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障害者雇用の合理的配慮
今回は配慮をテーマに動画を作っていきました。
日本語の「配慮」という言葉が、とても分かりにくいので考えてみる動画内容になっています。
障害者雇用でよく使われる配慮について
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障害者雇用の中での、配慮という言葉は「合理的」という単語が紐づけられています。
「合理的」+「配慮」= 障害者雇用の配慮
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配慮は思いやりではない
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その原因を考えてみると、配慮という言葉の曖昧さに問題があるのではないかという結論に達しました。
思いやり・気遣い・心遣いという言葉が、配慮に似ています。
配慮を受け取る側が、思いやりを受け取れなかったらどうでしょう。
そうなると配慮は成立してないことになります。
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配慮は契約に似ている言葉なのかもしれない
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配慮したと思っていても、相手の方が配慮を受け取ったと感じられなければ一方的な押し付けになってしまいます。
要するにお互いに相違がない状態のことを表しているのだと思います。
それはまるで、結婚や離婚のような契約に近い気がしました。
契約という言葉をあえて選ぶのは、配慮にガイドラインが必要だからです。
出来ないことを要求された場合、断る理由として必要でもあります。
そして、最も重要なことは、ガイドラインを周知すること
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全体での理解は非常に難しい問題
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合理的配慮は全体で理解するのは非常に難しいと思います。
その理由は、個別性が含まれている問題だからです。
ですので、当事者の方がそのことを共有していく必要があるのです。
そこで弊害となる、重要なことがあります。
できないこと=障害者の弱みという価値観によって問題を遠ざけます。
できなくて当然だと思うのは、良くないかもしれませんが
できないことを消していった方が、できることが増えます。
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「できないことを当たり前に共有できる環境」
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スマホ・PCから共有できる環境を作ることがスタートラインだと思います。
それは恥ずかしいことではありません。
自分のことを理解しようとすることは、素晴らしいことです。
本人の思い込みの可能性もあるので、第三者からみられるように共有をすることで「できないこと」を増やすことが配慮に繋がると思いました。
できない=恥ずかしいという価値観から無くしていく必要があります。
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環境によって変わり続ける問題
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その人の抱えている問題は環境が変わると、問題も変わってきます。
職場が変わったら、住む場所が変わったら、給与体系が変わったら
雇用形態が変わったら、生活習慣が変わったら・・・and so on.
当事者を取り巻いている、様々な環境の変化が
合理的配慮にも影響を与えていくように、私は考えています。
一昔前まで、職場に私情を持ち込まない。というルールがありました。
しかし、その人のパフォーマンスを優先するのであれば
私情の部分を考えていくことも重要なことではないかと思います。
精神疾患は生活に支障が出て始めて、通院されると思います。
私生活に支障があるということが、手帳につながっているのです。
精神疾患の診断名を出すのが病院ですので
そのこと自体も複雑な問題ではありません。
病気であっても生活に支障がなければ、病名がつくことはないからです。
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そのことを就労移行支援は理解できてない
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就労移行支援事業所では、配慮について考えられてるとは
到底思えないような訓練が行われています。
病気のカテゴリに利用する方を当てはめる作業が訓練だと思ってます。
一言で形容するのであれば、「蹂躙」です。
蹂躙という言葉は、踏みにじるという意味があります。
何故そんな事になってしまうのか?
■ 配慮のガイドラインが存在していないこと
■ 出来ないことを肯定できないこと
■ 提供しているサービス範囲が明確ではないこと
■ 精神障害者の雇用に問題があること
■ 考え方が高度経済成長期から進んでいないこと
以上が、すぐ思いつく限りの理由として挙げられました。
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最後に
教育・価値観の刷り込みは「洗脳」です。
福祉事業が1世代は遅れた媒体だと強く感じています。
福祉事業に対する印象と、実際に起こっている現象
360度違ったものになります。
国が窓口になっている、低所得者のサービスが障害福祉サービスです。
サービス利用者の殆どが、私も含めて低所得層に当てはまるからです。
所得の低い人を集めて、国が行なってる「障害」への「洗脳」
それこそ囲い込みの実態なのではないかと思いました。
従事されてる方に対して、罪はないと個人として思ってます。
そういうお国柄だからです。
少しでも違ったことをしようとする他人を許せなかったりしてる
この国の土壌が腐ってるんだと、私は感じました。
全てがそうではないと理解していますが
マイノリティの方が生きづらい世界は、マイノリティで集まって
集団になるような構図でしかなかったです。
気持ちが悪いです
形容できないぐらい、残念な支援です。
この国で自死を選ばれる方が多いのが納得できます。