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#75 新渡戸稲造と賢治の相似形 その3【宮沢賢治とエミリィ・ディキンスン その13】

(続き)

⚪︎ 新渡戸稲造と賢治の相似形 その3

宮沢賢治や親友の保阪嘉内が、盛岡高等農林で作っていた同人誌の名前は「アザリア」ですが、新渡戸稲造を囲む旧制一高関係者の懇親の会は「アゼリアの会」で、共に花の「ツツジ」を冠した、よく似た名前でした。

賢治の取組みのいくつかは、新渡戸やその周囲の人々からの影響やつながりが感じられ、時に「理想主義」的と言われる二人の活動には、不思議な符合が感じられます。世界中の最先端の文化や思想に興味を持っていたと思われる賢治が、新渡戸に興味を持っていなかったとは考えずらく、やはり、年長で、世界的に活躍していた岩手の偉人、そしてクリスチャンでもある新渡戸稲造が、当時ほとんど無名だった賢治に影響を与えたと考えるのが自然のように思われます。
二人が共に亡くなった1933年は、その後の悲惨な世界大戦へ向かっていく過程にもあったことから、理想主義的な活動を行なっていた二人の晩年から、苦しみのようなものを感じるのも、ある種、当然のことかもしれません。

賢治と新渡戸の活動の相関関係について触れられたことは驚くほど少ないものの、大変に興味深いテーマではないでしょうか。

(続く)

2023(令和5)年10月14日(土)

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