しかし、恋にお金という概念を挟んでしまうと違和感を感じることでしょう。
このことと同じで、生きるということにお金というフィルターを挟んでしまうと違和感が生れるのは自然なことなのです。
なので、生きるということを考えたときに、本来はお金という概念は必要なかったりするものです。
今あるお金というシステムが、我々の自由な意識にブレーキを掛けているといっていいでしょう。
お金というシステムが、無意識のうちに我々の思考や行動に大きく制限を掛け、我々の欲求を抑圧しているのです。
何かをしようとするときの判断材料に、お金という概念を加えていかないと生きることができなくなってしまうのが現状のシステムです。
しかし、本来は、お金になるならないとは関係なく、これをしたいと思えることをしていくことが、幸せに生きるということなのだと思います。
そして、お金というフィルターを抜きにして、自分を生きられるようになったとき、自分に軸を持って生きられるようになるのではないかと思います。
我々が目指す社会は、お金を必要としない世界です。
なぜかというと、お金というシステムは、お金を持っている人が元締めになるシステムであり、その元締めの意向によって多くの人が操作されてしまうからです。
こういった現状のシステムを超えていかない限り、本当に平和な社会が訪れることはないでしょう。
では、どうすれば現状のシステムを超えていけるようになるのか。
そういったことを考えていく必要があると思います。
そのためにも、誰もが持っている発想の自由を使っていく必要があるのではないかと思います。
どうすれば、恋をするように生きていけるようになるのか。
どうすれば、恋する気持ちに制限を掛けずに生きていけるようになるのか。
人はどんなときでも恋をするように生きていきたいものなのです。
我々には、本来、無限のパワーが宿っています。
しかし、我々には目には見えない制限がたくさん仕掛けられているため、それが発揮できないでいます。
ただ、そういった制限を一つづつ解いていくことができれば、より自由に生きていけるようになることでしょう。
ならば、そういった制限をどうすれば外していけるようになるのか。
幸い、自由に発想する自由は誰もが持っています。
この発想する自由を使わない手はありません。
これからは、こういったことも少しづつ記事に書いていこうと思います。