観察と独立性について - ハッキング『表現と介入』メモ


 まだ最後まで読んでないのだけど、メモ。

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 ニュートリノによって星の内部を「直接観察する」とはどのようなことか。

 シェイピアは、こうした物理学における「観察」という言葉の用法は次のように適切であるとする。「(1) 情報が適切な受容器で受け取られ、また、(2) 情報が直接、すなわち妨害なしに、対象x (これは情報源である) から受容器に伝達されるならば、xは直接観察される」。

 ハッキングはここに、「独立性」についての説明を加える。「観察」においては、「たとえわれわれの言明が (…) 視覚に関する理論的仮定を含んでいるにせよ、それは研究中の対象に関係した理論的仮定をまったく含んでいない」(:360) ことが必要であると。

 たとえば「太陽の内部はその表面よりも10倍速く自転する」という仮説を探究する場合、(1) 光学的観察を用いる方法、(2) 衛星の近接飛行によって観察する方法、(3) ジャイロスコープの相対論的差異を特定する方法がある。このとき、第一・第二の方法は、「それ自身のうちに太陽の内部にかんする諸々の信念に関わる仮定」を含んでいるがゆえに、「観察」ではなく「推論」である。第三の方法が「観察」であるのは、「ジャイロの提案の基礎にある一群の理論的仮説は太陽の核にかんして人々が発明した諸命題とはまったく異なった道筋を経て到達されたものである」ためなのだ (:359)。

 つまり、「シェイピアの最小限の規準を満足する場合、またそれが依存している一群の理論が研究中の主題にかんする事実とからみ合っていない場合には、推論しているのではなく、観察しているのだとみなされる」(:360)。

 このように説明したうえで、しかし実験を重視するハッキングは、この問題はさほど重要ではないとする。実際のところ実験において重要なのは、「敏感で注意を怠らぬこと」なのである。




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