生きているだけで誰かのしあわせ
昨日の夕飯はうどんを食べました。冷凍うどんなんかも普通においしく手軽に食べられるのですが、やっぱりうどんはうどん屋さん。
写真のうどんは、別の日のうどんです。
東京に行った際、東京最後のごはん、どうしようかな〜と渋谷にいたところ、おしゃれで甘味もあるけど和食で落ち着ける、「ごはんカフェ」に引き寄せられました🌻
そこで食べた、生姜のうどんです。寒い日で、生姜がおいしく温めてくれました。自宅では、生姜は調味料としてチューブを使いがちなのですが、やはり本物の生姜を刻んで食べるのが大事だなと。。だってネギチューブとかないし、、(見栄えの問題)。
いやそれが、昨日食べたのは肉うどんだったのですが、スープと一緒に頂くネギが、それはもうおいしくて。薬味は大事です。うどんなので、うどん麺やスープが主役で間違いないとも思いますが、やはりネギは不可欠なのも事実で、、
同じように、世の中にいらないものなんてないと思いました。在るものが、やっぱりいらないなんて誰が決めるんでしょう。誰かにとっては必要ないものになるかもしれないけれど、別の誰か1人でも、自分自身でももちろん、「必要」だと思えば必要なんです。
アドラー心理学の、絵本みたいなかわいい本を持っているのですが、あなたは生きているというだけで誰かを幸せにしているといったような言葉がありました。とっても素敵だと思いました。
ピンときにくかったら、逆に考えてみるとわかりやすいです。
人が亡くなったら誰かが悲しむ。
それなら、人が生きていることは誰かの幸せ。
誰かって誰だろう、そこまでは考えなくてもいいです。
それはたぶん自分だったり、産んでくれた親だったり、仲良く笑った仲間だったり、まじめに仕事をやりあった同僚だったり、道をゆずってあげた女性だったり、ふと目があって笑ってくれたちびっ子かもしれません。
この世に生を受けただけで、すでに幸せで。
もし、自分は必要ないと元気がでないときは、「元気のない自分が勝手に思い込んでいることだ」と、客観的になることが大事です。
私はよく、ネガティブなときに自分を第三者に見立てて冷静に分析する癖があるので、友人から「自分のことなのに他人事みたいだね(笑)」と言われたことがあります🙆
これって案外ばかにならないなと。
元気がないときは、こんな余裕もなくなるのです。
自己分析ってすごく大事で、人から「いつもと違う」と言われるより先に自分で「いつもと違う」と気が付けば、それはまだ冷静さがある証拠。疲れで充電が切れてしまう前に、しっかり休むのです。
これがもう冷静に考えられなくなったり、「どうでもいい」と思うときは、元気がないんだなと、わかります。
自分で自分のことって、1番知っているようで知らないで過ごしていることもあるんですね。だから私は、なんでもないことでもネタ帳みたいにしてノートに書くことが最近は楽しみのひとつです。
内容は、なんでも。どこでなにをしたとか、日記にするまでもないような考えとか、なにかのアイディアとか、次からこうしたいことがあるとか、とにかく書いてみることで芋づる式にペンが走る瞬間があります。書こうと思っていたことを通り越して、あ、こんなことまで書いてる、ってなるのが1番いいんじゃないでしょうか。
自分発見にもなるので、おすすめです( -`ω-)✧
さて、明日は雨のあとなので花粉に注意だそうですよ🙃
2018.3.6 さいちゃんより
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