幸せは、相応しい自分で生きること
幸せを実感して生きること、それが我々の使命だ。
使命とは、難しいことをすることではない。
自分が楽しんで出来ることをすることが、使命といっていいだろう。
何をするかが大切なのではない。
ひとり一人が、幸せという心地よい波動を出すことが大切なのだ。
ひとり一人が、力むことなく自然体で生きられるようになれば、この世界の波動そのものを心地よいものにしていくことができるようになるだろう。
自然体で生きるには、70%くらいの力加減で生きるのが丁度いいように思う。
100%では頑張り過ぎだし、50%だと物足りない。
70%くらいの力感で生きれば心地よい波動を出しながら、人生そのものを楽しんで生ていけるようになるだろう。
我々は、無意識の内に「頑張ることがよし」という思いを持っていたりする。
なぜ「頑張ることがよし」という思いを持っているかというと、我々が評価社会の中で生活しているからであり、そういった評価に沿うような結果を導き出すには、頑張らなければならなくなるからだ。
頑張れば、必要以上のエネルギーを消費することになる。
必要以上のエネルギーを消費し続けることは、自然体ではない。
自然体とは、力むことのない状態である。
評価には、自己評価と他者評価がある。
他者評価は、自分が持っている能力とか資質とかモチベーションとか、そういったこととは関係なしに設定されるものであり、そういった設定にふさわしい結果を出すには必要以上のエネルギーを出力しなければならない。
頑張るとは、「頑なさを張る」わけだから、緊張状態にあるといっていい。
そんな緊張状態で常時生きていると、心身が疲弊していくのは当然のこと。
その一方で、他者評価ではなく自己評価を基準にして生きるようになれば、頑張る必要もなく、70%くらいの力感で自然体で生きていけるようになる。
自然体で生きるということは、手を抜くということではない。
丁度いい力加減で、程よく進んで行くことだ。
全力疾走は長く続かないが、軽いジョギングだと景色を楽しみながら走っていける。
そういった感じ。
人生は長い。
長い人生を生きるには、70%くらいの出力で生きていくのが持続可能な生き方になる。
自然体で楽しく生きることができれば、人は幸せを感じられるようになるし、自分の能力や資質を知った上で、楽しいという動機を軸にしてい生きていけば70%くらいの力感で生きていけるようになる。
自分にあった生き方を見つけ、自分の特徴や資質を十分に生かしていけるようにしていけば、毎日を楽しみながら生きていけるようになるだろう。
これまでは、社会が生み出した価値観に沿って生きるように教わってきた。
しかし、これからは自分にあった価値観を生み出していくようになるだろう。
自分が本当に望むことを理解できるようになると、外側の基準に合わせて生きていけなくなる。
人生の目的は個々で異なるものであり、自分がすべきことを理解できるようになると、外側の設定に合わせて生きていけなくなっていく。
外側に存在する基準に合わせて生きる限り、幸せを実感して生きるのは難しい。
しかし、一人ひとりが自分に適した価値基準で生きられるようになれば、多くの人が幸せを感じて生きていけるようになるだろう。
生き方は人それぞれで、違っていていい。
ひとり一人が、異なる環境で生まれてきているし、生まれ持った資質や人生の課題は異なるもの。
ひとり一人が異なる違いを持って生きているのに、誰もが一様なあり方で生きるのはナンセンスなことなのだ。
自分の生まれ持った資質を把握した上で、この人生で何をすべきかということを理解できるようになったなら、70%の力感で力むことなく自然体で生きていけるようになっていく。
自分の資質と異なることをすれば、必要以上のエネルギーを消費することになるが、自分に適したことをすれば最小限の力で最大限の効果を発揮できるようになる。
また自分に適したことができるようになると、自然と環境が整っていくものでもある。
生来、持って生まれた目的と符合できるようになると人生が整っていく。
僕は自分がやりたいと思えることができるようになったことで、自然とそれができる環境が整っていった。
楽しみながら自分のために文章を書くようにしてから、徐々にそれができるような環境が造られていった感じがする。
言い方を少し変えるなら、自分がやるべきことを、しなければならない時期にするように設定されていたかのように状況が整っていた感じがしてならない。
いずれにせよ、そういった状況を生み出すことができるようになったのは、他者評価で生きるのではなく、自己評価を軸にして生きるようになったから。
自己評価の基準は、自分が持って生まれた資質を知り、それを活かす方法を模索し見出すことができたからといってもいいかもしれなない。
以前は、ネガティブなことを次から次へと連鎖的に考えることが多かった。
しかし、現在は、そういった思考の連鎖を逆転させることができ、ポジティブな方向で使るようになった。
ネガティブな思考の連鎖が生まれたのは、他者が生み出した価値観を自分にあてはめて生きていたからであり、それを180°逆転できるようになったのは、自己評価を基準に生きるようになったからといってもいいだろう。
もちろん、発想の仕方を逆転させるのには時間が要したが、諦めずに少しづつ行っていけば、考え方を変えることができるようになる。
考え方を変えれば、見えてくる世界に変化が生じるのは当然のことだし、日々の生活で起こってくる現象も変化していく。
今は70%くらいの力加減で、無理をすることなく生きられるようになっていて、頑張って何かをすることはなくなっている。
無理をすることなく、楽しんで出来ることを持続的にしていけるようになれば、それがその人にとっての使命となることだろう。
楽しんで何かをすれば、心地よい波動を出力できる。
人間の世界は、一人ひとりが出力した波動の総体で出来上がっている。
このため、70%くらいの力加減で自然体で生きる人が増えていけば、過ごしやすい社会が生まれていくのではないかと思う。
基準は、外側に置くのではなく内側から見い出す。
自分が何を求めているか、その確信にたどり着くには時間がかかるが、諦めずに探求し続ければ、必ずそういった思いを見出せるようになる。
自分に相応しい価値観を見出すことができ、その価値観を満たしながら生きていけるようになれば、心地よい波動を出力できるようになって、その波動を他者に伝えていけるようになるだろう。
そういった波動の連鎖が、心地よい世の中を生み出していく。
自分に相応しい自分で生きるとき、自然と環境も整っていく。
自分に相応しい自分で生きること、それが我々の使命であり、この人生ですべきことになる。
自分に相応しい自分で生きれば、幸せを感じながら程よい力加減で生きていけるようになる。
世界は社会が創るのではない。
自分で創るものなのだ。
自分の資質や特性、人生の目的を理解して、程よい力加減で生きれば、自分に相応しい人生を創造できるようになるだろう。