聞いててテンションの上がる劇を考察する
観客としてお芝居を聞いていて、特に楽しめる一幕というものがあります。
その条件ってなんだろうなと思い、せっかくnoteを新調しましたので
下書きもなしに書き出してみようと思います。
まず第一に、演者が明らかに楽しそうな劇は聞いていてテンションが上がります。
感情というものはどうしても伝播しますので、演者がその役と役割を演じながらも当人が素直に楽しんでいる様子が伝わってくるお芝居は、聞き手としても一人間としても非常に心地のよいものです。
理屈の範疇の外側にある、いうなればつられ笑いのような、つられ楽しさとでも言いましょうか。
共感や共鳴という言葉に置き換えてもいいと思います。
この一体感のような雰囲気は何物にも代えがたく、たとえそれが録音であってもライブ感とコンテンポラリーを聞き手に与えてくれます。
次に、表現の意図がにじむ劇が個人的にツボです。
「こういう風に汲んだのだろうな」という軌跡がうっすらと感じ取れるお芝居が好きです。
完全に隠しきってしまうのもプロフェッショナリズムを感じてよいのですが
少しばかり作為が露呈しているくらいの粗削りさが却ってエモいのではないかと思います。
気づかれないように仕掛けるのと気づかせるように匂わせて仕掛けるのは、それぞれに粋があると思います。
『メタなフリ』とでも言いましょうか。
意図にたどり着かせるために敢えてわかりやすい足跡を残すのが聞き手へのサービスのようで好きです。
演者が共演者の掛け合いに乗った瞬間というのも非常にいいですね。
明らかに先ほどまでのリズムや間合いを変えて、相手に合わせていった瞬間のあの独特の気配は若者の恋のトキメキに近いドーパミンを分泌してくれる気がします。
あ、行ったな。というあの感じです。
異性と飲みに行って、この後どうする?の手札が一緒だった時のような喜び。
そのあとの流れよりもそこで一致したことが嬉しい感覚。
私にとって燃える劇はこんな感じでした。
抽象的な表現ばかりでしたが、わかるひとにはわかってもらえるとおもいます。
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