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怒りを光に変える

怒りには、人を動かすパワーがある。

怒りは、人を有無を言わさず行動させる力がある。

しかし、怒りを感じた衝動を、そのまま行動していては争いが生まれるだけである。

怒りを怒りで返していれば、更なる怒りを生むことになり収拾がつかなくなってしまう。

怒りには人を動かす力がある一方で、人を大きく疲弊させる。

怒りは大きくなればなるほど、それだけで過剰にエネルギーを消費させてしまうため、結果的に心身ともに疲弊させる。

怒りによって疲弊するこの感覚を誰もが経験として知っているからこそ、人は怒ることを回避しようとするのは、自然なことといっていい。

とはいえ、感じた怒りをそのまま心身に蓄積させていては、自分にストレスを掛けることになる。

溜めてしまった怒りのエネルギーを何かしらの形で発散していかなければ、それが自分に対して刃を向けるようになる。

なぜ怒りの感情が生まれるのか。

怒りは自分自身を防衛するために生まれる感情である。

ならば、人は怒りによって何を防衛したいのか。

それは自分が大切にしている思いといっていいだろう。

つまり、怒りは、自分が大切にしている思いを傷つけられたと感じたために起こる現象なのだ。

怒りによって傷ついた心の、その反対側には自分の望みが存在している。

そこで「怒りは自分が大切にしている思いを明確にする機会」、そう捉えることができれば、怒りのエネルギーを別な方向で使っていけるようになるだろう。

怒りによって生まれたエネルギーをプラスの方向に使っていけば、自分の大切にしている思いをますます強化していけるようになる。

このことに気づくことができれば、怒りエネルギーを光に変えられるようになるだろう。

怒りを伴う経験は、いわば闇の経験である。

しかし、闇があるからこそ、その向こう側にある光を知ることができる。

「嫌」という感情がなぜ生まれたのかを知り、その思いを裏返していけば、自分のこうありたいという望みを知ることができるようになる。

闇を知り、その闇を光に変えることで、我々は自分の望む道を明確にして歩んでいけるようになる。

そして、怒りによって生まれた強力なパワーを自分の望みのために使い行動することができれば、怒りを光に変えられるようになっていく。

小さな怒りには、人を動かすほどのパワーが存在しない。

しかし、強い怒りほど人を動かす大きなパワーを持っている。

この力強いパワーを自分の望む現実のために使っていけば、自分を幸せに導いていくことができるようになるだろう。

人生万事塞翁が馬。

すべての出来事には意味があり、その意味を自分の幸せに使っていけるようにしていけば、すべての出来事を結果オーライで結ぶことができる。

光は闇を凌駕する。

闇を知りそれを光に変えることができれば、一元的な意志を持って生きていけるようになるだろう。

心の闇を光に変えること。

これができるようになると人は、強靭さを持って生きていけるようになる。

強さとは、鎧を纏い力を行使することではない。

強さとは対応力である。

どんなことでも愛の意識を持って対応できるようになれば、生きることそのものを愛に変えることができるようになる。

どんなことでも調和の意識を持って対応できるようになれば、生きることそのものに調和が取れるようになっていく。

人が持つエネルギーをどのように使っていくかで、人生の方向性が決まっていく。

怒りを光に変えるとき、人は強靭さを身に付けることができるようになるだろう。

怒りのエネルギーさえも、自分の幸せのために使っていけるようになれば、どんなことにでも対応できるようになり、一元的な意識で生きていけるようになる。

一元的な意識で生きていけるようになれば、ブレがなくなり楽に生きていける。

怒りを感じるような出来事があったとき、自分を知るチャンスだと知って笑えるようになれば、強靭さを身に付けた証といってもいいだろう。

怒りは自分を深く知るチャンスと捉えることができれば、広い心で生きていけるようになる。



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アキタロウ
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