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遊びの中から自分の道を見つけていく
我々の生活は、繰り返しが基本となっている。
だから、楽しんで生きるには、繰り返していても楽しめることをすることがベストなんだと思う。
どんなことでもいいので身体を使って楽しいと思えることを見つけて、それを繰り返していくことが、人生を楽しむコツなのかもしれない。
我々は、心と身体の両方を満たすことで、楽しみを感じられる生き物である。
このため、いろんなことを試して心が楽しいと感じることを見つけ、それを日々の生活に取り入れることができれば、生きることが楽しくなっていくものだ。
そういった意味では、子ども時代は、いろんな体験をして自分を知る機会なのかもしれない。
なぜかというと、子どもの頃こそ身体を動かすのが楽しいからであり、身体を動かすことを自然に楽しめるからこそ、生きることの楽しさを知ることができるからだ。
しかも、子ども時代こそ自分を知る時期でもあり、子どもの頃に自分はどういったものを好むのかということを知っておくと、大人になってから無理をして苦手なことをするといった苦労をしなくてすむようになる。
昭和の時代は、生き方に型があった。
このため、型に合った生き方を無理をしてするといった傾向があった。
しかし、平成の時代が進むにつれて、そういった型が壊れ始めた。
世の中が変化し「型の形骸化」が進んでいる。
そして、令和の時代は、一人ひとりが独自の型をつくる時代になっていくことだろう。
だから、今の子どもたちには自分の型を見つけるお手伝いをするのが、大人の役割なのだと思う。
大人のやり方に子どもを合わせるのではなく、彼らなりの生き方を見つけられるように大人が支援していかなければならない。
子どもは、毎日を好奇心と探求心を持って生きているから、無理に古い型に合わせることで、そういった思いを摘んではいけない。
自分で自分の型を生み出せるように、大人が支援していくのがいいだろう。
失敗させないようにするよりも、失敗の中から自分を理解できるように支援していく。
失敗を回避させていると、失敗することが怖くなってしまうし、失敗させないように育てると、人は挑戦できなくなってしまう。
挑戦には失敗がつきものだが、そういった失敗からたくさんの学びを得ることができる。
「鉄は熱いうちに打て」という言葉があるように、若い頃にいろんなことに挑戦して失敗し、そこから立ち直ることで強くなり、生きるこのと耐性を身に付けられるようになる。
失敗することで、氣づきを得て学びに替えることができる。
子どもは大人と比べて直観力に長けている。
子どもは、大人のように余分な情報を持っていない分、直観で判断できる力を持っている。
だから、いろんな経験をする機会を与えることができれば、自分が何をしたいかを直観で理解できるようになったりする。
大人の持っている情報には「損得」があり、その損得が直観力を鈍らせてしまったりする。
しかし、子どもには、そういった考えがない分、思いが純粋であり、そういった思いの純粋さを育んでいけば、その子自身の力で、自分の道を見つけられるようになる。
子どもの特権の中に「遊び」がある。
「遊ぶ」という文字の中に「子」と「方」が含まれている。
「子」は遊びの中で、「方向性」を見つけることができるといっていい。
しかも、遊ぶという字の偏である「しんにょう」には、「道をいく」という意味もあるらしい。
産経国際書会のHPに、次のように書かれている。
「辶」の名称をご存じですか?
「しんにょう」あるいは「しんにゅう」といいます。「道を行く」という意味があり、たくさんの文字に使われています。
つまり、「遊」という字は、「子が方向性を決めて道をいく」という意味があると考えられる。
子どもにとって遊ぶことが重要であり、遊びの中にこそ、自分の人生を見つるヒントがあるといってもいいだろう。
遊びとは、身体を使って楽しさを感じる行為であり、子どもは遊びを通じて、自分の身体の使い方を習得していく。
また、子どもは遊びを通じて、自分の思いを身体で表現できるようになっていくものだし、いろんな遊びをしている子ほど、表現力が豊かだといっていいだろう。
「東大生の幼少期の習い事の1位が水泳」というデータがある。
水泳は全身運動だから、泳ぐことで脳と身体を上手に結びつけるのかもしれない。
いずれにせよ、遊びを通じて身体を動かすことができれば、表現する力が身に付く。
遊びを通じて、好奇心と探求心を満たし、表現する力を身に付けることができれば、生きることそのものが楽しくなっていくはずなのだ。
そういった人生の基礎を子ども時代に作ることができる。
こういったことは、子どもだけでなく、大人にもあてはめることができるだろう。
大人も子どものように「好奇心」と「探求心」を持って遊べば、年齢を問うことなく子どものように過ごすことができる。
大人も子どものように遊ぶことができれば、心を輝かせて生きていけるようになっていく。
大人でもたくさん遊べば、表現力が身に付いていく。
楽しさは、遊びの中にある。
だから、大人になっても遊べる余裕が必要だといっていいだろう。
大人も子どものように何もないところから、遊びを生み出せるようになるとさらに楽しく生きていけるようになる。
いずれにせよ、遊びがある人生は愉快になる。
遊びがあるからこそ、人生が豊かになっていく。
大人になれば遊ぶ機会が減っていくものだが、本当は大人こそ遊ぶべきなのかもしれない。
遊びの中から生まれる発想が、新しい商品を生み出すように遊びの中から新たな発見ができるようになる。
大人でも、子どものような心で遊んでいると、そこから自分に合った方向性を生みだすことができ、新たな道を進んで行けるようになることもあるだろう。
そうすれば、大人でも子どものように好奇心と探求心を持って生きていけるようになる。
遊ぶ余裕のある大人の姿をみて育った子は、大人になっても楽しんで生きていけるようになる。
令和の時代は、子どもも大人も「遊び」の中から自分の方向性を生み出し、型のない自分の道を歩んでいく時代なのかもしれない。
生きるためには、楽しさが欠かせない。
楽しさがあるから、楽しく生きていけるようになる。
自分を遊ばせてその中から自分の道を見つけていくというのも一つの方法なのかもしれない。
自分の道を遊びの中から見つけていく。
いくつになっても、童心を持ち続ければ楽しく生きていくことができるだろう。
生活の中に楽しさを組み込めば、幸せに生きていけるようになる。
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