私は、身近に自分のことを理解してくれる人がいません
こんばんは。
「自分の陰(ネガティブ)な部分と向き合うマガジン」
略して「陰マガ」のお時間です。毎週火木土の20時40分頃に投稿中です。
どうぞお見知り置きを。
こう見えて私は(どう見えているかわかりませんが)、
「身近に自分のことを理解してくれる人がいません」
まぁそもそも、人間を理解するなんて、到底できないと思っております。できるんだったら、
「あの人があんなこと言う(する)なんて思わなかった」
みたいな言葉は聞かないだろうからです。
なので、元々、私は人に期待をしていません。自分のことを本当に理解する人など現れないと思っていますし、またその逆も然りで、私も人を理解することはないでしょう。
ただ、考え続けることならできます。
絶えず、「いまここ」に集中し、その人がその瞬間にどのような想いを持ってその行動や発言をしているのかを、そのつど汲み取れるような、そんな人間になりたいなとは思うものの、これはなかなか容易なことではありません。特に、このnoteのような、テキストベースのコミュニケーションにおいては、書き手にも読み手にも相当な想像力と読解力と…あとは…えっと…その他諸々の能力が求められるので、実際に顔を突き合わせて話をするより、コミュニケーションの難易度は高いと認識しております。そもそも、このネット空間上の言葉のやり取りはコミュニケーションと言えるのか、とすら思います。
「文字を読んで反応している」
という点だけ見れば、やっていることは本を読んでいることとあまり違いがないように思います。では、「本を読むことはコミュニケーションといえるのか?」というと、そうとは言えないと思います。
であれば、私はいったい、この四角い画面に向かって何をやっているのでしょうか。
ということで、私自身が私についてよくわからないのに、他人が私を理解できるわけがありません。よく、
「しし.って〇〇だよねー」
「しし.ってこうだからこうした方いいんじゃない」
みたいなことを言われたり言われなかったりするのですが、そのたびに、
「あなたに俺の何がわかるんですか?」
状態になります。薄っぺらい助言はノーセンキューです。
もはや、リアルで人間と関わることが少なくなった現在では、自分を理解しているであろう人も、理解してくれようと努めてくれる人もいません。冗談抜きで、一人もいません。この文を知人が読んだら不快に思うかもしれませんが、それでも構いません。そしてこれは、自分に置き換えても同様で、私自身も、あなたのことを何もわかっていません。
「わかりあえなさを認め合うことから始めよ」
です。
わたしは、このnoteという場で、自分を被験者にして「わかりあえるか」の実験をしているのかもしれません。