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幸せには、愛の意識が欠かせない
幸せを実感して生きていくには、違和感や葛藤を手放していかなければならないといっていいだろう。
違和感や葛藤とは、自他の間で生まれる不一致の感覚であり、人間に個性がある以上、違和感や葛藤は誰もが抱くものである。
しかし、こういった違和感や葛藤をたくさん持って過ごしていると、生きていくのが辛くなっていく。
誰もが同じ感覚を持った人間ならば、違和感や葛藤を感じることはない。
しかし、人間のひとり一人には異なる個性が存在しているし、個々の違いを認めていかなければ違和感や葛藤を手放すことはできないだろう。
そして、違和感や葛藤を手放すために必要となるのが「愛」の意識ということになる。
「愛」とは、自分とは異なることも認めた上で、他を尊重する思いでもあり、自他の違いを許容した上で、一緒に共存していこうという意識。
この愛の意識を習得するのが、もしかすると今の人類の最大の課題なのかもしれない。
自他の違いから争い生み出すのではなく、違うということを認めた上で共存し、ともに成長していけるようになるのが、我々、人類が超えていかなければならない課題といっていい。
自他の違いを認めて共存共栄できるようになれば、我々人類は大きな進歩を遂げることができるようになる。
人類の長い歴史の中で、これが達成できないのは、我々人類がまだまだ未熟であるということでもある。
もちろん、こういったことを書いている僕自身も、まだまだ未熟であり、自他の違いを認めることができずに違和感や葛藤を抱えることも多い。
しかし、この世界に平和が訪れることを望むなら、やはり自他の違いを認め、争う気持ちや怒りの感情を手放していかなければ幸せを実感して生きていくことはできないだろう。
そういった意味でも、まずはこの自分から愛の意識を習得していけるように実践していかなければならないのだ。
愛の意識を習得するには、この宇宙に存在する法則を利用するところから始めるといいかもしれない。
この宇宙には、与えたものが返ってくるという法則がある。
全ての現象は、すべて自分の思いが原因となって返ってくる。
つまり、愛を示せば愛されるという現象を生み出すことができる。
「情けは人の為ならず」という言葉があるように、他者にかけた情けは自分に返ってくるものであり、自分がする行為は自分に返ってくるという意味でこの世界は「自業自得」でできている。
この宇宙にある法則には、こういった性質があるということを知れば、それを実践して生きていった方が自分のためになると理解できる。
愛の意識を自分の為に習得すればいいし、自分のためというところから始めれば無理をすることもない。
世のため人の為に愛の意識を習得するのも大切なことだけれど、まずは自分の為に愛の意識を習得し、それを実践していった方が長続きさせられる。
無理をして何かをすれば、違和感や葛藤を抱えてしまうことになるから、身近なところから自分が出来ることから始めていけばいいし、自他の違いを認め、その違いを肯定していくことから始めるといいだろう。
怒りの感情は、自他の違いを許せないから浮かび上がる。
許せないという思いが怒りを生み出し、その怒りから争う気持ちが生れるものでもある。
しかし、許せないという思いを逆転させることができれば怒りは消える。
許しは、愛の意識の入り口となる。
他との違いを認めることができれば「許し」のきっかけを掴むことができる。
怒りの感情が生まれることは仕方のないことだ。
しかし、怒りの感情を持ち続ければ、今度はそれが自分に返ってくることになるし、怒りの感情を持ち続けるということは、自分を苦しめることになる。
であるならば、そういった感情はできるだけ早く手放した方がいいし、できるだけ早く手放すことが自分の為になる。
実をいうと、怒りの感情を持つということは、気づきのチャンスでもある。
「怒りの感情がどうして生まれたのか」ということを丹念にたどっていくと、そこには自分の頑なな思いがあるということに気づく。
また、世の中にはそういった「頑なさ」をすでに手放して、悠々と生きている人がたくさんいて、そういった人ほど自由に生きているということを知れば、そういった頑なさを手放したいと思うものでもある。
人は、自分の中にある頑なな思いを手放せば手放すほど、自由に生きられるようになって、幸せを感じられるようになる。
頑なさが自他の違和感や葛藤を生む原因であるから、頑なさによって生み出された違和感や葛藤を手放していけば、人としての自由度が上がっていき、幸せを実感して生きていけるようになるだろう。
許せないという思いは、それを持ち続けることで肥大していく。
だから、そういった思いはすぐに手放した方がいい。
頑なさを手放して、柔軟な意識で生きられるようになると精神的な自由が増していく。
とはいえ、怒りを感じた出来事を何度も思い返してしまうのが、人の性でもある。
だからこそ、そういったときには、あえて許せないという思いとは反対のことをすればいい。
プラスとプラスはぶつかり合うし、マイナスとマイナスもぶつかり合う。
しかし、プラスとマイナスが出会えば、そこには何も残らなくなる。
許せないという思いとは逆のことを意図して行っていけば、怒りの感情を消すことができるようになるだろう。
たとえば、怒りに対して感謝の気持ちを抱けば、そこに手放しが起こってくる。
慌てずに、ゆっくりと出来る範囲でいいから、怒りの感情が生まれた出来事に感謝していけば、怒りとは異なる視点が浮かび上がってくるようになるだろう。
怒りと異なる視点を得ることができれば、柔軟な考えを持てるようになる。
他者を許すということは自分を許すということでもあり、他者を許すということは、自分の中にある頑なさを緩ませることでもある。
愛とは、柔軟なものであるから、自分を緩ますことができれば愛が身近なものになることだろう。
許しとは、怒りの感情の中にある自分の頑なさに気づいて、それを手放すことであり、それが愛の意識を育む力となる。
すべての出来事は、自分の気づきのため起こっている。
特にマイナスな感情を抱くことほど、大きな気づきが生まれやすい。
愛の意識は、気づきによって育むことができるため、怒りのような感情を抱くときほど、大きな気づきを得るチャンスでもある。
愛は許しから始まる。
許しは、ネガティブな思いを消し去り自分自身を解放する。
許しが、自分を変える力となる。
この世界は、自分の中にある愛に気づくためにある。
すべての出来事は、愛の意識に気づくため起こっている。
そう思うことができたなら、すべての現象が愛おしくなることだろう。
この世界の主人公は、いつでもどこでも「私」である。
この「私」が愛の力を使って生きれば、この世界の至る所に愛を見つけることができる。
自分の中の頑なさに気づいて自分を緩ませていけば、愛の意識を育んでいけるようになる。
愛とは柔らかなものであり、柔らかさが幸せを生み出す力となる。
まずは、自他の違いを認め許すことから。
それが愛の入り口となることだろう。
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