読み返したら結構良くできてるじゃんね、自作の短編小説
超短編作品。
『キメラ』
「え?これメイヘムのキメラだよ?」
私のクレームに夫がそう答えたとき、私は一瞬、その意味がわからなかった。
何秒か黙って、なんとなく理解できてきた。
つまり夫は、こんな素晴らしい作品が耳障りなわけがない、と心から信じているのだ。
夫は、私が「そのうるさい音楽、止めてくれる?」と言った意味が本当に理解できないのだ。
その後も夫は、メンバーの変遷やら音作りやら、これは黄金期じゃないけど…などとぶつぶつと独り言のように呟いてその喧しい音楽を聴き続けた。
私の存在はもう目に入っていないようだったし、私ももうこの人に頼むのは無駄だと理解した。
私は夫と議論するのを諦め、夕食の買い物がてら散歩に出掛けることにした。
ほのかに春の匂いがする小道を歩きながら、私はつい考えてしまう。
なぜあの夫と結婚したのだろう。
こだわりが強いのはわかっていた。
そこも嫌いではなかった。
変わってしまったのは私の方なのかもしれない。
出逢った頃の夫は、寛容と言っていいようなおおらかさの反面、自分の好む音楽や小説、美術作品に、並々ならぬ情熱と確信を持っているようだった。
かといって、自分が好まない作品を批判するということも特になかった。
「自分自身で演奏したり描いたりする才能がないからね」と、夫は笑いながら、でも少し寂しそうに本棚を見つめていた。
「何かを信じるということは、他の何かを否定することだから」。その言葉は、特にこだわりを持たない私にも、少なからず納得できるものが感じられた。
夫は私と結婚した。
そのことで夫は、他の何かを否定することになったのだろうか。
その分私は夫を幸せにできているのだろうか。
夫には診断名がついている。
全般性不安障害とかいうやつだ。
暗くて血生臭い芸術を愛しているからそうなってしまったのか、それとも元々そういう性格だから暗黒や絶望に惹かれるのだろうか。
夫は一見、社交的にさえ見える。
当時、私を積極的に食事や映画に誘ってきたのは夫の方だった。
夫はとても紳士的だったし、いつも私を気遣ってくれた。
人当たりも良い夫は、その実内面を病んでいたのだ。
鬱は誰にでも起こりうる、ということを、私は夫を通して実感として知った。
それでも夫は薬を飲みながらでも仕事を続けているし、私もそれを夫の一部として受け入れた。
それなのに、なぜ私達夫婦はこんなにすれ違う関係になってしまったのだろう。
私達は恋して夫婦になった。
今はどうなんだろう。
私が夫をわからなくなっているように、きっと夫も私をわからなくなりつつあるのだろう。
夫にとって私は奇妙な「キメラ」になっているのかもしれない。
夕食を作っていると、夫がキッチンにやってきた。
不思議な喧しい音楽は、とりあえず聴き終えたようだ。
何を話そう。
テーブルに並んだ料理を挟んで向かい合った私達は、互いに話題を探り合ってみる。
二人で居るだけで自然と話が弾み、楽しい時間を過ごせた私達は、もうこのテーブルには存在しない。
まるで、傷口を避けて当たり障りのない会話を探す、オトナゴッコをしているようだ。
夫婦とは何だろう。
少なくとも、そう呼べた日々はかつてあったような気がする。
今は、崩れかけた砂の城…。
避難もできない住人は、自身が砂に埋もれていくのを、静かに傍観している。
周囲の人々は、私達を、理想の夫婦とまではいかなくても、仲の良い普通の夫婦と見ているだろう。
でも、普通の夫婦って?
ケンカをしなければ仲良し?
離婚しなければ普通?
わからない。
一つわかるのは、もう私達は戻れないんだろうなという、悲しい、虚しい、静かな予感だけ。
離れ方もわからない二人。
いや、私はそれでも寂しいのだろう。
私を一度は受け入れてくれた人が去っていくのが。
夫は何を思うのだろう。
私を手放すとき。
探り合うことさえほとんどなく、食事を片付けた夫は、山のような本と音楽に溢れた自室に戻っていった。
夫は時折、少しおどけて、でも真面目に言う。
「僕はたぶん、自殺で死ぬから」。
出会った頃の夫は、歴史研究者の見習いみたいなことをしていて、冗談なのか本気なのか、「僕は砂漠で一人で死にたい」と言っていた。
砂漠で一人で死ぬことが、いつから自殺になってしまったのだろう。
どっちも同じようなものでは?と人は思うかもしれないけど、私にはわかる。
上手く説明できないけど、わかるのだ。
前者と後者は何かが決定的に違う。
その何かは、僭越ながら私なのでは、と思う。
私に出会う前の夫は、好きなことに殉教したかったのだ、きっと。
でも今は、夫は逃げたいのだ、何もかもから。
夫にとって、砂漠で一人で死ぬことは、決してネガティブな選択ではなかった。少なくとも本人にとっては。
それが私との生活を通して、「僕はたぶん、自殺で死ぬから」という、逃げ道のない日常に迷い込ませてしまったのだ。
ごく普通のポピュラーな物に囲まれて暮らしてきた私には、耽美も、暗黒も、退廃もわからない。
そんな私が夫を救っていたことも、きっと、確かに、あったに違いない。
でも、本当の意味で、夫を深淵から救い出すことは、私にはできなかった。
いや…。
認めたくない。
受け入れたくない。
夫は選択したのだ。
私を抜きに生きることに。
私を抜きに死ぬことに。
すぐにではないかもしれない。
比喩かもしれない。
でも私が分かち合う人生は、もうそこにはない。
いつもどおり別々の寝室のベッドに潜り込んだ私は、電灯を消して、静かに泣いた。
夫は結婚式のとき、神前式やキリスト教式の誓いを頑なに断った。
信じてないものに誓えないから、と。
特にこだわりもなかった私は、夫らしいなと苦笑いしながら、人前式に同意した。
今も何に祈っていいのかわからない私は、夫が何に祈るのかもわからない。
願わくば、この奇妙な二人のキメラに、安寧の眠りを与えてくれるよう、たまたま窓から見えた月に祈った。
夫が自殺してしまってからしばらくしても、結局、なぜこの時夫が自殺したのか、私にはわかっていなかったんだと思う。
私の中の夫は永遠に止まったままになってしまったが、私はこれからも緩やかに年齢を重ねていく。
突然の事故死とか病死にならない限り、私は一人緩慢に生きていくだろう。
時折、夫が生前よく聴いていたCDのコレクションを少しだけ聴いてみる。
メイヘムの「キメラ」も聴いてみるけど、私にはやっぱり暗くて喧しい音楽で、よくわからない。
夫がそのどこに惹かれていたのかも、結局わからないままだ。
夫にもう少し訊いてみればよかったかな、と思っても、もう叶わない願いだ。
メイヘムの自殺したメンバーも、夫も、私には遠すぎた。
それでも愛し合えた時間は少なからずあったのに、なぜ人は理解し合うことができないのだろう。孤独な夫から、私は砂漠で一人で死ぬ夢まで奪ってしまったのだろうか。
夫にとって奇妙なキメラだった私が、夫に与えることができたものとは、一体何だったのだろうか。
私はせめて、夫を少しだけ信じてあげて、その分、他の何かを少しだけ否定してみよう。