「壊す」ための表現について。―ツイートメモ。
いつかどこかでまた同じことを言う機会があるだろから、一応メモにしておく。
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何かを「壊す」と主張するタイプの現代アートや表現をする場合。
「aという差別が多数派のなかである」から「社会でaを規制している」にも関わらず、「表現で規制(ルール)を壊そう」とし、結果として「何かを壊した気になりながら実際には多数派をなぞっているだけ」になるということがよくある。
なにより、本人が何かを壊した気になっているのがとてもお寒いし、反論も「社会からの規制=無視・壊すべきもの」と認識されてしまったりするのでタチが悪い。
これ、繰り返し言ってきたけど、改めて言っておくべきだし、自分でも気をつけないとなぁーと反省。
だから、かなり先を見通す力がない限り、「壊す」だなんて言っちゃいけないんだよな。「見通す」ことができないのに「壊す」ことを至上原理としてしまうと、自分では何かを壊してるつもりなのに実際には既存のものを迎合しまくりのしかもグロテスクな何かしか出てこない。
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