番外:人生は賭けの連続
※本文章は個人的な意見であり、文責は筆者にあります。受け取り方によって不快な思いをされる方がおられるかもしれないことを事前にお断りしておきます。
この世に生を受けて、運良く今の今まで生きながらえてきましたが果たして人生における正解などあるのだろうか、とふとした時に感じたことがよくあります。
例えば、うつ病になって苦しんだことについて自分自身のことを考えてみました。
よくある精神疾患関連の本には、うつ病になったのはあなたのせいではない云々の記載がよく見られます。
確かに精神疾患になるということは、自分自身の要因のみで罹患することはないと思います。
家族や学校、職場等の主として人間関係が大きな要因として作用することは間違いないでしょう。
かく言う私自身もこのことには間違いないだろうと思います。
翻って、自分自身に本当に問題がないのかという議論が間違いなく存在しているはずです。
この議論は精神疾患治療中の対象者には絶対にしてはならないことを前もってお断りしておく必要があるでしょう。
精神疾患になる根本的な要素として、罹患者の内面的性格を無視することができません。
内面的性格を造り上げる環境の最たるものが、親の教育となるでしょう。
理由なくこの世に生を受けた瞬間に、すでに人生の賭けというものがはじまっています。
昨今、「親ガチャ」という子どもは親が選べないことを揶揄した言葉も出てきていますが、まさしくこのとおりなのだと思います。
しかし、この「親ガチャ」という言葉が出てきている社会背景をよく見ておく必要があることが必要です。
格差社会と言われるほど親世代間の収入格差が子どもたちの教育格差を産みだし、大学を出るために奨学金という借金を背負ったまま子どもは社会に送りだされています。
子どもたちが未来を愁いて、「親ガチャ」という言葉を使う気持ちは理解できます。
閑話休題
話を戻すと、物心つく前から生きるための賭けが自動的にはじまっているのではないかと考えます。
ある程度物心がつき、自分自身で物事が判断できるようになったときにようやく、自分の責任において人生の自己選択ができるようになります。
ただし、親から受けた影響は非常に大きいため偏った視野で判断をしてしまいがちになるのは仕方ないことなのでしょう。
一度形成されてしまった性格を修正することは非常に難しいです。
この世には不遇な家庭環境から成功体験を得た人もいますが、そのような人は一握りなのではないでしょうか。
人生の節目節目で意識しないうちに、私たちは賭けをしているのです。
その賭けはその人の性格と運によって左右されるだと思います。
今、様々な問題を抱えて苦しんでいる人は実は世間でいう成功者も同じなのだと思います。
人は他人のことを真に理解することは不可能である。
隣の芝は青く見えるものです。
人間は欲望の底がない動物であることが災いすることも賭けに負ける要因の一つでしょう。
様々な環境から生まれでてきた私たちは、生きている以上、常に賭けを求められます。
自分とは異なるパーソナリティーを持つ方々との交流が人生を豊かにする可能性を秘めていることを私は今後の人生に賭けたいと考えています。
今、苦しまれているかたは物事を単純、気楽に考えることができる方向に賭ける。
今、充実されているかたは周りに目を配り、弱気を助けることに賭ける。
皆が住みやすい社会をつくり、前向きな人生を送ることができる環境となるように一国民として取り組んでいくことに、残りの人生を賭けたいと思います。
長文、駄文を最後までお読みいただき誠に感謝申し上げます。
生き続けること
それだけで光が見える瞬間が皆様に訪れることを願ってやみません。