手は、裏切らない 小さな透ける紙にふるえる文字でそう書いてあるのを見つけた。 娘の死を知らせる手紙を出した後、すぐに電話がかかってきた。手を動かしなさいと、恩師は電話の向こう側から声をかけてくれた。私はすがるようにその言葉を信じた。この手で最後に作ったのは娘のものだったからもう何も作りたくないとさえ思っていたのに、その声に反応するように身体は反応する。 娘の身につけるものを最後に作ったのは、大学病院へ迎えに行く1時間前だったろうか、着替えの他に帽子もあると良いと聞いた私
哀、という字が黒板に書かれた教室の空気を覚えている。旧約聖書から名付けられた名前を持つ、古文専門の中学国語教師は、そのことについてずっと語っていた。生徒に語っているというより独白のようだった。いちばん好きな言葉だと言いながら時折り静止して宙を見つめている彼は、いつもの教師という肩書ではなくて、その人らしさを放っているように見えた。 哀、には、たくさんの意味がある。 しみじみとした情緒 深い感動 愛情、好意、同情 さびしさ、悲しさ、悲哀 その、人間のさざなみのように揺れ動
お山のてっぺんで、ものつくりをしながら暮らしています。 雪の多い、水の豊かな土地に引越してきたのは1年半ほど前。 家が見つかって引越しを決めた時には、生後5ヶ月の娘と家族3人でしたが、娘と暮らすはずだった家に今は夫とふたり暮らし。昨夏に猫がやってきたので、ふたり+1匹(+見えない娘)でしょうか。 娘は地上にはいませんが、私は地上係として地上の暮らしを娘にお知らせするように、日々を過ごしています。 そのことをつらつらと、気ままに書いてみます。