#212 宮沢賢治をすり抜けた数百年前の僧?【賢治と早池峰と異世界 その14】
(続き)
宮沢賢治は、もちろん早池峰や大迫地域を何度も訪れています。そして、早池峰にちなんだ地域の名前が登場する詩も残しています。
その一つが「河原坊」という詩ですが、河原坊は現在も早池峰山の登山口の一つとなっている場所で、最もメジャーな登山ルートの玄関口でした。「でした」というのは、登山道の一部が崩落し、2024年現在は閉鎖されているためです。
「河原坊」はここには掲載しませんが、下のリンクから全文をご覧いただけます。
https://ihatov.cc/haru_2/186_d.htm
この詩では、
「……真珠が曇り蛋白石が死ぬやうに……」
「……めさめることもあらうし
そのまゝ死ぬこともあらう……」
と、「死」という言葉が何度か用いられ、
「……半分冷えれば半分からだがみいらになる……」
というフレーズが繰り返し登場します。
そして、「峯の方からおりてくる」「上半身がわたくしの眼に見えない」「天台か真言かわからない」「二人のはだしの逞ましい若い坊さん」が、身動きが取れない賢治の体を通り過ぎていった、と読み取れるような情景が描かれています。
「数百年前の高僧が、河原の坊で山の方から下って来るのに出会った」と賢治自身が語ったとも言われ、賢治自身の不思議な体験が描かれた詩でもあるようです。
(続く)
【写真:霧の早池峰山】
(続く)
2024(令和6)年12月11日(水)