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#82 保阪嘉内と大島正健 その2【宮沢賢治とエミリィ・ディキンスン その20】

(続き)

○ 保阪嘉内と大島正健 その2

宮沢賢治の親友・保阪嘉内に大きな影響を与えたと思われるのが、甲府一高時代の嘉内の校長だった大島正健です。

大島は札幌農学校1期生、つまり花巻出身の佐藤昌介の同級生です。しかも、最もクラークの影響を受けたクリスチャンでもあり、前に触れましたが、クラークがこれほど神格化されたのは、大島の影響が大きいとも言われています。

嘉内は大島から大きな影響を受け、その大島はクラークから大きな影響を受けました。そして、クラークが最も信頼したのが佐藤昌介であり、佐藤と賢治は花巻においては、目と鼻の間の先に家がある、互いに有力者の家柄です。

これらを考えると、賢治にとって、札幌やキリスト教が身近な存在で、アメリカに憧れたとしても不思議ではなく、嘉内もまたアメリカで農業を学ぶことを考えていたようです。
文芸誌「アザリア」の中心メンバーで、賢治の友人の小菅健吉は、実際に10年近くをアメリカで過ごしました。

賢治がアメリカを身近に感じ、特に、クラークや札幌農学校の外国人教師達の出身地であったニューイングランド、マサチューセッツに惹かれ、知識を吸収しようとするのは、自然な事のようにも思われます。

(続く)

2023(令和5)年10月21日(土)

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