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episode17 観察者として世界を見る

「ヌーソロジーが面白い」というマガジンでは、ヌーソロジーという思想体系を創り上げた半田広宣さんの「2013:人類が神を見る日」と「2013:シリウス革命」という2冊の本を読み解きながら、私たちの意識(魂)の出自や私たちがこの世界に存在している理由を紐解いています。

なお、この記事の中に出てくるオコツトとは、シリウス由来の冥王星の知性体であり、半田さんがチャネリングによってヌーソロジーの基礎となる知識を得た相手になります。

また、記事の中で出てくる「Ψ」の記号は「プサイ」と呼びます。


今回は、「ヌーソロジー」の面白さであり、根幹をなしているといっていい次元観察子についての解説をしていきます。

以前、次元観察子ψ1とΨ2についての記事を書きましたが、今回は、前回よりも上手に説明できる方法を見つけたので、前回とは違った角度で書いていこうと思います。

改めて、この次元観察子とは何かを説明すると、私たちの空間の認識と意識の認識を図式化したものであり、私たちの認識の位置を示す指標のようなものです。

私たちの意識の構造は私たちが認識している空間の認識に付随する形で造られています。このため、私たちが、空間認識を適切な形で理解できるようになると、「私」という存在をより正確に理解できるようになり、意識のあり方も変えていけるようになっていきます。

そして、この次元観察子の認識を深めていくため使われるのが、球体とベクトルです。なぜかというと、私たちは地球という球体上に暮らしているし、この宇宙そのものが球体であると考えられているからです。また、ベクトルが使われるのはベクトルは方向を示めすものであるため、意識の方向をベクトルで示すことができるからです。

そこで今回は次元観察子の入り口であるΨ1とΨ2の人が持つ空間認識と意識の認識を見ていくことで、私たちの意識のあり方を検証していきます。

次元観察子ψ1とΨ2は次のような形で表されます。

次元観察子ψ1
次元観察子ψ2

上の青い球体が次元観察子ψ1になり、この球体のベクトルは中心から外側に向かっていて、小さい球体が大きく広がっていくというイメージの球体です。

下の赤い球体は次元観察子ψ2であり、この球体はベクトルが外から内側に向かって示されていて、大きい球体が次第に縮んでいくというイメージの球体です。

そして、この2つの球体のどちらの認識を現在の私たちが主に使っているかというと、下の赤い球体の方だったりします。なぜかというと、私たちはこの宇宙を大きいものとして見ていていて、この大きい宇宙の中に地球があり、さらにその中に「私」が存在すると見ているからです。

つまり、空間の認識の仕方が、「大きな宇宙の中にいる私」になっているため、「私の位置」を示すベクトルが「外側から内側」に向かうことになります。

また、この大きな宇宙の中にいる「私」という視点は、宇宙という3次元空間の中から3次元の宇宙を見上げているものであり、いわば宇宙の中から宇宙を見ている当事者の視点だったりします。

その一方で上の青い球体の認識は、観察者の認識となります。では、この観察者の認識の「観察者」とは何かというと、4次元の視点を持ってこの宇宙を見ている意識であり、宇宙を外から観察して見ている意識です。

そこで、この観察者の意識で宇宙と「私」の関係性を見てみると、「私は宇宙の中心にいる」というふうに見ることができるようになります。というのも、この「私は宇宙の中心にいる」という見方は、「私を中心に宇宙が広がっている」と言い換えることができるため、上の青い球体の図にあるように、球体の中心からベクトルを外側に向けて示すことができます。

では、なぜ、観察者の視点が「4次元」であり「私の位置」が宇宙の中心かというと、このことは順を追って説明していきます。

いずれにせよ、こういった感じで空間をどのように認識するかで、物の見方が変わってくるものであり、たとえば下の赤い球体のΨ2で、空間の認識をしていくと「大きな宇宙の中にいる私」とった認識を持つことになります。

しかも、この「大きな宇宙の中にいる私」という認識は、「私」が存在している位置が不明確であり、この不明確さは、自分という存在の不明確さに繋がっていくものです。

さらに「大きな宇宙の中にいる私」という視点から生まれる認識は、「大きい世界の中に存在する小さな私」といった認識を生み出すものであるため、疎外感を感じさせるものだったりします。

このように空間の認識が人の認識に影響を与えているといってよく、空間をどのように捉えるかで、人間の認識も変わっていくものなのです。

たとえば広い空間に自分がいると思うと、自分という存在は小さいものだと思ってしまうものです。しかし、広い空間の中心に私がいると認識できるようになると、自分の存在を小さく見ることはなく、自分を中心に世界をみることができるようになっていくことでしょう。

こういった認識の違いがΨ1とΨ2の球体とベクトルで示されていて、「自分という存在は小さいもの」という前者の認識がΨ2にあたります。

では、なぜ私たちは、自分という存在は小さいものと見てしまうかというと、先述したとおり「私の位置が不明確」であるからであり、正確な「私の位置」を見つけることができていないからです。

また、なぜ私たちは自分の位置を見つけることができないかというと、この宇宙を内側から見ているからであり、自分の位置を正確に把握できないからです。

私たちは空を見上げただけで、自分の位置を知ることは難しいといっていいでしょう。しかし、たとえば地球の日本の東京に住んでいる私の位置を正確に知ろうとするならば、地球を外側から俯瞰で見るとその位置関係を正確に把握できるようになります。

現代では、地球の外に人工衛星があるため、日本が地球のどの地点にあって、東京が日本のどこにあるかが簡単に分かるようになっています。

そして俯瞰で自分の位置を確認できるようになると、その場所を中心にして物事を考えられるようになるため、ベクトルの向きを自分から外に向かわせていけるようになっていくのです。

つまり、自分の位置を正確に認識できるようになると、曖昧さが消えていくため、私たちの意識の構造にも曖昧を消していけるようになっていきます。この曖昧さのない視点が次元観察子ψ1の視点です。

そして、次元観察子ψ1の「自分を中心に宇宙が広がっている」といった視点で物事を見ることができるようになると、「自分は、この世界の中心にいる」という認識が持てるようになっていきます。

先ほど、次元観察子ψ1の視点は観察者の視点と説明しましたが、この観察者の視点とは「私」を俯瞰で見るという視点なのです。

この俯瞰で見るということは、先ほどの例でいうなら人工衛星の視点です。なぜかというと、観察者は高いところから自分を見る視点を持っているため、自分が存在している位置を明確に理解できるようになるからです。

さらに、自分の位置を明確に理解できるようになると、「だいたいこのあたり」とか「おそらくこの辺」といった不明確さがなくなっていき、自分という主体の位置を明確に決めることができるようになるのです。

つまり、下から上を見上げる視点と、上から下を見下ろす視点では認識の捉え方が変わってくるものなのです。

そして、現代の我々は、科学技術の発達により直接的ではないにせよ、上から下を見ることができるようになっているため、私たちの認識は、百年前に比べるとかなり進化していて、自分の位置を正確に把握できるようになっているといっていいでしょう。

さらに、現代科学の力によって原子、分子、素粒子という目には見えない世界を発見できるようになったことから、私たちは観察者として、ミクロ宇宙も観察することができるようになっています。

このミクロの世界を見るということは、実は私たちが宇宙を俯瞰で見ていると同じ状況だったりするものです。というのも、ミクロの世界の構造が、私たちの存在を包んでいるマクロ宇宙の構造と非常に近いとされているからです。

つまり、私たちは近代科学の発達により、内側から見ていた宇宙を、今では外側から見ることができるようになったわけであり、観察者として3次元の空間を4次元の視点で見ることができるようになったのです。

そして、驚くべきことに外からミクロ宇宙を観察していくと、私たちの存在は、マクロ宇宙とミクロ宇宙の中心にいることが分かってきたのです。

このミクロ宇宙とマクロ宇宙の中心にいるということが、私たちが宇宙の中心にいるという位置です。

どういうことかというと、現代の物理学では10のマイナス30乗㎝くらいの素粒子のあるミクロ宇宙から、10の30乗㎝メートルくらいの大きさのマクロ宇宙を扱っていて、私たち人間はちょうどその中間に存在していることになるのです。

現在、物理学で分かっている宇宙の極大サイズと極小サイズを対数表示でグラフ化すると、その中間は約10のマイナス3乗㎝当たりになり、このサイズはおおよそ僕ら人間の可視限界に相当している。これは「モノ」という認識が生み出されてくる最小サイズなのだ。ということは、僕らの生活空間は、宇宙的尺度の中ではちょうど真ん中ぐらいに位置しているとみなしてよいことになる。

「2013:シリウス革命」

こういったことから、私たちは宇宙の中心にいるという位置を見つけることができるようになったわけであり、先ほどの青い球体である次元観察子ψ1の認識で、この宇宙を見ることができるようになったといっていいでしょう。

しかも、私たちは現在、この宇宙の中でマクロ宇宙とミクロ宇宙の両方を観察できる存在でもあるのです。

このマクロの世界とミクロの世界を同時に観察できるということは、この世界の成り立ちを二つの方向から観察できるということであり、「私たちが今どの位置にいるか」ということをより明確化できる位置にいるといっていいでしょう。

こういったミクロとマクロの二つの世界を一度に見ることができるということで思い浮かぶのが、太極図だったりします。

太極図

私たちは現在、この太極図でいうところの円の中心にいるわけであり、ミクロとマクロの2つの世界を同時に観察できる状態にるといっていいでしょう。

こういったことが、私たちは現在、宇宙の中心に存在しているということです。

近年、私たち人類が素粒子をはじめとするミクロの世界を見ることができるようになったことで、これまでの宇宙の中から外側を見るという視点だけでなく、宇宙の外側から宇宙を見るという視点も得ることができるようになっています。

そして、私たちが二つの視点で物事を見ることができるようになったことで、自分の位置をより明確に知ることができるようになってきているのです。

こういった感じで、人間が自身の存在の位置を明確に知ることができるようになると、人間の意識の構造もそれに従って変わっていくことでしょう。

今後、私たちは宇宙の中心にいるという認識を多くの人が持てるようになると、主体を自分において、物事を「私」を中心にして見ることができるようになっていくため、これまでの「大きな世界の小さな私」といった認識から「私を中心に世界が広がっている」というような認識を持てるようになっていくことになるはずです。

こういった空間認識の位置の変換が、人の認識を変える力となっていくため、私たちが観察者としての視点を手に入れることができるようになると、私たちの意識に変容が起こるといっていいでしょう。

とはいえ、まだまだわたしたちは、Ψ2の側の「大きい世界の中の小さな自分」といった意識で世界を見ていたりします。

しかし、3次元空間から3次元世界を見るというこれまでの当事者としての私たちの視点から、3次元世界を4次元の視点で見るという観察者の視点を手に入れることができるようになると、「私を中心にして世界がある」といった認識を持てるようになって、主体の位置を「私」に置くことができるようになっていくと考えられます。

こういったことが、Ψ1とΨ2の空間認識の違いであり、こういった空間の認識の仕方を知って、これまでの認識の仕方を変えていくことができると、物を見ていく意識のあり方も変えていけるようになっていくことでしょう。

そして、私たちがΨ1とΨ2の球体をミクロからマクロ、マクロからミクロという伸縮可能な球体として、外側から観察することが、次の次元観察子ψ3とΨ4の「見る」と「見られる」いうことになっていきます。

といったわけで、次回は「次元観察子ψ3とΨ4」を見ていくことにします。




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アキタロウ
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