#96 賢治作品のエマーソン的な魅力【宮沢賢治とエミリィ・ディキンスン その34】
(続き)
○ 賢治作品のエマーソン的な魅力
エマーソンが現代でも様々な影響を与えているのと同様に、宮沢賢治も現代において愛され続けています。賢治作品の魅力の中において、エマーソン的な思想を感じられるのは、どのような部分でしょうか。
まず、エマーソンの、他力ではなく自分自身の力を信じるという姿勢は、「セロ弾きのゴーシュ」の主人公ゴーシュのような人間が、他人に流されず、がむしゃらに努力する姿の一面として表現されているように思えます。
また、エマーソンが自然の中に大いなる力を見出し自然に対し目を開いている姿勢は、賢治の詩や童話の至るところにも見られ、賢治の作品中で自然を表現する時に現れる、「すきとおった」や「透明な」といった言葉は、エマーソンが使った「透明な眼球」という言葉も連想させます。
エマーソンが興味を持っていた霊的な現象も賢治作品にしばしば登場し、「春と修羅」の「あらゆる透明な幽霊の集合体」という言葉や、「青森挽歌」において、賢治がトシの霊との交信を試みているような姿と共通しているように見えます。
このような、エマーソンからの影響に見える部分は、法華経からの影響としても解釈が可能であり、賢治の中では、エマーソンと法華経が消化され1つとなって、作品へ反映しているのかもしれません。
(続く)
2023(令和5)年11月6日(月)